Barrel3200件目は,商学科の田中幹大先生の論文「戦後復興期大阪における自転車産業と中小機械金属工業」だよ!
今日はBarrel3200件目記念インタビューを紹介するよ。3,200件目は商学科田中幹大先生の論文「戦後復興期大阪における自転車産業と中小機械金属工業」。
それでは,インタビューの一部を紹介するね!
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Q:登録3200件目の論文「戦後復興期大阪における自転車産業と中小機械金属工業」は、どのような内容ですか?
1945年の敗戦から50年代中頃までの大阪の機械・金属業種の中小企業(中小機械金属工業)を、特に自転車産業の分析を通じて検討したものです。
敗戦後の中小機械金属工業は、大企業の生産復興が遅れるなかで早期に生産を再開し、生産量を増加させていきましたが、その中心の1つは自転車、ミシン、カメラ、時計といった軽機械・消費財でした。今では自転車などは国内でほとんど生産されていませんが、当時は中小機械金属工業が戦後復興を支えており、アッセンブル方式と呼ばれる極度に分業関係が広がった形態でこれらの品目を生産していたのです。
この時期のアッセンブル方式がどのようなものであったのか、分業関係の中で個別の中小企業がどのように生産に関わっていたのかを明らかにすることが論文の目的の1つとしてありました。
分業生産は凄いもので、自転車のペダルのゴムやシャフト、虫ゴム、各部品のネジの1つ1つに至るまで別々の中小企業が担当していました。分業関係が広がっていたことで、中小企業は何か1つの部品を作ることで参入でき、こうした生産形態の産業が展開したことが、後の高度成長期における産業集積発展の起点となっていきます。
論文のもう1つの目的は、問屋と中小企業の関係についてです。この時代の問屋が、どのような人たちに担われ、どのように活動していたのかが不明のままでしたので、これらを調べて中小企業との関係における問屋の役割を検討しました。問屋の活動も、後の産業集積の発展を導く大きな要因となったと考えています。
・・・続く
(インタビューの続きはこちらだよ!)
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田中先生,ありがとうございました。
戦後日本がどのように高度成長を遂げてきたのか,とても興味深い内容だね!
みんな,是非論文も読んでみてね!(論文はこちら)