小樽商科大学二代学長を紹介するよ!
今日は歴代校長・学長紹介シリーズ!
第2代学長であった加茂儀一氏(1899年~1977年)を紹介するよ!
加茂儀一先生は昭和32年11月から昭和40年11月まで学長を務められたよ。
任期をみてわかるとおり、昭和36年に創立50周年を迎えた時の学長だよ。
全寮をあわせて「智明寮」、ランゲージセンター(現言語センター)、旧学生会館(のちに建てかえられて大学会館)などたくさんの施設が作られたのもこのときなんだ。
加茂先生ってどんな人?
もともとは、神戸の商家の生まれで、家をつぐはずだったけど・・・。
学歴は、神戸高等商業学校(現在の神戸大学)、ついで東京商科大学(現在の一橋大学)に編入して卒業したよ。一橋在学時に学者をこころざしたようだよ。
三井物産に勤務されて、東京気象台附属気象技術官養成所で講師、教授として英語を教えていたんだって。
のちには、東京工業大学教授として文化史、技術史、社会思想史を講義。そう、あのレオナルド・ダ・ヴィンチの研究者として大変有名だったんだ。
学長在任のころは、北海道新聞に「科学史余話 ビート糖の歴史」(1961年2月18日)など科学史の記事をたくさん書いたり、『榎本武揚』を出版(1960年)しているよ。
選挙で学長に選出されたけれども、本学にはあまり縁がなかった先生なので、引き受けてもらえるか不安があったようだよ。
学生は旅費をカンパしあって代表3名が、先生を説得しに東京に向かったというエピソードも。
加茂先生、学生が来たことに随分、感激したんだって。
その甲斐あって、無事承認してくださったという経緯があったみたい。
就任の所信表明を少し紹介するね!
「…私は将来この小樽商大の卒業生が日本の単なる実業界だけでなしに工業界やあらゆる分野においてリーダーシップとなることを念願としております。その意味で諸君に油断のない勉強をしていただきたいのであります。
心にゆるみを持たないで私がいまいいましたことをよく頭に入れて本気になって勉強をしていただきたいのであります。…」
400人の教官、学生を前に1時間にも及ぶ所信表明だったんだって。
加茂先生の熱意が伺えるね。
「本気になって勉強してほしい」からこそ、よい教官を招集するなど、学ぶ環境を整えてくださったんだね。
社団法人緑丘会からは予算不足、講座不足に悩む母校に著名学者を招聘し、毎年数講座を寄贈する「緑丘講座」が開設されたよ!
こういった企画は当時の日本の大学ではほとんど例がなく、とても注目されたよ。
「緑丘50年史」の冒頭 加茂先生の挨拶の一部を紹介するね。
「・・・50年の過去を顧みてその名声にうかれ、その伝統に酔うものではない。終戦後の国内一般の混乱期をまさにのりきった本学は此処に新しい飛躍をなすべき機会に迫られている。・・・われわれは学園に新しい息吹をもたらし、よき伝統の強化と共に新しき伝統の想像に邁進しなければならない。大学としては小規模な単科の唯一の商科大学を今後躍進させる任務はとても楽ではないが、小さくとも誰にも負けない心の通った大学をつくることに全力をかたむけたい。・・・」
本学のモットー
「北に一星あり 小なれどその輝光強し」はずーっと昔から受け継がれてきたものなんだね。