CLOSE

教員インタビュー 須永将史先生

  • <担当授業> 社会学Ⅰ、社会学Ⅱ、現代の社会

須永 将史准教授
Sunaga masafumi


社会学

我々は「社会」ということばを、様々な意味で使っています。国際社会や地域社会、学校社会など、限定した意味で使うときもありますが、「社会に出たら大変だよ」のように、「世間」と同じ意味で「社会」を使ってみたり、「連中は社会の敵だ!」と「共同体」のような意味で「社会」を使ったりします。このように「社会」は曖昧な使い方をされていることばですが、どの「社会」も自然に使われています。

社会学者は、この曖昧な「社会」を学問の対象にするにあたって、まずは、人々が集合するがゆえの力をもつ、「一種独特の実在」と捉えました。そしてそれぞれの「力」のありかたがどのようなものかを解明しようとしてきました。人々は集合することで、個人では思いもしなかった行動をとったり、連帯したりします。社会にはこのような力があるというのです。

そして、社会のなかでは、実に多くの問題が起こっています。戦争、差別、貧困……この多様な問題は、「社会」が集合的な事実であるがゆえに、つまり人々が集まって独特のあり方を示すがゆえに生じる問題であるともいえます。社会学は、こうした問題の解決のために、19世紀から20世紀にかけて制度化された学問です。またその時代は、社会が急速に近代化した時代でもあります。それゆえ社会学は、そもそもなぜ近代化が社会問題を生み出してしまうのか、そのプロセスを解明する学問であるという性格も持っています。

社会学の重要な研究対象に社会的行為があります。(社会的)行為は行動と区別されて定義されます。あるふるまいをする人がそのふるまいに「主観的な意味」をこめてふるまうとき、社会学者はそのふるまいを行為と呼びます。社会学者は、行為の主観的な意味、思念された意味を、その行為がなぜなされたのか、どのような帰結をもたらすのか、他者にとってはどういう意味を持つのかとともに検討します。

行為はなぜ重要な研究対象なのか。それというのも、行為の「意味」は、それを意味づける人々が生きるその社会のあり方と無関係ではないからです。あるいは、人々が生きているまさにその社会で当たり前とされている社会的規範と密接な関係にあると言っても良いかもしれません。つまり、あるふるまいをどのような行為として認識し名指すかは、我々がどのような社会的規範のもとで生活しているかを反映しているといえるのです。言い換えれば、行為の認識の仕方・記述の仕方には、そのふるまいがどう扱われる「べき」と前提されているかが示されていると考えられるのです。

たとえば、かつてなら「夫婦喧嘩」で済まされていたふるまいが、ある時期から「DV(ドメスティック・バイオレンス; 家庭内暴力)」と呼ばれるようになったことを考えてみると、行為と社会的規範の関係の重要性がわかるはずです。この「呼び方の変化」には、社会的規範がどのように変化したかを見いだすことができるでしょう。つまり我々の社会は、家庭内での「ただの夫婦喧嘩」とみなされていたふるまいを公的領域で対処されるべき「暴力」と認識するようになってきたといえるのです。

逆に言えば、ある行為を、「夫婦げんか」ではなく「DV」すなわち「暴力」と呼ぶように捉えなおすことは、その行為を是正すべき行為として認識していることを同時に示します。つまり、行為の認識の仕方・記述の仕方を変えることは、人々が共有する前提を改善するきっかけにもなるのです。したがって、「呼び名を変えること」は社会をより良くするためのひとつの手段だといえるでしょう。

社会学者のなかには、会話の分析を専門とする人々がいます。会話分析者たちは、まずは発話によって社会的行為が作られると考えます。会話分析者は、社会の根幹には、言葉のやり取りがあり、社会問題を構成するのも解決するのも言葉を交わして、つまり相互-行為によって達成されると考えています。会話分析者たちはそれゆえ、社会問題の解明・解決という目標に同意しつつ、あくまでもそれらを構成する社会的行為の一つずつに目を向け、地道にその行為の成り立ちや意味について考えていこうとしています。

会話分析:ぐちゃぐちゃな会話とそのなかの秩序

図1

図2

社会学にはいろんな研究方法があります。私が専門としているのは先程述べた会話分析という方法です。「社会的行為」を、会話という常日頃我々が営む活動において分析する学問です。行為の「主観的意味」は、一見心の中で生じることといえるかもしれませんが、相互行為の中で(社会的に)人々が扱っている現象であり、互いにふるまいのなかで示し合っているのだという立場にたつのが会話分析者です。図1上の枠線内の「セリフ」あるいは「台本」のようなものを見てみましょう。会話を研究するとなると、まずはこの「セリフ」のようなものを研究対象にすると思います。しかし実は、実際の会話はもっと「ぐちゃぐちゃ」です。我々は言い間違いをしたり、素早く言い返せず黙ってしまったり、言い淀んだりします。会話分析は、会話の中で起こるこれらすべてを研究対象とします。そのために、実際の会話を何度も聞き、図1下の枠線内のように丁寧に転写をします。沈黙や息遣いや発話の重なりまですべて書き起こします(そのために独特の表記法を使います)。こうして会話を転写し、じっと会話を聞くことで、実際の会話の組み立てられ方が見えてきます。

たとえばこの会話なら、14行目に0.8という数字があります。これは0.8秒の沈黙があったという意味です。そしてその沈黙のあと、父親が15行目で「ね」と言っています。「ね」の前には↑があり、これはこの「ね」が少し音程を挙げて発音されていることを示します。我々はしばしば、来るべき返答がないとき、つまり相手が答えてくれないとき、確認あるいは念押しのために「ね」と言って返答を求めることがあります。特に、父親が泣いている子どもをなだめながら「お説教」をするようなとき、子どもが理解すべきことをひとつずつ確認しながらそれをおこないます。つまり、発話のタイミングの微妙な位置や、たった一語で構成される発言であっても、父親がお説教をするための(ひいては子どもを「社会的」な存在として育てるための)重要な土台として機能しているのです。もちろんこうしたことは、我々が常日頃行なっていることではありますが、実際のふるまいに基づいて述べることで、それがどのような細やかな実践によって成し遂げられているのかがよりはっきりと見えてくるようになります。何度も会話を聞き正確に転写することは、こうした細やかな実践の観察を支える手立てであり、会話分析者はこのような地味な作業によって社会の成り立ちや秩序に迫ろうとします。

私自身は、「日常的な会話のなかに性別規範はどのようにあらわれているのか」とか、「医師と患者の診察場面のなかで主訴はどのように語られるか」とか、「痛みの尋ね方にはどのようなやり方があるか」などを研究してきました。とくに近年は、広く家事や育児から高齢者の介護までを含むケア実践も重要なテーマだと思っています。他にも、人が歩いている図2を見てもらうとよいのですが、移動しながらの会話のなかで視覚やジェスチャーがどのように起こっているのかにも興味を持っています。

社会学にどのようなことができるのか

会話はいたるところにあり、それゆえ会話分析者は色々な領域の人々と共同研究をしています。私自身も、医療機関、在宅医療企業、災害ボランティア団体、就労支援機関、まちづくりの任意団体など……さまざまな人々と共同研究をおこなってきました。商大とのかかわりでいうと、サービスエンカウンターなどを対象に研究を行なう会話分析者もいるので、ゼミ生の希望によってはそういうものを読んでみようと思っています。

社会学が関わるテーマとしては、小樽で起こった「町並み保存運動」についても学生と学びたいと思っています。市民のみなさんと保存運動に関する研究会なども行なってきました。他にも小樽では、近年プライドパレードなどが盛んに行われています。主催する団体といっしょに、ジェンダーあるいはLGBTQという視点で勉強会などをしています。

会話分析を学ぶゼミ

2020年に赴任してからしばらくはCOVID-19の影響で、遠隔でゼミを行う必要がありました。本大学では、フィールドワークやインタビュー調査などをゼミで指導することは難しく、会話データを収集して会話分析を教えることはできませんでした。そこでゼミでは、幅広く、学生のニーズに合わせて社会学の文献講読をおこなってきました。近年の履修者たちのテーマは貧困、教育格差、家族、性差別などでした。2026年度以降のゼミは、須永の専門である会話分析を学ぶゼミです。会話分析は非常に手間のかかる学問ですが、とても面白い学問です。

社会学Ⅰ・Ⅱ

会話分析だけでなく、基礎科目の社会学Ⅰ・Ⅱではもっと幅広く、社会学全般について学びます。社会学は非常に多くの主題を扱ってきました。社会学Ⅰでは、その様々な主題のうちの一端を紹介します。具体的には、労働、消費社会、環境、福祉、家族、ジェンダーなどなどです。社会学Ⅱでは社会学の古典を紹介し、社会学なる学問を生み出した人々の着想を紹介します。


関連リンク


一覧へ戻る

資料
請求