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2024.10.23

令和6年度第3回講義:茂木 元晴さん(S46卒)「日本におけるバブル経済崩壊の実証とその後遺症」

講義概要(10月23日)

 

○講師:茂木 元晴 氏(1971年商学部商学科卒/茂木会計事務所 税理士)

 

○題目:「日本におけるバブル経済崩壊の実証とその後遺症 」

 

○内容:

1980年代後半。日本が好況に沸いて、やがてバブルと言われるまでに過熱する中で、私は都市銀行で仕事をしていた。未曾有の好況は行き過ぎてやがて自壊してしまったが、その時代を知らない後輩諸君に、バブル経済とは何であり、それがなぜ崩壊したのかを解説したい。そしてそれは単なる歴史のひとコマではなく、現在と近未来に直結している問題であることを強調したい。

 

 

バブル経済と、その崩壊がもたらしたこと

 

茂木 元晴 氏(1971年商学部商学科卒/茂木会計事務所 税理士)

 

 

 

 

バブル経済の後遺症の中で生まれ育った皆さんへ

 

私はいまから50年以上前の1971年に小樽商科大学を卒業しました。太陽銀行という都市銀行に入り、1989(平成元)年まで、銀行マンとしてキャリアを積みました。この銀行はやがて都市銀行間の合併や統合の歴史を歩み、太陽神戸銀行、さくら銀行、そして現在は三井住友銀行となっています。この銀行統合の要因には、1990年代の経済不況、いわゆるバブル経済の崩壊がありました。皆さんが生まれる前のことですから、多くの人はうっすらとしたイメージ程度でしかわからないと思います。今日は皆さんに、そのバブル経済とはどんなものであり、なぜそれが崩壊したか、そしてそれが現在の日本にどんな影響を与え続けているかということを、ごく大づかみでお話しします。
生まれたときから崩壊後の社会で生きてきた皆さんには、現在の日本経済のパッとしない状況がおそらく当たり前のものでしょう。しかしそれは、私から言わせれば大いなる失敗の後遺症にほかならないのです。

 

そもそもバブル経済とは何か。
それは本来の収益活動(利益=売上-仕入-販管費)ではなく、企業や個人がキャピタルゲイン(資本利得)を求めること(投機)で土地や株式などの資産価値が異常に高騰することです。キャピタルゲインとは、投資した資産が購入した価格よりも高い場合に得られる利益を指します。
資産価格の上昇局面ではキャピタルゲインを獲得するために、値上がりを期待して資金がどんどん集まります。そしてそれが拡大していく中では、不動産価格や株価が実態とはかけ離れて上昇していくのです。
それは例えば一億円で買った不動産が、1年後には2億円で売れる、という異常な世界です。実際に日本経済は1980年代後半から1990年にかけて、資産価格がそのように膨れ上がって好景気に沸きました。銀行を含めて大企業は互いに株式を持ち合っていますから、私が勤めていた銀行では、社員全員の給料が20年分くらい払えるほどの株の評価益(簿価と時価を比較した未決済の利益)がありました。当時、「24時間働けますか?」というキャッチフレーズを掲げた健康ドリンクのTVコマーシャルがはやりましたが、社会全体がそうした異様な熱気に包まれていました。
しかし冷静に俯瞰すれば、それは実体経済とは別の根拠に乏しい好況にすぎません。不動産や株式の価値が下落に転じると、あっけなく一気にしぼんでいきました。まるで泡(バブル)のように、です。

 

 

信じられないスピードでの株価の暴

 

では私が銀行員時代に実際に立ち会ってしまった株価の暴落と、その悲惨な顛末を具体的にあげて説明しましょう。簿記の基本である、資産と負債に分けたバランスシートの概念図を使って説明していきます。
東京の日本橋にビルを持っていたあるご夫妻がいました。管理のための会社を経営していて、そのビルだけで月に200数十万円の賃料収入があります。お二人はゆうゆうと豊かに暮らしていました。そのころの銀行では定期積立預金をする上顧客のもとに毎月集金を行っていましたが、奥様はそれを毎回新札で用意してくれるような心遣いの方でした。
ご主人は以前から株式投資を小規模に行っていましたが、1980年代後半、世の中がバブルに包まれると、思い切って大金を投資しようと考えました。なにしろそのころは、1億円の株式がひと月後には1億1千万円になることも可能なのですから、ごく自然な発想です。
株を買い増したいので、持っているビルの土地建物を担保に融資してくれないか、と銀行に持ちかけます。その時点でビルの評価額は35億円ほどありましたから、銀行は問題なくすぐ融資を行いました。その額7億円。株は1年で8億円くらいになるだろう、というもくろみです。
しかしやがてバブルが崩壊(なぜ崩壊したのかは、あとで説明します)。7億円の融資で買った株はあっという間に下落して、なんとその価値は8,000万円ほどになってしまいました。社長ご夫妻は真っ青です。ごく短期間で、6億2,000万円もの評価損が出てしまったのです。借り入れた7億円を返していく目途はまったくありません。だから社長さんには、大幅に下落した株を手放し、その上で虎の子である土地とビルを売却して借入れを相殺するしか道はありませんでした。
つまりこのご夫妻は、有価証券(株式)も土地も建物も全てを失い、さらには収入源(家賃収入を生む不動産)さえ手放さざるを得なかったのです。本来の事業ではなく、持っている資産で融資が成り立ってしまうので、こういうことが全国で起こりました。これがバブルとその崩壊です。
一方で銀行側は、担保権を執行して全額を回収したので、損出はありませんでした。

皆さんは、銀行が与信(信用)がある顧客に融資を行うとき、どんな手順があると思いますか?日銀に頼んで顧客の講座に振り込むのでしょうか?それとも支店から本部に連絡が行って、銀行の本部が振り込むのでしょうか?
実は、顧客を抱える支店が、コンピュータで伝票を一枚起こすだけで7億円もの融資ができてしまいます。ですからこのご夫妻は、簡単に借入れができて、結果としていともあっけなくすべての財産を失ってしまったのでした。

 

 

 

銀行に深い傷を負わせた不良債権

 

もうひとつ実際に起こった例を紹介します。今度は土地の相続が招いた悲劇です。
東京の中央区に100坪の土地を持っていた方が亡くなり、娘さんが相続しました。その時点で土地の評価額は50億円です。
さて皆さん、相続税ってどのくらいかかるものだと思いますか?評価額によって異なりますが、この場合は50%。半分が税金で持って行かれるのです。だから娘さんは、法定期限内に25億円を用意しなければなりませんでした。
当然そんな額の現金の蓄えはありません。でも土地の価格は右肩上がりの時代ですから、娘さんは土地を手放さず、それを担保に25億円を借り入れました。後知恵で考えれば
土地の半分を売ってすぐ税金の用意をすれば良かったのですが、時代の勢いがそんな発想を否定しました。銀行としても、しっかりとした土地を担保に取っていますから、融資にまったく問題はありません。
しかしやがてバブルが崩壊して、土地の評価額は15億円に急降下してしまいます。評価損はなんと35億円。借り入れた25億円よりも10億円も多いのです。つまり実勢価格15億円の土地に25億円もの相続税がかかったのでした。
娘さんはやむなく土地を15億円で売りましたが、あと10億円はまったく返済不能です。娘さんは破産してしまいましたし、さらに銀行には、貸し倒れの10億円が不良債権として残されました。銀行もまた大きな痛手を負ったのです。
注意してほしいのです。資産価値は市況によってプラスへもマイナスへも、大きく変動します。しかし借入金の額はつねに変わりません。

 

全国でこうしたことが数知れず起こりました。すべての大手都市銀をはじめ、日本の金融機関は途方もない不良債権を抱えたのです。公式な発表はありませんでしたが、私はその金額は100兆円ではきかないと思います。
もし銀行がつぶれてしまえば預けてある大切なお金(預金)が失われてしまいます。歴史の教科書には、それを怖れた人々が銀行を幾重にも取り囲んで大騒ぎをした、という話が載っています。しかしこのときの日本では、そこまでの騒ぎは起こりませんでした。各店が必死に対応して、預金を解約する人たちを一階のカウンターではなく上階の部屋にあげて処理したのです。日銀は各行にキャッシュをピストン輸送しました。

 

 

 

 

バブル経済拡大の過程

 

いまの皆さんから見れば、なぜこんな愚かなマネーゲームに日本中が熱狂したのか、不思議に思うことでしょう。当時の日本では俗に護送船団方式といって、大手銀行は国が守るという枠組みがありました。ですから銀行間では、大蔵省(現・財務省)や日銀の動向にすぐさま協調しながら、あそこがやればうちもやるという具合に、戦略や戦術が密接に共有されていたのです。

 

銀行はまず担保ありきで、担保がある優良顧客(企業・個人)に向けて貸し出し競争が起こりました。企業も個人も、貸借対照表が与信によって資産負債とともに膨れあがりました。ではそもそもなぜバブル経済が発生したのか—。
詳しく言えばそれだけで今日の講義を費やしてしまうので深入りはしませんが、始まりは1985年の「プラザ合意」です。この年に先進5カ国(アメリカ、イギリス、フランス、ドイツ、日本)の蔵相と中央銀行総裁がニューヨークに集まって、いわゆる「プラザ合意」が結ばれました。この場でドル高を是正することが各国で合意されたことで円高となって、日本経済の屋台骨である輸出産業で不況が進みます。それに対処するために日銀は歴史的な低金利政策に舵を切りました。その結果、日本の市中にお金があり余る状況が生まれます。
ダブついたマネーが不動産や株式をはじめ、絵画や宝石、あるいはゴルフ会員権などの価格を押し上げます。企業も本業とは別に、不動産投資に血道をあげました。それらをほしい企業や人(需要)がたくさんあれば、価格は当然さらに上がり続けます。銀行では業務推進部と融資部が協働して、顧客のニーズに応える本来の融資ではなく、銀行の儲けのために猛烈な営業が展開されました。まさに泡(バブル)です。

 

融資額が増加すれば当然銀行の利益も膨らみます。企業も株価などの資産価格が上昇することで好景気に沸いて含み益が増して、それによって給料も増え、インフレによる好循環が生まれていきました。大手上場企業のこの時代のベースアップは、実に前年比25%にも達しています。
そこで、サラリーマンのあいだでさえ不動産やゴルフ会員権への投資ブームが起こったのです。私も買ってみようかと思ったほどですが、値上がりを見越して年収の数倍ものゴルフ会員権を買うために、サラリーマンが銀行から融資を受けました。自分がどうしても欲しいから、とがんばって買ったのではなく、短期間で価値が上がると信じて、キャピタルゲインを求めただけの買い物です。それは一方で、銀行からの借入れで多くの負債を負った個人がたくさんいたことも意味しました。
あるデータによれば、バブル最盛期のゴルフ会員権の平均価格は、3,600万円以上。いまはわずか100万円前後です。

 

 

バブル崩壊とは?

 

1989年の「大納会」(証券取引所の年末の最終取引日)となった12月29日。日経平均株価の終値が、当時史上最高値である3万8915円 87銭を記録しました。これは今年(2024年)の2月にわずかに更新されるまで、なんと35年ものあいだ最高値でありつづけます。
さて政府は、景気が異常なまでに過熱していくので過度のインフレを危惧しました。そこで大蔵省は1990年3月に、土地の価格を抑えるために急ブレーキを踏みます。銀行の土地に対する融資を、その他の融資の伸び率以下にせよという、いわゆる「総量規制」をかけたのです。これは効きました。効き過ぎたほどで、1年半ほどで規制は終了しました。
一方で日銀は、同じ目的でそれに先駆けて利上げを行っていて、2.5%だった公定歩合はその後6%まで引きあげられ、引き締めを続けます。市中の資金を抑えたのです。これらがのちの長期デフレの原因とみられることになりました。不動産価格はみるみる下がり、その他の資産(株式・ゴルフ会員権・絵画・宝石など)の価格も同様に下落してしまいました。それがもたらした悲劇の一例は、さきほどお話ししたとおりです。

 

大蔵省も日銀も、市中の現場を詳細に見ようとせずに、上から目線で一方的に施策を強行したのが間違いだった。私はそう考えます。市場の動きを慎重に見定めながら、じわじわとブレーキを踏むべきだったのです。事実アメリカなどでは、日本の失敗を反面教師にしてそういう政策がとられました。
日経平均株価の最高値が35年も更新されなかったことに代表されるように、これが日本の失われた35年です。皆さんは大失敗した経済の中で生まれ育ったのでこの状態が平常だと思うかもしれません。しかし渦中にいた人間からすると、あまりにもひどすぎる時間が無為に過ぎてしまった、という思いがあります。

 

バブル崩壊がもたらしたことをもう少し具体的に説明します。
まずなんといっても、資産価格が下落したことで企業や個人、そして銀行に莫大な含み損が発生しました。銀行がこぞって貸し出したお金によって取得した資産が、みるみる下落していったのです。
銀行が融資したのは、資産の担保があったからですが、資産価格が融資した金額よりも明らかに下落して、担保割れになってしまいました。半年間返済が滞ると強制返済となりますから、借入れをした企業や個人は含み損のある資産をやむなく処分して穴埋めしました。しかしそれでも足りません。資産より負債の方が多い債務超過の状態です。
そして金融機関には膨大な貸倒れ(不良債権)が発生しました。経営が立ちいかなくなった金融機関が出始め、北海道ナンバーワンの大手銀行だった北海道拓殖銀行や、日本の四大証券会社のひとつだった山一証券などがあっけなく破綻しました。銀行再編が始まります。

 

 

国力を衰退させたデフレスパイラル

 

こうなると経済は破局的に混乱してしまいます。資金需要が減っていくので市場からお金が減っていきました。お金が市場で回らなくなるのです。業績を上げて損失を埋めるための即効薬として企業に何ができるかといえば、合理化やコストカットです。設備投資やイノベーションの逆のベクトルですね。少しでも無駄と思われるものをカットすることで、貸借対照表で減ってしまった資産価額を回復させるのです。そして経営陣は、絞り出したお金で内部留保に走ります。資産を負債より増加させることは、企業利益にほかならないわけです。市中にあって経済をまわすはずの資金は企業に留保され、デフレーションが深刻化していきました。
こうなれば当然消費者のマインドも節約、節約、となるでしょう。お金を使いたくない人ばかりなので、経済がどんどん萎(しぼ)んでいきます。サラリーマンの給料も上がりません。これがデフレスパイラルです。
バブル期には25%もあった会社員のベースアップ(基本給が一律に上がる)は、年にせいぜい1〜2%になりました。この状態がなんと30年以上続いたのです。

 

市場の資金需要が減ったことで、歴史的な超低金利時代が続きました。これは今年(2024年)の7月に日銀が政策金利を0.25%引き上げるまで、20年以上つづきます。金利が低ければ、円は他の通貨に比べて弱くなるので売られることになり、買われません。結果、円安が進行します。税収は伸びずに、国の債務は増える一方です。
こういう社会で、夢をもって結婚して子どもたくさん育てたいと思う人がたくさんいるわけはないでしょう。とりわけ近年社会問題になっている日本の少子化は、保育園が少ないから、といった原因の前に、なんといっても経済のこうした停滞にあります。ひと言でいえば、国力の衰退です。

 

 

回復の兆しが見え始める?

 

ここまで、これでもかとばかりに暗い話を続けてきました。しかし去年くらいから、デフレの出口に薄い光が差し込んできたのが見えている気もします。
ご存知のように小麦や食用油などの食品やガソリンなどの輸入物価がどんどん上がって、スーパーなどで食品の値段が上がり続け、消費者の嘆きや苦しみが大きくなりました。賃上げ要求の圧力が高まって、政府も賃上げに音頭を取るようになりました。そして先に触れたように、日経平均株価が34年ぶりに最高値を更新。企業からの税収も増えています。この夏(2024年)には、基礎的財政収支(プライマリーバランス)の黒字化が実現する試算が出た、というニュースが話題を呼びました。企業が内部留保を新規投資や賃上げに振り向ける方向感が出てきたと言えるでしょう。物価上昇率を賃上げ率が追い越せば、実質労働所得が上昇したことになります。
デフレの終息はまだまだだと思います。しかしあえて希望的な観測を述べれば、デフレ終息の気配が出てきています。賃上げによって国内消費が上向きながら、物価や円安の抑制がうまく進めば、少しずつ経済も改善されていくかもしれません。市場経済の基盤は、社会にお金がたくさん回ることにほかなりません。いろいろな企業や個人間のお金のやり取りが、一周で終わらず何周もすれば、分厚く活気ある経済圏が成り立ちます。
いまはその端緒についたばかりで、今後の経済のかじ取りは簡単ではないでしょう。

 

日本経済の歩みを、資産価値の変動や銀行の行動、そして政府の対応といった切り口で1980年代の後半から俯瞰してきました。
こういう視座を持って経済動向を考える基礎になるのは、いうまでもなく、皆さんがいま学んでいる会計学や経済学です。現在の学生が一生懸命取り組まなければならない学びは3つあると言われます。「金融」、「語学」、「コンピュータ」です。小樽商科大学はまさにこの分野に長い伝統を誇っています。
皆さんはいま勉強していることに根ざして、実経済を注意深く観察していくことが重要です。35年にわたる時代を見て、自分には関係のない昔のことだ、と思うかもしれません。でもいまの日本経済はこの時代の失敗に直結してしますし、私のように年齢を重ねればわかりますが(笑)、35年くらいとは、あっという間に経ってしまう時間なのです。
これからの日本が発展して、皆さんがよりよい生活を送れるようになるためにはどうしたらよいのか。失われた年を経て、ようやく見えてきた良い兆しを大切に発展させて良い経済環境にしていくために、皆さんには実経済を理論的に深く観察する力と、正しく判断できる知性を身につけてほしいと思います。

 

 

 

 

<茂木元晴さんへの質問>担当教員より

 

Q バブル経済というのは、学生諸君は教科書でふれる種類の言葉ですが、その渦中にいた茂木さんにとって、当時の仕事ぶりや仕事への思いはどのようなものでしたか?

 

A 私は単純な出世欲や金銭欲が人よりも薄かったと思います。しかしそんな私でさえ、1千万円で買ったゴルフ会員権が次の年には1.5倍とか2倍になる、などという現実を目の当たりにすると、自分もほしいな、と自然に思いました。バブルへの上り坂のとき私はシステム開発の部署にいて、営業の現場からは距離を置いていたのですが、評価の高い支店長の仕事ぶりには驚きました。つまり、顧客の必要に応えるために融資をするのではなく、富裕層にいかに株や不動産を買わせるかが問題で、とにかくまず融資ありき、なのです。融資のための融資であるこうした仕事をプロジェクトと称して、優秀な銀行マンたちがしのぎを削っていました。私は、さすがにそれには違和感を覚えました。ただ、その渦中にいれば誰もがそうなってしまうのも事実でした。

 

 

Q 茂木さんはバブル経済の絶頂期である1989(平成元)年に銀行を辞めて独立の道へと進むわけですが、そのいきさつはどのようなものだったのでしょうか?

 

A 父親が東京で税理士事務所を運営していたのですが、病気で倒れてしまい、私があとを継ぐことにしたのです。システム開発の部署で高い評価をもらう仕事をしていましたが、ならばこれからは自分のペースで自由に会計の仕事をしてみたい、と思いました。ほどなくして税理士の資格を取るために、埼玉大学と城西大学の大学院で学びました。大学院で学ぶと科目免除制度が使えますから(現在では少し内容が変わりましたが)。このときはじっくり一生懸命に勉強しました。現在の事務所の体制を作ったのは、2009年になります。

 

 

 

 

<茂木元晴さんへの質問>学生より

 

Q 「失われた35年」を経て、去年くらいから出口の光が見え始めている、とのお話でした。これからの日本経済はどうなるでしょうか?

 

A それは、これからの日本経済を現場で動かしていく皆さんの仕事次第だと思います。いずれにしても時間はかかるでしょう。皆さんは、バブル経済に懲りてリスクを取ることを怖れて萎縮した世代とは違います。経済にはリスクをとる勇気も当然必要です。ひとりひとりが小樽商大の卒業生らしく、社会に深く関わって仕事をしていってほしいと思います。

 

 

Q 未曾有の好況が一気にはじけてしまったのは、大蔵省や日銀の政策に誤りがあった、というお話が印象的でした。好況のときに日本はどんなことをすれば良かったとお考えでしょうか?

 

A 税収ひとつとっても、あのころの日本はとても豊かでした。日本の国債発行残高はいま1、200兆円を超えてGDPの2倍ほどにもなる巨大なものですが、1989年ころはそれよりも遥かに少ないもので(約161兆円)、やろうと思えば税収だけでそれをゼロにすることもできたのでした。

 

 

Q 学生時代に一番打ち込んだことは何ですか?

 

A どれが一番かを決めるのは難しいですが、私はソフトテニス部のキャプテンで軟式テニスに熱中していました。テニスは高校時代から取り組んでいました(県立浦和高校)。北大や北海学園大などからなる一部リーグで11連勝したとか、全道優勝したことが懐かしい思い出です。勉強の方も、会計学のゼミでは一生懸命勉強しました。理論会計学の専門書を1日50ページは読み込もう、と自分でノルマを課していました。テニスの練習でもそうですが若い時代には、難しいことに取り組んで、それを自分に徹底してたたき込んでいくことが大事だと思っていました。そのほかでは、麻雀も(笑)。
1971年卒業ですが、当時は1970年の日米安保条約の改定をめぐって、大学の内外で学生運動も盛んでした。私は政治とは距離を置いて、そんなことに熱中していたわけです。

 

 

Q 銀行ではどのようなキャリアを積んだのでしょうか?

 

A 入行後はまず、預金や融資、為替などひととおりの業務を経験しました。コンピュータが行き渡る前の1970年代の銀行では、ほとんどが手作業です。支店で日計表をまとめて、毎日の収支を現金と完全に一致するまで確認します。その後40代は主に、いまでいうDXの分野を司る、システム開発の部署で働きました。

 

 

Q 日本の経済を活気づけていくためには、いわゆる「年収103万円の壁(年収が103万円を超えると所得税が発生するので働く時間を調整する動機づけになること)も問題だと思うのですが、茂木さんはどうお考えですか?

 

A 深く考えるまでもなく、その枠は取り払った方が良いと思います。経済の底力は市場にいかにお金が回っているかにありますから。また一方で、日本がこれほど国民負担率(国民の所得に占める税と社会保険料の負担割合)が高いことも問題だと思います。それも、市場にもっと回るべきお金が政府によって吸い取られているわけです。

 

 

担当教員より

 

Q 最後に後輩たちにエールをいただけますか?

 

A 大学生活の4年間は、ほんとうに短い大切な時間です。この時間で皆さんは、簿記、会計、経済の基礎をじっくり身につけてください。社会に出れば、まわりが小樽商大卒業生に求めるのはまさにその力なのです。そして皆さんはビジネスの世界で実践を積みながら、学生時代に学んだ理論に加えて経済の実態を身をもって学んでいくことになります。日本でも優秀なCFO(最高財務責任者)には、年収が2億円、3億円というという人たちが実際にいます。財務のプロとして仕事の質と収入を目指すのであれば、皆さんにはそういう世界を目指してほしいと思います。

 

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