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2024.11.06

令和6年度第5回講義:北嶋 雅彦さん(S61卒)「資産運用立国の実現に向け~金融機関の果たすべき役割」

講義概要(11月6日)

 

○講師:北嶋 雅彦 氏(1986年商学部商業学科卒/三井住友信託銀行株式会社エグゼクティブアドバイザー)

 

○題目:「資産運用立国の実現に向け~金融機関の果たすべき役割」

 

○内容:

私が小樽商科大学を卒業した1986年は、日本経済がダイナミックな好況のカーブを上っていた時代だった。90年代にその勢いは一気にしぼみ、失われた30年とも呼ばれる時代が続く。しかしいま日本経済は、ようやく成長型経済へと向かう転換点にある。「新しい資本主義」や「資産有用立国」という切り口から、そのことを幅広く提示しながら解説したい。

 

 

「資産有用立国」の意味と時代背景

 

北嶋 雅彦 氏(1986年商学部商業学科卒/三井住友信託銀行株式会社エグゼクティブアドバイザー)

 

 

 

 

「コストカット型経済」から、「成長型経済」へ

 

コロナ禍がすぎて、海外の運用会社の人たちと面談する中で、しばしば聞かれたことがあります。「日本は元気がない」、「日本は色々な変革を計画しているが今度こそ本気なのか?」—。欧米のビジネスマンたちには、停滞を続けてきた日本経済が本当に変わりつつあるのかという不安や、変わって欲しいという強い期待があるのです。
いま政府は、バブル経済崩壊以降の失われた30年ともいわれる沈滞した経済を「成長型経済」へと転換させようと、「新しい資本主義の実現」という包括的政策を推進しています。今日は皆さんに、そうした取組みをマクロ的に説明したいと思います。とりわけその政策の柱のひとつである「資産運用立国実現プラン」について、背景や、金融機関の視点から俯職的にお話しします。
また、少子高齢化や多様性の尊重、あるいは働き方改革、そして地方創生など、近年の社会動向を意識しながら、皆さん自身の「将来のありたい姿」について、私の経験をもとに何か示唆できれば良いと考えています。

 

さて、現状の日本経済を俯瞰してみます。
2024年度の年次経済報告書、いわゆる経済白書の中では、2024年の賃上げ幅は5.17%と、高水準の賃上げが実現しています。5%超えの水準は1991年以来の33年ぶりのことでした。企業収益も3年連続増で過去最高となり、3月決算の東証プライム市場上場1071社の純利益は、前期比20%増となっています(約46兆8,285億円)。
好調な企業収益を背景に設備投資も名目100兆円と、過去最大規模です。株価水準も、1989年12月29日(1年の最終日である大納会)に記録した値を今年(2024年)の2月22日には34年ぶりに更新して、3月4日には史上初の4万円台に到達しました。株価はバブル期の水準をようやく取り戻した状況にあります。
こうした動向を踏まえて白書では、30年間続いたデフレ脱却の千載一遇の好機が訪れた、とうたいます。そしてそれは、投資や賃金の抑制を図るばかりだった「コストカット型経済」から、民需が主導する「成長型経済」への転換の兆しだと結論づけられています。

 

 

「新しい資本主義」へと動く日本経済

 

日本の財政状況を確認しておきましょう。令和6年度の国の一般管理会計予算を見てみます。
歳出総額は、約112兆円。そのうち社会保障費が約38兆円。以下予算の多い順に防衛関係費、公共事業費などとなっています。国債費として27兆円(予算割合の24%)が計上されています。発行されてきた国債などの利払いと償還に当てる予算です。
歳入項目を見ると、税収は増加基調にありますが、歳出額を賄うには社会保障額に迫る35兆円以上の公債金調達が必要で、つまり全体のおよそ4分の1が借金の返済に費やされているわけです。
この状況を財政の健全度指標のひとつである基礎的財政収支(プライマリーバランス)で見ると、予算上の「基礎的財政収支対象経費」が85.9兆円に対して、歳入の税収などは69.6兆円。政府が目標とするプライマリーバランスの均衡には、16.3兆円くらいの不足となります。今年(2024年)6月に政府によって、国と地方のプライマリーバランスを2025年度に黒字化する、という目標が示されました。そのためには、「賃上げと投資が牽引する成長型経済」による税収増が前提となります。実現すれば、1991年度(10.7兆円の黒字)以来実に34年ぶりの均衡となります。

 

そもそも国や地方の予算には、一般会計と特別会計があります。2024年度は、一般会計が112兆円に対して、特別会計予算はその約4倍の436兆円。一般会計と特別会計間の出入りを相殺した歳出純額は、一般会計の2倍ほどにもなる207兆9,000億円です。
特別会計には13の会計があります。代表的な「年金特別会計」では、現役世代が毎月支払う保険料が収入となり、年金受給者への給付が支出となります。
特別会計は独立会計なので原則として税金を財源としていませんが、補助金として税金を投入したり、逆に剰余金として一般会計に戻ってくる場合もあります。この複雑さが、一般には理解しにくいところです。

 

「普通国債残高の推移」と「主要先進国の債務残高の対GDP比の割合」のグラフを見てみましょう。デフレが続き、高齢化による社会保障費の増加やコロナ禍の財政出動などで、国債残高は今年度末で1,105兆円と推計されています。対GDP比では、先進主要国群を遥はるかに上回る250%を超える水準にあり、財政の持続性が懸念される状況です。
では日本の国債は、誰もが持っているのでしょう。2024年3月末の速報値では日銀が576兆円で、その割合は53%強。これが2012年12月末では、日銀の割合は、わずか9%でした。このとき銀行などが41%、生損保などで22.4%です。背景には、日銀が金融緩和策として市場から国債を買入れ、金融市場に潤沢なマネーを供給したことがあります。
2013年に行われたいわゆる異次元緩和では、当初年間50兆円、14年10月以降は年間80兆円へと国債の買入れを増額しました。そして2016年9月からは長期金利(10年)をゼロ%に誘導するために日銀が国債を買い入れます。これがイールドカーブ・コントロールです。日銀の国債の買入れは、長期金利の誘導手段にもなりました。

 

財政の安定性をチェックするために、一般に「ドーマー条件」という定理が使われます。簡単に言えば「自然利子率」が「経済成長率」を下回っていれば財政破綻は起こらない、というものです(一方で「自然利子率」の正確な計測は、どの中央銀行にとっても容易なことではありません)。ドーマー条件を用いてアメリカの高名な経済学者ポール・クルーグマン(2008年度ノーベル経済学賞受賞)は、「日本は財政破綻に陥らない」という見解を公表しています(2020年)。
しかし国際通貨としての円を見れば、現状の金融政策と低成長経済が続いた場合、その相対的役割が低下していくことは否定できません。経済が仮に2%程度の実質成長した場合、36年くらいでGDPは倍増します。しかし日本は2023年度で実質成長率0.8%ですから、これが継続した場合、GDPが倍になるには90年近くを要するでしょう。
国際金融市場が日本の財政上のリスクを織り込み始めると、長期金利が急騰して利払い費が急増するなど、財政運営は不安定になる可能性があります。また日本の預金者が低金利の円預金を手放して、ドルや他の国際通貨の預金にシフトした場合には、日本の銀行預金が減少して、日本国債の需給バランスが崩れることも懸念されます。ちなみに今朝見たアメリカのソニーバンクのドル預金の6カ月定期金利は、8%でした。もちろん為替リスクはありますが、こうした与件からも、デフレ脱却と成長ステージへの転換が必要なことがわかると思います。

 

 

日本の人口問題と皆さんの世代

 

ちょっと余談めいた話題提供をします。
資産運用をめぐって、「72の法則」といわれるものがあります。運用資産が投資元本の2倍になる年数・利回りの計算方法で、「1年間の運用利回り(%)×運用期間(年)=72」になるのです。つまり利回りが年3%の場合、運用資産が投資元本の2倍になる期間は、72÷3で24年です。
また「126の法則」があります(慶応大学枇々木規雄教授提唱)。
これは積立投資の場合です。積立投資をした場合に、元本が「どの程度の利回りで何年間運用を続ければ2倍になるのか」を容易に計算するもので、「1年間の運用利回り(%)×運用期間(年)=126」になります。つまり運用利回りが年3%の場合、毎月投資した場合に運用資産が投資元本の2倍となる期間は、126÷3で42年になります。

 

さてここで、日本が抱える大きな問題である人口動態を見てみましょう。
「国立社会保障・人口問題研究所」の日本の将来推計人口のグラフ見ると、総人口は2025年の1億2,362万人から2050年には1億468万人と、1,894万人も減ります(ちなみに日本の人口ピークは2008年の1億2,808万人)。同じ期間で15歳から64歳の生産年齢人口は7,347万人から5,540万人へと、1,807万人減る推計です。人口予測は確実な数字であり、こうなることは数十年前からわかりきったことでした。ではなぜ手を打てなかったのか—。政治を動かす男性議員たちには、それを認識することもできなかったでしょう(票にもならないので)。その意味でも、議員をはじめとして社会の第一線で活躍できる女性たちを増やしていかなければなりません。
ヨーロッパなどの多くの国は、この問題に直面していません。背景には、社会不安などの副作用を伴いながらも、多くの移民を受入れている現実があります。日本では、厚生労働省公表の2023年10月末時点の外国人労働者数は、前年比12.4%増の204万8,675人。欧米に比べると桁がちがいますから、日本は外国人労働者の受入政策に関して難しい課題を抱えています。これは皆さんの世代がじっくりと考えなければならないことだと思います。
人手不足対策としては、働き方改革をはじめ、ロボットやAI、DXなどテクノロジーによる生産性の向上が欠かせません。また女性の活躍や、このあと触れますが「人的資本経営」へのシフトも欠かせないもので、リスキリングやジョブ型雇用に代表される労働市場の深い改革が見込まれているところです。

 

ここで皆さんの世代について考えてみます。
大学卒業の23歳から65歳まで働くと仮定して、卒業までのモラトリアム期間と定年後の年金受給期間で人生の半分ほどを占める状況には、社会保障や労働経済学上もさまざまな課題や論点があるでしょう。将来的には、70歳までの継続雇用や定年年齢延長、あるいは定年制度自体の廃止など、働き方の根本が変わる可能性があると思います。現時点の朗報としては、新卒採用市場での学生優位の状況は当面続いて、初任給の引き上げなどが予想されます。
しかしながら人生100年時代ですから、皆さんが「将来のありたい姿(自己実現)」を考える場合、40年以上の長いスパンでスキリングやリスキリングなどに取り組むことが重要です。私自身は商大生のころにそんなこと考えもしなかったのですが(笑)、長くビジネスの世界で経験を積んできた者として、皆さんにはそこをしっかり意識することをアドバイスしたいのです。

 

 

 

 

貯蓄から投資へ

 

日本銀行調査統計局が、日本・米国・ユーロエリアの「家計の金資産構成」というデータ(2024年3月末)を公表しています。
日本の家計の金融資産は、2,199兆円。アメリカは122.5兆ドル(143円換算で1京7,518億円)、ユーロエリアは、30.5兆ユーロ(159円換算で4,850兆円)と、各国・エリアとも高齢化の途上で金融資産が増加傾向にあります。ちなみに総人口で割ってみると、日本がひとり当たり約1,800万円、アメリカが5,300万円、ユーロエリアが1,400万円となります。グラフで注目したいのは構成割合です。日本の現金・預金の構成割合は50.9%と、米国の11.7%、ユーロエリアの34.1%に比べてとても高いことが確認できるでしょう。政府は家計の金融資産に対して「貯蓄から投資」を推進してきました。しかし安全資産としての現預金が依然として過半を占めています。背景には何があるでしょうか。
4つに分析することができます。(1)個人の金融リテラシーの問題。(2)金融機関の投資商品の提案態勢やフォローアップ態勢が十分ではないこと。そして、(3)デフレが長期化しているためにインフレ下とちがって預金を持っていても価値の減ることがないので、リスクテイクを避けたいという人々の心理。さらには、(4)家計の金融資産の過半を65歳以上で保有している人口構造的影響。

 

しかし、コロナ禍後の世界的なインフレは、エネルギーや主要原材料を輸入に頼る日本では物価上昇に直結しています。まず円安があり、労務費などのコスト転嫁が要因です。だからこうしたインフレを上回る規模の賃金上昇が求められているわけです。
インフレが進む世界では、資源をはじめとしたモノの取り合いになっています。ニセコでは牛丼一杯が三千円、などということは知られていますね。また、海外旅行に行って円の価値がほんとうに下がっているんだな、と実感した人もいると思います。
「コストカット型経済」から、民需が主導する「成長型経済」へ日本がシフトして、さらには、個人が適切に資産形成に取り組むことで国民資産を増加させていくことがとても重要になることが理解できると思います。

 

 

「新しい資本主義」の時代

 

「2%の物価目標達成に向け日銀が積極的な金融緩和を行うことを宣言」する—。安倍政権のもとで2013年に公表された政府と日銀の共同声明にはこうありました。以後いわゆる「アベノミクス」が、金融緩和と財政出動によってデフレ脱却を図るための政策となります。
その後2021年10月に岸田政権では、「成長と分配の好循環、賃金と物価の好循環の実現」をめざして、「新しい資本主義実現本部」が設置されました。2022年6月には「新しい資本主義のグランドデザイン及び実行計画」が決定されます(その後改定版公表)。
「新しい資本主義」とは、今日のテーマである「資産運用立国の実現」の文脈でいえば、個人の金融資産を投資に向かわせて、その資金によって企業が成長し、さらにその恩恵が個人に還元されるといった循環をめざすものです。「資産所得倍増プラン(2022/11)」や本日のテーマでもある「資産運用立国実現プラン」などは、その包括的政策の構成要素となります。この流れは石破政権でも追認されて、「賃上げと投資が牽引する成長型経済の実現を図る」ことが掲げられています。

 

「新しい資本主義」の枠組みの中に位置づけられる「資産運用立国」という政府の指針にふれました。そこを深掘りしてみましょう。その実現をめざすのが「資産運用立国実現プラン」です。
資産運用立国の本質は、個人(家計)の資産形成を促進して国内の投資を活性化させ、「成長と分配の好循環」を実現することにあります。
これは2022年11月の「資産所得倍増プラン」に始まります。総理を議長として内閣に設置された「新しい資本主義実現会議」で決定されたこのプランの主旨は、官民挙げてのベースアップや最低賃金の引上げなどによって個人の可処分所得を増加させながら、GDP(2023年度名目596.5兆円)の5割強を占める個人消費を喚起することです。
また、NISAの拡充を通じて資産形成を促すことで、経済の好循環を作りだそうとする狙いもありました。それを実現させるためには、金融商品の販売会社である銀行や証券会社に対して、個人が安心して投資可能な環境整備を進める内容となっています。

 

「コーポレートガバナンス改革の実質化に向けたアクション・プログラム」では、主に上場株式の発行会社である企業にガバナンス上の改革を迫り、資本効率を高めながら、内外の投資家から魅力ある投資対象として認められる仕組みづくりが進められます。
他方で、機関投資家のうち、年金基金や銀行、保険会社などの金融機関や財団など、資産を保有する組織をアセットオーナーと呼びます。この分野でも多様な受益者の利益実現と、企業や日本経済全体の持続的成長をめざすことがうたわれています。

 

 

個人が安定的に資産形成を

 

ここで、「資産運用立国実現プラン」の目玉政策である個人の資産形成の推進策について説明します。皆さんも少なからず興味があると思います。
今年(2024年)1月から新NISAが開始されて、3月末時点の総口座数は2,323万口座(1月~3月で187万口座増)、買付額は42兆円(同6兆円増)となっています。6月末では、2,427.7万口座と全国民の2割程度の数です。NISAが資産形成の一手段として浸透しつつあるのだと思います。

 

政府は、ライフプランやライフステージに応じた資産形成やNISAの適切な活用をするために、個人の金融リテラシーの向上が重要だと考えています。そのために金融業界や金融経済教育推進機構(J-FLEC、今年8月に本格稼働)が連携した取り組みが進められているのですが、そこでは2028年度末を目途に、金融経済教育を受けたと認識している人の割合を、米国並みの20%にすることが目標です。そして2027年末時点のNISA総口座数を3,400万口座、買付額を56兆円に増加させる目標を置いています。さらに中期的には、家計による投資額(株式・投資、託・債券などの合計残高)の倍増をめざしています。

 

一方でこの分野にあまり興味がなく、自分には関係のない話だ、と思っている人もいるでしょう。けれども卒業して企業人になると多くの人は、従業員自らが年金資産の運用を行う「確定拠出企業年金制度(=DC:DefinedContribution)」を導入している企業に入ると思います。
(2024年7月時点で、東証プライム上場企業1,624社のうち75%が同制度を導入)。そこではガイダンスを受けたのちに自らの判断で投資信託や元本確保型商品を選択して運用することになるのです。

 

株式市場の需給面についても説明します。
企業が他社との営業上の関係などを作って維持するために保有している株式を政策保有株(いわゆる持合株式)といいます。この比率の高い企業は収益性に劣る、という市場の声があります。そこで資本効率を改善するために、見直しが進んでいるのです。米国の金融情報会社ブルームバーグの推計では、1,000社以上の日本の上場企業が削減方針を打出し、いま50兆円に上る保有株売却が進行中です。記憶に新しいところでは今年の2月に、損保4社が6兆円以上の政策保有株をゼロにすると公表しています。
このように個人や海外投資家が日本株により魅力を見いだし、さらに活発な投資が促進されることをめざす施策が、株式の需給の面からも進められています。

 

個人の利益実現という観点からは、株式や投資託に加えて、プライベートアセット(PA)を提供することが挙げられます。PAとは、証券取引所に上場していない、デット(銀行以外の主体による融資)、株式、不動産、インフラ、農地、森林などを対象に、一般的にファンド方式で提供されます。いま日本の金融機関は、未上場株式や不動産・インフラなどのPA領域の強化を進めています。PAは上場株式と違って市場価格の変動を受けにくいものの、換金性や流動性に制約がある分、相対的に高いリターンが期待できます。PAは分散投資の拡張として有効ですから、これまでは機関投資家が中心でした。しかし現在は、欧米のように個人向けにも投入されつつあります。
参考までに、PAの収益特性について触れておきます。ブルームバーグの調査によると、過去18年の運用リターンを比較すると、日本株式が約2.5倍、世界株式が約4.2倍、非上場株式は約14倍というデータがあります。M&Aや非上場化する企業の資金需要やスタートアップ成長資金の供給機能としての市場拡大も、見込まれるゆえんです。

 

 

 

 

北海道・札幌市、金融・資産運用特区に

 

今年(2024年)6月に政府から、「金融・資産運用特区」に関する内容が公表されました。
「金融・資産運用特区」とは、金融サービスや資産運用セクターの発展に向けて、新たな資産運用にとどまらず、スタートアップやGX(グリーン・トランスフォーメーション)など魅力的なビジネスや生活環境を整備して国内外の投資を呼び込みながら、地域経済が発展しやすい環境の整備をめざすものです。対象地域の4地域のひとつに北海道が選ばれたことを知っている人も多いと思います(他には東京都、大阪府・市、福岡県・市)。

 

この特区の枠組みの中で北海道・札幌市は、脱炭素化に向けた企業や社会の取組みを促してGXに関する資金や人材、情報の集積などの実現をめざす、と位置づけられています。具体的には、これからの高いポテンシャルを持つ洋上風力発電や、次世代エネルギーとして期待の高い水素が軸になります。
人類が直面する気候変動問題に向けて、2015年のパリ協定採択後、昨年のCOP28では各国の削減目標を中間評価するグローバル・ストックテイクが行われました。日本はいま、世界第5位の温室効果ガス排出国です。それを全体としてゼロにする「2050年カーボンニュートラル」の実現と、2030年度に温室効果ガスを2013年度比で46%削減することをめざし、さらに50%に向けて挑戦する目標を掲げる日本ですが、それでもなお実質目標化した「1.5℃目標」には十分ではありません(2015年12月のCOP21で合意された、世界の平均気温上昇を産業革命以前に比べて1.5℃に抑える努力を追求する目標)。

 

カーボンニュートラルへの行程は極めて難しく、日本の事情も複雑です。その中で、2030年までの石炭火力全廃の方針を打ち出していないのは、G7の中で日本だけとなっています。また、昨年のCOP28では、再生可能エネルギーの設備容量を現状の3倍に増やすことが合意されましたが、日本は賛同しているものの、コミットはしていない状況にあります。
こうしたことを踏まえると北海道・札幌市のGX金融・資産運用特区の取組みは、カーボンニュートラルの実現に向けて大変意義のあるものと言えるでしょう。
そして投資を引き寄せるグリーンプロジェクト自体はもとより、税や財政面のサポートや日本固有のビジネス慣習の排除など幅広い取り組みが、海外からの投資を呼ぶには不可欠です。私は北海道と札幌市がこうした課題を解決して、特区事業が順調に進展することを大いに期待しています。

 

政府は、今後10年間で150兆円の官民投資を実現するロードマップを公表しています。
北海道と札幌市も、10年で40兆円もの投資を呼び込みたいとしています。北海道の名目GDPは2021年度で20.6兆円ですから、そのスケール感がわかるでしょう。
今日では環境問題と経済問題は不可分です。アメリカや欧州もグリーン投資が活発であり、経済産業省の試算では、10年間で世界の投資額は4,000兆円と言われています。金融機関が担う役割もますます大きくなっていることがわかると思います。

 

 

人的資本経営の進展

 

皆さんの卒業後のことを考えてみましょう。
ここまでの話で、成長型経済にはハードな労働環境が待っていると思ったかもしれません。しかし安心してください。企業はいま、人材に関する取組みをも大きく変化させています。キーワードは、「人的資本系経営」。
人的資本経営とは、人材を「コスト」ではなく、「資本」として捉え、その価値を最大限に引き出すことで企業価値向上に繋げる経営のあり方です。
経営陣は、中長期的な企業成長をかなえるために人材の戦略を立てます。また、その方針を投資家との対話や統合報告書などでステークホルダーに説明していきます。それが持続的な企業価値の向上に欠かせないからです。

 

人的資本経営の取組みの開示は、投資家や求職者への訴求力にも繋がり、2023年3月期からは上場企業を主とした大企業で情報開示が義務化されました。
人的資本の開示項目には、従業員の健康・安全、育成や流動性、ダイバーシティなどが含まれます。これらは従業員のウェルビーイングの向上と深い関係にあります。つまり、企業のウェルビーイングの追求が、人的資本の価値を最大化し、企業価値の向上に繋がるのです。

 

社会に価値を提供し続けるべき企業において、(1)安心安全な職場で、(2)信頼関係のある仲間と共に多様な挑戦に取組み、助け合い、高め合い、(3)組織と社会に対して価値を提供できる状態にあること。それが従業員のウェルビーイングです。
(株)日本能率協会マネジメントセンターが行った実態調査によると、上場企業の62.5%、非上場企業の37.2%がいま、人的資本経営を重視しているというデータもあります。
また近年、アメリカの政治学者、ロバート・パットナムが唱えるソーシャルキャピタル(社会関係資本)も脚光を浴びています。これは、「物的資本」や人的資本などと同様に「人と人の関係性自体を資本として捉える」考え方です。人々の協調行動が活発化すれば、社会や組織の効率性を高めることができるでしょう。

 

 

意識してほしい「アニマルスピリット」

 

新しい資本主義の実現の文脈で、資産運用立国実現プランを概括してきました。
ゼロカーボンをはじめ、サステナビリティ社会の構築に向けた多様な取組みが世界で進行しています。日本は、人口減少基調にあるものの、永年続いたデフレから成長型経済の転換の兆しが顕在化しつつあります。
サステナビリティ社会の構築のためには、産官学の連携を通じた技術革新による産業構造の転換が重要になります。そしてその実現には言うまでもなく、資金・資産・資本の活用が不可欠です。金融機関をはじめとするインベストメント・チェーンを構成するそれぞれのセクターが、その役割をしっかりと遂行することが求められます。
また、こうした社会課題解決のためには、皆さん一人ひとりが卒業後も学び続けて成長していくことが重要です。自分のウェルビーイングを実感しながら自己実現を図っていくことが大切なのです。皆さんが社会人になるころには、日本のダイナミズムがもう少し本格的に復活していることが期待されます。

 

皆さんの年のころ私が読んだ本に、『知の旅への誘い/中村雄二郎、山口昌夫』という岩波新書がありました。そこで論考されていた「知的好奇心」は、私の学生生活に大きな影響を与えました。
知的好奇心とは、「新しい物事を知識や体系に基づいてより良く知りたいと思う自発的で意欲的な情熱」です。「知的情熱としての好奇心」は学生生活はもとより、その後の進路でも大切なものです。この志向があれば、どんな時にも学びつづけ、それを仕事や人生の活力にしていくことができるでしょう。

 

もうひとつ触れたいのは、「アニマルスピリッツ」です。
これはイギリスの経済学者ジョン・メイナード・ケインズが名著「雇用・利子および貨幣の一般理論」(1936年)で提唱した概念です。その部分を抄訳します。
「投機による不安定性のほかにも、人間性の特質に基づく不安定性、すなわち、我々の積極的活動の大部分は、道徳的なものであれ快楽的なものであれ、あるいは経済的なものであれ、とにかく数学的期待値の如きに依存するよりは、むしろ自ずと湧きあがる楽観に左右されるという事実に起因する不安定性がある。何日も経たなければ結果が出ないことでも積極的になそうとするその決意のおそらく大部分は、ひとえに血気(アニマル・スピリッツ)と呼ばれる、不活動よりは活動に駆り立てる人間本来の衝動の結果として行われるのであって、数量化された利得に数量化された確率を掛けた加重平均の結果として行われるのではない。」

 

私がなぜこの言葉を持ち出したかというと、冒頭の話に戻ります。海外の運用会社の方々が「日本は元気がない」、「日本は色々な変革を計画しているが今度こそ本気なのか」という類いの質問を多く受けたことです。
こう問われるたびに私は、日本や日本の企業、そして企業人たちにこの「アニマルスピリッツ」が弱くなっているのではないか、と考えるようになりました。つまり血気や野心的取り組み、知性や理論を超えたある種の動物的な衝動でなにがなんでもやり遂げとるんだ、という意志や、それを実現させる力が弱くなっているのではないか、と。もちろんこれが過度になりすぎたときに何が起こったかを思い出せば、近年ではバブル経済やリーマンショックなどの事例があります。
しかし転換点を迎える日本の現状において、これから社会に羽ばたこうとする皆さんにとっては、遠くに据えた目標に向かってやり遂げる意志や野心的な取り組みは、絶対に必要です。先ほどあげた「知的情熱としての好奇心」の「情熱」は、ギリシャ語のパトス(情念)と言い換えることもできるでしょう。それも根は同じで、アニマルスピリッツと通底するところがあるのかもしれません。
皆さんのこれからの一層の成長と活躍を期待しています。

 

 

 

 

<北嶋雅彦さんへの質問>担当教員より

 

Q これからの時代に金融機関が果たす役割、とりわけ信託銀行はいまどんなミッションを抱いて企業活動を展開しているのでしょうか?そこには銀行と信託銀行の違いも見えてくると思うのですが?

 

A 近年の私たちは「三井住友トラストグループ株式会社」としてまとまりながら、グループを構成する銀行、信託銀行、証券会社などがそれぞれ業務に当たっています。不動産の売却などは信託銀行の仕事ですが、グループ会社のそれぞれが個人、法人、投資家などの皆さまの資産をいかに効率よく運用して増やしていくかというミッションに向かっています。グループは密接に連携しているので、信託銀行単独のミッションという捉え方をすることはあまりありません。

 

 

Q なるほど、そういう時代の中に新たに入っていく学生諸君には、北嶋さんがくぐり抜けてきた80年代90年とはまたちがった資質や考え方が求められているのではないかと想像します。これからの金融マンに求められる能力やセンスはどのようなものでしょうか?

 

A 例えば上場市場など公開(パブリック)された市場で取引される資産とは違って、流動性の低い未公開(プライベート)の取引になるプライベートアセットの分野などは、伝統的な銀行業務とはかなり違うでしょう。新卒採用については、グループとして一括採用を行い、そこから適性や希望を見て銀行や証券などに分けられていく同業社もあります。
弊社は2025年春から、いわゆるJOB型雇用に舵を切ります。職務内容(ジョブ)を明確に定義しながら、それを遂行するのにふさわしいセンスやスキルを育成しようとしているのです。ですから就活では、漠然とゼネラリストをめざすよりも、自分がこの先どんな分野で成長していきたいのかというところにフォーカスした志向が求められるでしょう。学生生活の中で、そこを意識して勉強してほしいと思います。

 

 

Q 変化の時代に、日本の経営者像も変わってきたと感じますか?

 

A ひとつには、外国の資産運用会社の目を意識せざるを得なくなりました。彼らからすると、600兆円もの内部留保を漫然と抱えているように見える日本企業は、自社の企業価値を高めるための努力をしていないように捉えられます。経営陣のマインドが変わらなければ、世界で展開するビジネスが立ちゆかなくなっていくからです。それは社内の人事評価の基準にも影響を及ぼしています。

 

 

<北嶋雅彦さんへの質問>学生より

 

Q 失われた30年の分析で、「アニマルスピリット」が低下している、というお話が印象的でした。日本はなぜそうなってしまったのだとお考えですか?

 

A 成長とは無縁の「失われた30年」が蝕(むしば)んでしまったと思います。失敗をしない、おとなしい優等生ばかりが評価された時代です。しかし今は逆に、1を2にするのではなく、何もない0から1を立ち上げるような人材、心の中から血気(アニマルスピリット)が湧き上がる人たちが求められているのです。

 

 

Q そういう人間になるために、学生時代をどう過ごすのが良いとお考えですか?やはり仲間の存在は大切でしょうか?

 

A 誰も知らないこと、誰もやっていないことの中に自ら飛び込んでいくような気持ちを大切にしてはどうでしょうか。私は、自分の中で明確な意識づけはなかったのですが、20代後半くらいから結果的にそういう仕事をしてきました。強く興味を引いたことがあればじっくりと調べながら考えて、腰の重い上司を必死に説得しました。いわばアニマルスピリットがあったのです。そういうことが何度かありました。例えば、2000年に日本に導入された退職給付会計をめぐる事業展開などです。そして、自分がどうしてもしたいことがあるのなら、まわりに理解してもらって彼らを巻き込まなければ事態は動きません。その意味で組織の横の繫がりも大事だと思います。

 

 

Q 仕事でとても苦労したハードな体験があれば教えてください。

 

A 小さな苦労や失敗はたくさんしましたが、正直に言うと、私は苦労したことは忘れてしまうのです。実は私は若いときから、まわりから「武闘派」と言われていました(笑)。みんなの前で上司と大喧嘩することが何度もあったからです。おかしいと思ったことはため込まずに吐き出してしまうので、ストレスも少なかったと思います。一方で、部下に声を荒げることはしません。喧嘩した上司とも、そのあと口もきかない、というわけではなく、ずっとふつうに会話ができるのが私でした。
ときにはそれは違います、と誰かが声を上げなければ、同調性の強すぎる組織は必ず衰退します。そこが成長する組織に必要で、大事なポイントです。

 

 

Q 「人的資源経営」をめぐって、従業員のウェルビーイング向上のために重要なのはどういうことでしょうか?

 

A 第一に安全安心に働けて、信頼できる仲間たちと学び合い、刺激を与え合って、組織と自分が成長することが実感できる環境だと思います。会社がそういう方向に向いていないと良い人材が集まりませんし、安定して働けません。当社では三ヶ月に一度部長職が部下の働きぶりや仕事への考え方などをサーべイして、ひとりひとりの変化を確認しています。

 

 

Q 人生百年時代で昔よりもずっと高齢になるまで働く時代に、若いときのように知的好奇心をいつまでも持ち続けるのは難しいのではないかとも思います。その基礎を作るために、大学時代にやっておくべきはどんなことでしょうか?

 

A 具体的に言いましょう。自戒を込めてのアドバイスになりますが(笑)、英語によるコミュニケーションの力をしっかり基礎固めしておくことですね。特に会話です。加えて、確率統計論の分野。マーケティングをはじめあらゆる分野で巨大なデータをどう活用していくかが問われる時代ですから、複雑な事象に対して確率論的なアプローチは欠かすことができません。

 

 

Q 「GX金融・資産運用特区」についてもう少し説明していただけますか?

 

A 洋上風力発電や水素エネルギーに代表されるGX(グリーン・トランスフォーメーション)分野で北海道が持つポテンシャルには、日本有数の規模があります。だからこの分野には、従来のような融資の枠組みを超えた、莫大な投資を呼び込む必要があるのです。GXと資産運用がセットになっていることには、そういう意味があります。
この特区が動かすビジネスは、産官学が一体となって起こす巨大ムーブメントです。そこには自治体の職員から金融のスペシャリスト、そして科学者や土木のエンジニアなどが分厚く関わり合い、例えば申請書類ひとつとっても英語がデフォルトなるような、質量ともにこれまで北海道が経験したことのない世界になるでしょう。先進国のあいだでは2035年には石炭火力発電を全廃しようとしていますが、日本のポジションはこの分野で最後尾です。日本が取り組まなければならないことは数え切れないほどありますから、一面でそれは北海道にとてつもなく大きな機会と可能性をもたらしていると言えるのです。

 

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