今日は学内で年に1回実施されている防災訓練があるよ。
15:00から約30分間、3号館303講義室で消防署員による救命講習も行われるから是非参加しよう!
さて、今日は小樽高商第2代校長の紹介だよ!
来年、商大が100周年を迎えるのに向けて、歴代校長・学長を毎月順番に紹介していくから楽しみにしていてね。
前回紹介した初代校長渡邊先生の記事はこちらをクリック!
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第2代校長の伴 房次郎氏は1921(大正10)年11月に着任し、1935年(昭和10)年4月頭まで校長を勤めたんだ。
校長に就任される前も、初代校長の渡邊先生の時代から教鞭をとっていたんだよ!
積極的に学校を引っ張っていく渡邊先生とはまた違った雰囲気の先生で、とても温厚寛容に見守り育てる優しい人だったみたいだね
京都の巨椋池(おぐらいけ)を眺めて育ったから、漢詩を読むときの号は「椋湖」!
伴先生が校長を勤めた時代には、高商開学から10年程が経った頃で、母校出身者の教官も誕生してるんだよ
高商開学から10年経った頃で、開校15周年にあたる大正15年には、同窓会の熱意ある支援により「商学討究」が創刊されたよ
伴校長自ら「討究」という言葉を提案したみたい!
当時は自由主義の風潮が高まり、その影響か文化部の活動が活発になり、多くのサークルが誕生したんだって
伴校長の時代は「学園のルネサンス」と呼ばれているそうだよ
かの有名な小林 多喜二や伊藤 整,高浜 年尾(高浜虚子の長男)は学生として,大熊信行は教員としてこの時期に小樽高商にいたんだ
2008年に新語・流行語大賞にも選ばれ、再び脚光を浴びた「蟹工船」漫画にもなっているから、読んだことがある人も多いかもね
もちろん文化部だけでなく運動部の活動も目覚ましいものがあったんだ
陸上競技でも極東オリンピック大会に選手を出したり、野球部や庭球部、卓球部が活躍したり、日本ジャンプ選手権を獲得したりと大活躍!
体育施設も拡充され、柔剣道場が新築されたり、山上グラウンドが建設されたりしたんだ!
山上グラウンドの建設には同窓会援助の他に、地域の方々からの格安での土地提供、お金の寄附、教職員・学生の勤労奉仕などなど沢山のパワーが集まって完成してるんだよ
学生の中には夏季休暇中も帰省しないで手伝った者もいるんだって
学校との一体感がひしひしと感じられるね
高商が愛されていることが良く分かる一こまだよね
大正14年からは成人教育講座(一般市民向けの公開講座)がスタートし,社会への啓蒙活動なども行われていたよ。
実は,その前から大西猪之介や南亮三郎が顧問の弁論部がときどきは遠く樺太にまで行って,市民向けの講演をしていたんだって。
昭和6年からは研究指導制がとりいれられ、翌年からは指導教官制がとられたんだ!
研究指導は今でも馴染みのある少人数教育!ゼミの原型はここから始まったんだね。
小規模大学での強みが活かされている部分だよね!
また、この時期には教員養成という新しい制度(第14臨時教員養成所)もできているんだ
今でも商大では英語や商業・情報の免許がとれるけれど、この頃は中学校の英語教員の養成が目的とされていたみたいだね
商業学校の商業科目担当教員もたくさん輩出していたそうだよ
伴先生がいたのはこんな時代だったんだ
入学式や卒業生で歌われる校歌は昭和7年に制定されたんだ
皆は歌詞を覚えているかな?
最後に高商の校歌を紹介するね
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1.金鱗おどる渺々の
あけぼの称う浪の唄
エルムの花に若人の
涯なきのぞみ数々秘めて
夢うるわしの緑ヶ丘よ
2.夕陽映ゆる白樺の
梢をわたる風の唄
慈愛の山のふところに
銀翼みがき俊足秘めて
唄ほがらかの緑ヶ丘よ
3.蒼穹はてず道つきず
はるかに仰ぐ北斗星
栄冠迎うこの腕に
飛躍の力ひととき秘めて花咲き匂う緑ヶ丘よ
4.健腕拓く五大州
凱歌はあがる我母校
感激みてる若人の
血潮に清き教えを秘めて
春永遠の緑ヶ丘よ
参考文献:
緑丘五十年史編集委員会編著,『緑丘五十年史』,小樽商科大学,1961年、2001年=復刊
小樽高商史研究会編,『小樽高商の人々』,北海道大学図書刊行会,2002年
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