エバーグリーンからのお知らせ

2024.12.04

令和6年度第9回講義:廣瀬 彩さん(H13卒)「やりたいことが見つからない-どのように進路を決めるか-」

講義概要(12月4日)

 

○講師:廣瀬 彩 氏(2001年商学部商学科卒・北海道大学公共政策大学院修了/北海道上海事務所所長)

 

○題目:「やりたいことが見つからない-どのように進路を決めるか-」

 

○内容:

小樽商大入学後の私は、将来の明確な目標などがなく、自分が何をしたいのかがよく分からなかった。その糸口を掴むために、比較的得意であった中国語を磨くため中国に留学し、国際ビジネスの分野への就職を希望していたが、留学が終わって帰国する直前に事故に見舞われて、挫折してしまう。そこから進路を練り直して、現在は上海で仕事をする道庁職員の私がいる。自分の経験をもとに進路選択のヒントを提供しながら、北海道庁の仕事についても解説したい。

 

 

やりたいことがまだ見つからない人へ

 

廣瀬 彩 氏(2001年商学部商学科卒・北海道大学公共政策大学院修了/北海道上海事務所所長)

 

 

 

 

空っぽの自分を埋めたくて中国留学

 

昨日上海から帰ってきました。私は現在、北海道上海事務所の所長を務めています。
さて皆さんの中には、「自分はこの先なにをしたいのか、分からない、決められない」、という方がいると思います。小樽商大生だったときの私がまさにそうでした。でもやがては必ず、誰もがどこかで道を選ばなければならないときが来ます。今日は自分の経験をもとに、そんなときのヒントになるようなお話しができれば良いと思っています。

 

私は札幌生まれの札幌育ちで、ずっと北海道を出たことがありませんでした。大学受験では、父の影響もあって土木工学の世界に進もうと思っていました。でも残念ながら前期日程で北大工学部には合格できず、後期で小樽商科大学をめざすことにしました。浪人はしたくないし、商大の後期日程は数学の微分積分だけで受験できたので、なんとかなるかな、と思ったのです。いまは分かりませんが、当時の微分積分の教科書は比較的薄いもので、ひと月のあいだ教科書を丸暗記するくらいの勢いで勉強して、合格できました。
この時点で私の進路は大きく変わってしまったのですが、なにしろとにかく合格することが目標だったので、大学生活が始まってもやりたいことがありません。でも1年生の夏休み、友人に誘われて中国の上海市にある復旦大学に1カ月語学留学してみました。
とても楽しかったことを覚えています。授業はだいたい午前中で終わって、午後はいろんな国からの留学生たちと出かけたり、おしゃべりしたり。30年近く前の中国ですから、いまとはまるで違う国です。

 

2年生になって、授業やアルバイトなどそれなりにがんばっていましたが、気づくとあっという間に3年生です。学友たちはスーツを着込んで熱心に就活を始めました。エントリーシートの書き方や面接をめぐっていろんな話題が飛び交いますが、私はどうしても同じようには振る舞うことができませんでした。自分が何をしたいのか、まだ皆目わからなかったからです。そして、自分には就活でアピールできるものが何もないな、と思いました。進路を決められないということ以前に、自分がまるで空っぽであることに気づいてショックを受けたのです。

 

自分に何があるのか。その糸口は、比較的得意で楽しく勉強していた中国語だと思いました。だから自分の武器にするために、中国語をもっともっと磨こうと決めました。そして、4年生の一年間で、大連(遼寧省)にある東北財経大学に留学することにしたのです。小樽商大と交換協定のある大学です。学友たちには1年遅れて留年することになってしまいますが、たいした問題ではないと感じました。
問題は厳しい両親をどう説得するかなのですが、意外にすぐ納得してくれました。それならば行ってくれば良いんじゃないか、と。交換留学生になれば向こうの学費が余分に掛かることもないし、寮に住めるので当時の中国では月に1〜2万円あれば十分に暮らせました(円もいまほど安くはありません)。バイトで貯めていた貯金もありました。

 

 

難しい状況の中でなにを選んでいくか

 

留学して中国語の力を磨いて、学友たちに一年遅れた就活では、語学力を活かして商社やメーカーに就職しよう。私はそう考えていました。
でも充実した一年を送ってあとは帰国するだけ、というタイミングで、とんでもない事件が起きてしまいました。寮のキッチンで学友とランチのパスタを茹でていたとき、コンロが載っている台の脚が突然折れて、鍋のお湯を浴びてしまったのです。すぐ日本の領事館に連絡して病院を手配してもらい、入院するよう言われました。でも当時の中国ですから、見るからに古くて汚い病院で、塗り薬をはじめ処方される薬もよく分からないものでした。この薬の成分は何ですか?と聞いても、企業秘密です、などと返ってくる始末です。これではダメだと思いました。意を決して、次の日のフライトのチケットを取ってとにかく帰国することにしました。友人たちが頼もしく助けてくれて、心強かったです。

 

その後札幌での入院生活は2カ月に及びました。
満足な就活もできませんから、もう民間企業は無理だな、と思いました。ならば、ベッドで通信教育をこなして公務員試験をめざそう!私はそう思いました。公務員予備校には通えませんから、入院しながらの試験勉強を始めたのです。
このころ私には、自分を客観的に見る時間がたっぷりありました。自分の強みとして分かっていることは、まず中国語の力。そしていろんな人とコミュニケーションするのが好きなこと。加えて、病室でテキストと向き合いながら、自分は勉強は嫌いではないな、と思いました。
でも大やけどを負うことで、こういう道を進みたい、と考えていた進路はまた霧の中です。ですから自分が本当にやりたいことは、まず就職してから考えようと思いました。そのためにはまず、いろんな仕事が幅広くあるところが良いだろう。調べてみると、公務員という仕事は専門的な職種もあれば、数年ごとにさまざまな分野を経験していく職種もあることがわかりました。公務員への道は、そんな思いから見いだしたものでした。

 

ここまでの話を、「自己決定」をキーワードに整理してみます。
私はまず大学受験で希望の進路(工学部志望)を挫かれました。でも微分積分を丸暗記して商大に入りました(笑)。4年生のときには、中国語を磨くために留学しました。しかし帰国直前のトラブルでまた希望進路(中国語を活かして商社かメーカー)が消えてしまいました。でも公務員試験の勉強に通信教育で取り組みました。
振りかえってみると、大きな壁が立ちはだかるたびに私は、特別難しいことをしたのではなく、その状況の中でできる最善の道を「自己決定」してきた結果、いまにつながっているのだと思います。皆さんもきっと、希望が叶わなくてうなだれてしまうことがあると思います。そこで竦(すく)んでしまったり、ひねくれるだけでは何も始まりません。暗中模索しながらも、できることのひとつふたつは必ずあるのです。それを自ら選んでいけば良いと思います。

 

 

 

 

北海道道庁での仕事

 

ここから、いま私が勤める北海道庁についてお話しします。皆さんは道庁の具体的な仕事についてどのくらい知っているでしょうか?
私は中学生に道庁の仕事を紹介したことがあるのですが、そのときの資料を使って紹介します。まずは、クイズです。
次のうち道庁が関わっている仕事はなんでしょう?
(1) 漫画コンテスト (2)映画のロケ (3)水道や電気メーターの計量 (4)ヒグマ対策 
正解は、… 全部です。

 

北海道がたくさんの人気漫画家を輩出していることはご存知だと思います。道庁は漫画文化のさらなる振興を目的に、2016年から「北のまんが大賞」という公募を開催しています(札幌市と共催)。審査員には出版社やプロの漫画家が入っており、優秀作品にはそのまま出版、デビューの声がかかることもあります。
また北海道の自然や歴史、産業は映画などの題材やロケ地としても人気があり、道庁では各地のフィルムコミッションや市町村と連携するロケーション連絡室を設けて調整に当たっています。また、例えばヒット漫画から映画化まで展開された「ゴールデンカムイ」では、時代やアイヌ文化の考証にアイヌ文化振興課という部署が協力しました。
水道や電気メーターの計量はこれらとずいぶん畑が違いますが、家庭や企業の電気水道、小売店の計りやタクシーのメーターなど、社会にたくさんある計量器が正確に使われているかどうかは、北海道計量検定所という、経済部にある部署がチェックを行っています。計量器は、重要な社会インフラのひとつですね。
また近年とくに問題になっているヒグマへの対策は、道の野生動物対策課が担い、情報の受発信や専門家の派遣などを行っています。

 

公務員には、国全体の行政を担う国家公務員と、地方公共団体の職務を担当する地方公務員があります。地方公務員の中でも、都道府県単位のフィールドで仕事をする公務員と、市町村単位で仕事をする公務員がいて、道庁職員は前者です。
都道府県の公務員の役割は、大きく3つに分けることができます。ひとつは、道路インフラ(道道)に代表される「広域的な仕事」。2つ目は、道内の各市町村を「つなぐ仕事」。各地の声をつないで国に届けたり、コロナワクチンの接種では、まず厚労省から道庁へワクチンが送られ、そこから各市町村に分配されました。病院が少ない市町村には、医師の派遣なども調整します。
3つ目の役割は、多くの予算や専門家を必要とする「専門的な仕事」です。

 

災害発生時の対応を例に、道庁と市町村役場の役割分担を見てみます。
2018年9月6日午前3時ころ。北海道胆振東部地震が起こりました。最大震度7。40名以上の方が亡くなり、北海道全域がブラックアウトになってしまった大災害です。私たち道庁の職員は翌朝早く出勤すると8時半に道庁を出発して、現地に向かいました。厚真町の役場の職員さんを支援するためです。強い揺れと土砂崩れによってインフラは破壊され、被災した方々が学校の体育館に集まっていました。人手が足りず、現地は混乱と困窮の極みにありました。私たちは6人ひとチームでできることに取り組みました。少し落ち着いてくると、避難所の生活環境の整備に当たりました。ルールを設けてそれをみんなで守りましょう、と呼びかけます。
かつてならこういう場合、力仕事ができる男性職員だけが派遣されました。しかし、避難している方は男性も女性もおり、ニーズもさまざまです。そのため、近年は、女性の避難者へのきめ細やかなケアのために女性も派遣されるようになり、授乳室の設置や運営などに当たります。私の家もまだものが倒れたり混乱した状況で早朝自宅を出たので、家族のことが心配ではありました。それでももっともっと大変な人たちを助けることは、貴重な経験でした。役場の人たちから、こんなときに駆けつけてくれて助かりました、と謝意を告げられると、ああ道庁の職員で良かったな、と心から思いました。

 

 

道庁職員としてのキャリア

 

私が道庁に入庁して24年経ちました。
整理してみると、20代は社会福祉課で生活保護のケースワーカー、税務課では納税窓口(相談や徴収)で、社会経験の乏しい若者にとっては出会ったことのないような人々への対応が続きました。毎日は緊張の連続で、ストレスも募りました。しかしこれは若い職員が配置される定番のポストでもあり、上司や先輩が支えてくれました。

 

31歳で人事課に移ったことが転機になりました。人事課の仕事は、給与の制度設計や、人員の配置、新規・中途の採用、人材育成などです。道庁全体を見て、どこになにが必要かを考えます。例えばコロナ禍のときには、観光分野の人員を保健福祉分野に振り分ける、ということをします。
それまでは毎日目の前の仕事に追われる状態でしたが、人事課の仕事では、道庁を俯瞰する目を持つことができました。大きな組織の細部を理解するのに役立ったのです。そして、今度はこの部署で働いてみたい、この仕事をしたい、と思えるようになりました。
それはどこかというと、経済部です。
またこの時代に私は、北大の社会人大学院である公共政策大学院で2年間学びました。勤務が終わってからの大学院生活は楽ではありませんでしたが、その後に生きるたくさんのことを学び足しすることができました。

 

経済部は、社会福祉や税務とはまったく違うベクトルで、がんばる企業や人々を応援します。公平公正を旨とする役所の中では、特殊とも言える仕事です。経済部に行きたい、地域の経済を動かす人たちを応援したい!といろんな人にアピールし続けると、34歳で願いが叶いました。はじめはエネルギー分野の仕事でした。
次にまた人事課をはさんで、38歳で再び経済部に異動になり、今度は観光の仕事をしました。インバウンドに関連して、中国をはじめ、海外出張が増えました。ついにようやく、私の中国語力が活かせたのです。現地で通訳を介さずにはりきって仕事をする私を見て、上司やまわりの人たちは、この人には国際系の仕事をさせよう、という目線を向けてくれるようになりました。ここからいまの私が始まるのですが、その間42歳から3年間、三度目の人事課勤務も経験しました。

 

希望していたわけではありませんが、私にとって人事課勤務は、そのときそのときで道庁が社会から何を求められているのかを人の配置などを通じて知ることでき、その理解の上にまた経済部に戻ることで、仕事に対する視野をより深く広げられたように思います。
また20代で経験したケースワーカーや納税窓口の仕事には辛いこともあったと言いましたが、キャリアを積むにしたがって、その時代の経験が大きな糧になっていることを感じます。2023年から上海にいて、異文化のさまざまな壁に悩んだり苦労することもありますが、あの時代の自分の毎日はいまに直結しているのだ、と実感できます。

 

 

北海道上海事務所の仕事

 

私が北海道上海事務所で取り組んでいる仕事を説明します。
事務所で道庁職員は私ひとりです。つまり1万3,000人ほどいる道庁職員の中で私だけが上海にいるわけです。北海道の海外事務所はほかにソウル、シンガポール、サハリンにあります。ほかに外務省の大使館に派遣されている職員もいます(ちなみに上海には緑丘会の支部もあり、上海でも小樽商大の先輩たちが活躍しています)。

 

地方公務員がなぜ海外で働いているのでしょう?
それは、北海道の企業が中国の市場を開拓したり、北海道に中国から優秀な人材に来てもらうことを支援するためです。
もう少し背景を説明すると、皆さんもよく知っている少子高齢化の問題があります。若い層が減る一方で高齢者層が年を追って分厚くなり、生産年齢人口(15歳〜64歳)も減っていきます。
働く人が少ないと生産性は上がりません。同じ仕事を一人でやるのと、二人でやるのとでは差が生まれますよね。また、企業が一生懸命作った商品も、人口が少ないと買う人が少なくて、儲かりません。日本はいま、働く人も足りないし、物を買ってくれる人も少ないんです。北海道と日本の中だけに閉じこもっていては、日本は、そして北海道は衰退していくほかありません。

 

そこで、私のように海外事務所で働く地方公務員は労働者確保のために、外国から企業を呼び込んだり、優秀な人材に働きに来てもらえるように、北海道で働くメリットを説明するセミナーを開催したりします。海外の市場を開拓するために、中国に向けて輸出したい北海道の企業と、道産品の取り扱いをしたい中国の企業をマッチングしたり、展示会などで北海道ブースを構えて、北海道企業と一緒に商品のPRをしています。
北海道と日本の中だけに閉じこもっていては、日本は、そして北海道は衰退していくほかありません。

 

私の仕事の中身を具体的に言うと、北海道に観光客を呼び込むこと、北海道の商品や企業を売り込むこと、北海道への留学を応援すること、そして北海道に進出する会社・工場・ホテルなどの設立を手伝うこと。つまり、「北海道のためなら、何をしてもOK!」なのです。
私には日本語が上手な中国人の若い女性が部下にいますが、ひとりや二人でできることは多くはありません。そこでいかに協力者や北海道ファンを作っていくかがつねに問われます。
北海道の最新の観光情報やグルメの試食などを提供するファンイベントを開催したときは、150人の枠に1,000人以上が応募してくれました。その模様はライブ配信もしたのですが、30万人もの人たちが見てくれました。
また北海道銘菓の会社の上海出店をお手伝いしました。当局とのいろいろな調整が必要で時間はかかりましたが、オープニングのテープカットにも呼んでいただきました。
北海道のお米をPRすることにも力を入れています。北海道米は全国的に人気になりましたが、中国での知名度はありません。まずは上海の日本料理店、そして中華料理の店にもアピールをしています。日本大使館主催のイベントに参加して、北海道産のいくらと米を使用したいくら丼を提供すると、大好評でした。うちでも出してみたい、というレストランの方もいて、うれしかったです。

 

 

目の前のことにきちんとやり続けること

 

今日の話をまとめます。
学生生活をおくりながら、いまは特にやりたいことが見つからない、と思っている人も少なくないと思います。でも、でも、それは問題ありません、大丈夫です。繰り返し言ってきたように、私自身がそうでした。しかしどんな人でも、進路を選ばなければならないときが必ず来ます。だからそのときに備えて、選択肢をたくさん増やしておきましょう。私が強調したいのはそこです。ではどうしたら選択肢が増やせるのか—。
残念ながら近道はないと思います。目の前のことに一生懸命取り組むしかないのです。小樽商大での毎日の授業は、長い歴史の上に、現代のプロフェッショナルである先生たちが一生懸命考えて提供してくれているものです。だからたとえ不平不満があったとしても、まずは一度ちゃんと受け止めて吸収してみましょう。
アルバイトでも部活でも、時にはイヤな思いをすることがあるでしょう。でも、めんどくさいとか人間関係に困るといったことは、仕事をするようになれば毎日出くわします。だからその練習だと思ってください。小樽商大より行きたい大学があった、と思っている人もいるでしょう。でも、このキャンパスからどんな繫がりが始まるのか、予測などつきません。
私は中国留学を経て、商社やメーカーの国際ビジネスの最前線で働きたいと思っていました。でも火傷というアクシデントがあって、願いはかないませんでした。けれども、いま上海で仕事をしている私がいます。
私から見れば、いまこの場にいること自体が、まず皆さんは恵まれていると思います。授業でもバイトでもサークルでも、自分の意志で選んだり熱中することができるのですから。だから目の前のことをきちんとやり続けましょう。それだけで、きっと自分の武器は増えていきます。

 

それと、道庁の新卒採用の面接官を務めたこともある私から、就活へのアドバイスです。
面接官は志望者に、背伸びしたことや、立派な意見など求めてはいません。そもそも道庁で働いてもいない学生が、どんなに偉そうなことを言っても、リアリティも説得力もないのです(笑)。
私が面接官として意識したのは、この人が自分の部下になったとしたら働きやすいかな、組織の力が増すかな、ということでした。専門的な知見は、経験の中で磨いていけば良いのです。友だち関係でもそうではないでしょうか。この人といっしょに何かするのが楽しいとか、この人とやれば物事が進みやすいとか、もっと上を目指せる、とか。そういう友だちは人気がありますよね。ふだん愛想の悪い人が、面接のときだけ愛想をよくしようとがんばっても、大人には通じません。そういうことを覚えておいてください。

 

 

 

 

<廣瀬 彩さんへの質問>担当教員より

 

Q 大学時代の思い出をもう少し聞かせていただけますか?

 

A 講義でお話ししたように、自分が何をしたいのかがよく分からないまま始まった大学生活でした。中国と中国語に興味はもっていたのですが、その時点では留学を考えるまでには至っていません。でも広い意味で海外には興味があったので、ゼミはプラート・カロラス先生の国際マーケティングを選びました。中国をテーマにするのは私だけでしたが、ほかにそれぞれいろんな国に興味を抱いている学生が集まっていて、楽しかったです。
いちばん仲良くなった友だちはドイツ研究で、卒業後にドイツ人と結婚してドイツに渡り、いろんな動機があって向こうの大学の医学部に入りなおして、見事ドクターになりました。文系の小樽商科大学の卒業生の中にはそういう人もいるんだ、と知ってください。その親友をはじめ、ゼミの仲間たちとはいまも繋がっています。

 

 

Q 30代の始めに北大の公共政策大学院(社会人大学院)で学ばれたのには、どんな動機があったのでしょうか?

 

A 社会福祉課と税務課でいろんな方と関わる仕事をして、人事課で道庁全体を俯瞰する目を意識するようになりました。さてこれから自分はどんなキャリアを積もうかと考えると、このままで大丈夫?という気持ちがありました。たまたまこの大学院が開いていたセミナーに参加してみて、自治体の現場を動かす政策のことを知るには、その手前にある政治のことも知らなければならないと思いました。政治と政策、産業、社会といったことの基盤をちゃんと学び足して、キャリアの糧にしたかったのです。
同期の学友は30人くらいで、半分は学部の新卒者。あとの半分は、私のような公務員や企業人、自治体の議員もいました。そのころの私はそのころの私は、残業が少ない職場にいて時間的に余裕があることも追い風になりました。

 

 

Q 時局によって日中の関係には複雑なゆらぎもありますが、現状はどのような認識をお持ちですか?

 

A 私の仕事には、SNSなども含めて中国のメディアを毎日チェックすることもあります。在任中にいちばん緊張したのは、昨年(2023年)夏に、中国が福島の原発の処理水放出に対して強く反発したときでした。北海道のホタテをはじめ日本の水産物の輸出が止まってしまい、上海の日本料理店も強い逆風を受けました。潰れてしまった店もありました。私は日中のSNSを注視していましたが、どちらにも相応の言い分があります。つまりは話し合うことしか解決策はないんですね。私は、騒ぎが大きくなる前にどうしてもっと話し合いができなかったのだろう、と率直に思いました。
仕事の立場で言えば、日本の事情や日本の人々の心情を正しく理解して、それをいつでも説明できるように準備しておくことが大切だと思っています。意外かもしれませんが上海の人々の多くは、寿司が大好きだし日本に行ってみたいと思っているのですから。

 

 

 

<廣瀬 彩さんへの質問>学生より

 

Q 北海道庁の少子高齢化対策への取り組みにはどんなものがあるのでしょうか?

 

A 一次産業から三次産業まで、道庁ではそれぞれの部署でさまざまな取り組みを行っています。最もダイレクトなアプローチとしては、保健福祉部で婚活イベントを行っています。
もう少し広い視座では、やはり少子化の根底には家事や育児に女性の負担が大きい現状があり、その問題解決を図るために、例えば在宅勤務を増やしていくといった環境の整備が進められています。オンラインで自宅で仕事をする際に情報漏洩などのリスクがないように、万全なセキュリティが約束されたシステムの構築なども重要です。また現在の道庁では、職員ひとりひとりに公用スマホが支給されていて、例えば上司に決済を求めて業務を進めることも、その端末でやりとりが完結します。判子をもらうためだけに出勤する、ということもなくなりました。
道内の多くの企業が、道庁の福利厚生やワークライフバランスの取り組みに準拠しています。北海道の働く環境のスタンダードを、道庁がレベルアップさせていく意味も意識しています。

 

 

Q 上海事務所の体制や、中国で仕事をするために必要な語学のレベルについて教えてください。

 

A 講義で言ったように、道庁職員は私ひとりで、私をサポートしてくれる現地の職員(日本語ができる若い女性)と2名体制で業務に当たっています。同じ部屋に日中経済協会の方々もいるので、合わせて全体で日本人5名、中国人7人になります。一般に上海駐在の日本人の中には、中国語をほとんど喋ることができない方もいます。そういう方は仕事には必ず通訳を介します。
私の中国語は、日常会話に不自由はありませんが、経済や法律など専門的な領域に入ると、現地職員の助けが欠かせません。でも、外国語を話すときによくあることですが、こちらが一生懸命気持ちを込めて話すと、向こうも真剣に聞いてくれます。中国の小学校で日本や北海道のことを紹介する機会があったのですが、「私の中国語は上手じゃないけれど、どうか聞いてくださいね」と最初に言うと、みなさん真剣に耳を傾けてくれました。

 

 

Q 上海で文化の壁を感じたり、暮らしづらいことはありますか?

 

A 中国の方はみなダイレクトです。何かの説明をするにも、最初に結論をズバッと言う必要があります。そして、日本人よりもだいたい時間にルーズです(笑)。歴史文化を異にする、日本とは別のお国柄ですね。上海は、行ったことのない方が抱いているイメージよりも、たぶんはるかに大きなまちで、私の感覚だと東京の5倍くらいあります。周辺部から出稼ぎに来ていて人口登録をしていない人を含めると、人口は3,500万人以上。DXが進んでいて日常で現金を使うことはないので、日本に帰ってくると、不便だな、と感じることも少なくありません。

 

 

Q 北海道の紹介で人気があるのはどういう場所ですか?そして北海道の課題として、中国からはどんなことが見えますか?

 

A 北海道らしい自然の風景やグルメは定番ですが、上海の人たちは北海道の田舎に行きたがります。中国では人口が多く人口密度が高いので、人がひとりもいないような広い風景に憧れを抱くようです。また彼らはSNSの反応にとても敏感で、イイねをもらえるような北海道の写真を盛んにアップしてくれます。そしてそれは、日中関係の良好さと密接に繋がっています。一部で日本バッシングが起こっているような時期に北海道の写真を上げてもあまりイイねがもらえないので、北海道旅行の発信もしなくなるのです。
中国から見ると、日本人は自分の意見をあまりはっきり言いません。それは自分に自信がないからだろう、と思われてしまいます。そのため私は、つねに自分の意見をしっかり言おうと気をつけています。向こうの人は、ビックリするくらいどうしようもないことを、実に堂々と言ってのけます(笑)。でもそういう意見の百のうちひとつに、なるほどそうかもしれない、と思うことがあるのです。それで良いんだな、と思います。

 

 

Q 商大時代の勉強でいま役に立っていることはどんなことですか?

 

A 勉強については胸を張れるほどのことはしていないのですが、語学は比較的好きでがんばったかな、とは思います。中国語のほかには、やはり英語ですね。上海にはいろんな国の人が行き交っているので、中国語のほかに英語でコミュニケーションを取ることが多いのです。日本語を勉強した中国人も、ふつうに英語が使えます。彼らは、英語が上手じゃない日本人を、「大学に行ったのに英語がしゃべれないの?」という目で見るのです。
それと、卒業後に私は必要に迫られて、マクロ経済とミクロ経済に分けて経済学をあらためて自学しました。統計学もそうです。学生時代にもっと真剣に学んでおけばよかったのですが…。

 

 

Q どんなアルバイトをしましたか?

 

A 家庭教師や飲食店などです。JRAの馬券売りのバイトは1日1万円もらえて、魅力的でした。2か月間、土日は桑園の札幌競馬場に通ったことを思い出します。家庭教師をした子から志望大に合格しました、とか、飲食店で働いた仲間が自分の店を出したよ、とか、当時関わった人たちの中には、その後も連絡を取り合っている人もいます。また、これはバイトではありませんが、中国からの留学生の世話係もしました。語学の勉強にもなって、楽しいやりがいがありました。

 

 

Q 現在の廣瀬さんはご自分の特性や志望に沿ったお仕事をされていると思います。でも大きな組織では、自分が望む部署に行けることは少ないと思います。どんな心構えをしておけば良いでしょうか?

 

A 私は若いときから、選ばれる人間ではなく、選ぶ人間になりたい、と思って来ました。つまり、私はこの仕事にふさわしいのでやってみたいです、と手を挙げてそれをまわりから認められるような人です。そのためには、とりあえず目の前に与えられたことを高いレベルでこなしていくことが大切です。へそを曲げて落ち込んでいる暇はありません(笑)。特に20代では分からないことがたくさんありましたが、臆せずまわりにどんどん質問しました。道庁のような大きな組織では全員が数年ごとに異動を繰り返します。だから新しい人に何かを教えることが当たり前の文化なのです。場数をたくさん踏めば、なりたい自分に近づけると思っています。

 

 

Q 中国留学で思い出深いエピソードなどを教えてください。

 

A いまから四半世紀前の中国ですから現在の中国とはかなり違っていました。留学生はみな寮住まいで、門限は夜8時です(現在の留学生事情は分かりません)。でも土曜の夜になると私たちは、まちに遊びに行って朝帰りをよくしました。もちろん管理人さんに怒られます(笑)。なにしろお金がないのでホテルにチェックインすることなどできませんが、サウナに行くと格安で朝まで休んでいられると分かって、道が開けました(笑)。
商大と同じで留学生の世話係がついてくれます。私を担当してくれた人は朝鮮系の中国人で、韓国語も話せます。彼女から中国語や韓国語をたくさん教わりました。いまでも仲良くしてもらっていて、来月には二人で長白山(北朝鮮との国境近く)という山を登る約束をしています。

 

 

担当教員より

 

Q 最後に後輩たちにエールをいただけますか?

 

A 繰り返し言いましたが、学生時代の私には、進路も目標もよく見えていませんでした。皆さんの中にもそういう方がいると思います。でもいつかは進路において何かを選ばなければならないときが必ず来ます。その過程では、私が留学先で火傷をしてしまったように、アクシデントもあるでしょう。もっと大人になって家庭を持てば、そういうリスクはさらに増していきます。どんなに安全確実な道を選んでいっても、人間は必ず転びます。そのときに回りからサポートを受けられる人になるためにも、逃げるのではなく、ひとつひとつに向き合って乗り越えていくしかないのだと思います。そしてそういう経験のひとつひとつが、あなたをきっと強くしてくれるはずです。

 

アーカイブ

月別

資料
請求