講義テーマ:「雪印グループ企業不祥事の顛末」
             −混乱と再建の実体−


                               2007094 柿 崎 真奈美

1.講義内容の要約

 つい先日、清水寺にて今年の世相『偽』が発表された。この文字に象徴されるように、今年はたくさんの食品会社の不祥事が発覚したのである。本日の講師・城座さんによれば−と言うのは、当時私はまだ小学生であったためにはっきりと覚えていないのですが−相次ぐ食品会社の不祥事は2000年に起きた雪印乳業の集団食中毒事件から始まったのだ。「食の安心・安全」という言葉が日常的に使われるようになったのも、この事件が発端である。そして、2001年の雪印食品牛肉偽装事件が決定打となり、日本指折りの食品大企業・雪印乳業は膨大な負債を抱え、事業分割の道を辿ったのである。今回の講義では、この一連の事件の経過を追いながら、事件の発端となった原因、対応の誤りの真相、組織内部の混乱の実体をお話くださいました。まず、2000年の集団食中毒事件は過失であった。大企業特有の不透明な企業内構造のために企業のトップまで情報が伝わりにくかったことも災いし、食中毒の原因特定に手間取り、行政の管理に置かれた。マスコミや被害者の激しいパッシングにさらされる一方で、社内では市乳生産部乳食品生産部の対立という問題が浮上した。結局、当初疑っていた工場とは別の、大阪・大樹工場の脱脂粉乳から毒素が検出された。事件隠蔽の立証性のない社長・専務は不起訴となるも、大樹工場長は業務上過失致死傷で有罪となったのである。ところが、2001年に起きた狂牛病問題に付随する牛肉偽装事件は、故意の事件であった。雪印食品が繰り返したように、これからも企業の不祥事が無くなることはないだろうと城座さんは言う。なぜなら、企業の不祥事は社会貢献や利益追求が矛盾した結果であり、企業の隠蔽体質は自己防衛という人間心理によるものだからである。

2.問題提起及びコメント

 城座さんは、少なくとも私から見れば、所謂“会社人間”である。マスコミの対応に苦労した人ならば当然の考え方なのかもしれないが、城座さんの熱い語り口からは“(現代的な意味での)正義”は感じられない。「人間だから」とか「故意でやった訳ではないから」と言う理由で済まされないのが『現代の正義』である。仮に、この『現代の正義』に沿う考え方をする人々を『マスコミ型』とし、城座さんのように「企業のためを思って」「知らなかったから」と事件の解釈をする人々を『会社型』とすると、今後求められるのは、『ジャーナリスト型』の人材である。『会社型』の不祥事の弁明のままに「仕方がない」で事件を済まされては消費者、特に被害者は堪ったものではない。しかし、だからと言ってマスコミが“おもしろい”記事を書くために一部を誇張して報道しているのも事実であり、『マスコミ型』がその報道を鵜呑みにしてしまっていることも問題である。『ジャーナリスト型』は自分の正義感に見合ったものしか認めない『マスコミ型』でありながら『会社型』の言うような“事件の真相”を追い求める。つまり、城座さんの意見を補足して考えると、消費者一人一人がこの『ジャーナリスト型』にならなくてはいけないのである。しかし、現実問題では一般市民の知り得ない情報はたくさんある。しかも、食品衛生問題と食糧供給問題のように対立する理念が絡んでいるため、事態は一層専門的な知識を要するのだ。完全な『ジャーナリスト型』になることは難しいが、私たちはまず、あらゆる情報の多面性を考慮する習慣を身に付けるべきであろう。

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