2024.10.16
令和6年度第2回講義:石川 朋佳さん(R4卒)「未利用資源を活用した地域経済活性化の取組について」
講義概要(10月16日)
○講師:石川 朋佳 氏(2022年商学部社会情報学科 夜間主コース卒/トヅキ合同会社代表社員)
○題目:「未利用資源を活用した地域経済活性化の取組について」
○内容:
トヅキを起業してまだ半年。ここまでの自分が何を考えどう行動してきたのか、年齢の近い皆さんの将来設計のひとつの参考に、経験談を語ってみたい。私は普通高校から農業高校(そば打ち授業が必修の幌加内高校)へ入り直し、その後小樽商科大学で「商学」を学んだ。「農と食」を軸にキャリアづくりをしたい私にとって、大学で農業以外の専門教科を学んだことはとても有意義だった。その後のメーカー勤め、起業に至ったことなどを話したい。
なくならない地域を作るために、私ができること
石川 朋佳 氏(2022年商学部社会情報学科 夜間主コース卒/トヅキ合同会社代表社員)
居場所を求めて普通高校から農業高校へ
私は2022年の卒業で、社会人歴3年目です。今年(2024年)の3月にトヅキ合同会社を立ち上げました。この講座に登壇する先輩たちに比べて圧倒的に未熟な年齢ですが、皆さんと近い立場から、どのようにして起業に至ったか、という経験を話します。私にとって起業は、目標ではなく、手段のひとつでした。
トヅキは、「地域の食と人と向き合い、資源を全て活用した世界」を目指しています。現在は、道北の幌加内町の特産品である「そば」の未利用資源を材料とした商品開発を中心に、人や企業を結ぶ事業を行っています。
私は1998年に札幌で生まれました。お話のスタートは、中学校の修学旅行になります。
そのとき、岩手県の農家さんで農業体験をしました。畑でネギを植えるお手伝いをして、共に食を囲みました。サラリーマン家庭で生まれ育った私にとって、自然のリズムに合わせて知恵と体を使って「生きる」をつくる、農家の生活の全てが刺激的でした。高校から現在まで、私の考えや行動の軸には、「食と農」があります。その原体験が、この出会いでした。この農家さんとは、文通を経て今はラインで交流をしています。10年以上たった今でも繋がりがあることは非常に喜ばしいことです。
中学生時代に進路で迷った結果、自宅から通いながら農業を学ぶことができる、江別の普通高校へ進みました。ただ、通っているうちに「もっと田舎に行きたい」、と思い、退学を決意します。「高校へもう通うことができないかもしれない」、という不安を抱きながら、道内の、農業科のある高校への再進学を考えました。そこで出会ったのが、幌加内高校でした。私は高校に4年間費やしました。いまならサラッと言えることですが、当時は相当な挫折を味わって苦しかったことも思い出せます。そのころの私は「0か100か」という発想しかできなかったので、柔軟さに欠けていましたね。
さて皆さん、幌加内をご存知でしょうか?
現在の人口は1,200人あまり。小さな町ですが、そばの作付面積、収穫量とも日本一(3,200ha、2,900t)を誇ります。また、1978年に- 41.2度という日本の最寒記録を持っています。幌加内には気象庁の観測地点がないので、残念ながら公式記録ではないのですが。
晴れて幌加内での寮生活が始まりました。全校生徒は、たったの40人あまり。親元を離れて来る生徒が多く、正直なところ教育格差を感じる面もありました。「同じ北海道なのに」、とカルチャーショックも受けました。ですがそのおかけで、考えることができる幅が少なからず広がりました。恩師と呼べる先生や、地元の方との出会いによって幌加内での3年間が人生の転機となりました。
全国高校生そば打ち選手権で優勝
幌加内高校では、「そば」の授業があります。簡単にいうと「そばを打てるようになる」ことが卒業の条件です。栽培から収穫、製粉、そしてかえしの作り方、茹で方などの調理にいたるまで、そば作りを総合的に学びます。
現・総理の石破茂さん(当時地方創生担当大臣)ご一行が高校を視察に来たこともありました。外部との交流が多い、特色あふれる高校生活でした。
私は、そば打ちに熱中しました。おかげで3年生のときには、東京で開催された「第7回全国高校生そば打ち選手権大会」の個人の部・団体の部で優勝することができました。全国から30くらいの高校が参加して、制限時間40分でそばを打ちます。そば打ちの基本であるこね・練り・のし・切りという工程のほか、衛生面や準備や片づけも含めて、技術や立ち振る舞いまでが総合的に審査されます。
どんな世界でも、「自分が日本一になった」という経験は、大きな武器になります。私にとってそれは今でも変わることはなく、深まっています。
そばをはじめとした農業の知識や理論や「6次産業」について学びました。「1次産業(農業)×2次産業(加工)×3次産業(流通)=6次産業」の考え方です。
生徒会長も務めたのですが、その年に「幌高商店会」のプロジェクトがはじまりました。校内に製麺会社やそば店、青果店、広告会社など6つの出店枠を設けて、生徒が主体的に運営します。製麺会社ならそば店に麺を売る原価計算をしながら仕入れをして、売上予測を立てて商品を陳列します。生徒たちがビジネスの疑似体験をするのです。
高校生にとっては、生産から販売、消費までを一貫して経営の枠組みで経験できる得がたい体験で、近隣の町からもお客さまが足を運んでくださいます。とても有意義な授業カリキュラムでした。
幌加内高校のこれらの取り組みは、「第10回コープさっぽろ農業賞」で交流賞を受賞しました。そばを栽培するところから、実際にそばのメニューを提供してお金を生み出し、収支を成り立たせるビジネスを行う授業内容は、普通高校では絶対にできない学びでした。メディアからの取材をもたくさん受けて、私自身、地元の食資源を活かして経済を広く動かしていきたい気持ちが、高校生ながらさらに強まったことを覚えています。
小樽商科大学への進学
そば打ち日本一になったことによって、そのままそば職人の道をめざす進路があったかもしれません。ただ私の興味や志向は、第一次産業を中心とした地域の営み全体にありました。
地元の食資源が動かす経済のイメージといいましたが、そのときは文字通りイメージにすぎなくて、具体的な方法はよく見えていません。そのことをちゃんと理論的に学ぼうと、私は小樽商科大学の夜間主コースに進学することを決めました。農業をもっと深く広く知るためには、違う視点が必要だと思ったのです。商大が、グローバルな視野を持って地域(ローカル)の課題を解決できる「グローカル」の学びを掲げていることに強く惹かれました。
高校の担任の先生はじめ、たくさんの人が背中を押してくれました。入試の面接で、必死にアピールしたことをよく覚えています。
1年生の本気(マジ)プロでは、「小樽の関係人口を増加させる」ことをテーマとして、小樽ファンのしるしとしての「おたるしるし」というピンバッチなどのアクセサリーを作ってネットで販売しました。市内のガラス作家さんを訪ねて協力していただいたのですが、自分たちで企画して、制作の仕組みを作り、販売してお金にするという、一連の流れが体験できたことがとても勉強になりました。高校でも同じような取り組みをしましたが、そのときはいかに先生の力に頼っていたかを、身にしみて感じました。本気プロで自分たちが主体的に動く重要性を知りました。
1年生の最終盤では、初めて海外へ行きました。タイのマンゴー農園で、農業ビジネスの現地調査を行いました。見るものすべてに感動と学びがありました。
インターンシップには積極的に参加しました。幌加内と異なるやり方の農業や食を体験したかったのです。具体的には、道東の浦幌町でのインターンがあげられます。内容は、地域おこし協力隊の新卒採用の広報活動です。町の方々にインタビューをして、自分たちでデザインやライティングを行ったフリーペーパーを作りました。
また名古屋の食品原料メーカーでは、BtoBビジネスの新規顧客獲得のプロモーションの中で、Twitter(現X)を運営しました。
島根県の隠岐諸島では、「農業×デザイン」というテーマで、「つながるデザイン」をキーワードに島の皆さんと交流しました。
十勝では農作業・酪農体験。濃密に農業に取り組みました。
インターンシップでは、現場でさまざまな学部の学生と協働します。商学専攻の私にとって、生物学などの学生と議論しながら共に成果物をつくることは、とても新鮮でした。
学生生活の後半の2年はコロナ禍で思い通りにいかないことも多かったのですが、視点を換えれば講義はリモートが基本ですから、それを良いことに、私はできるだけいろいろな地域を旅しました。奄美大島からゼミに参加したこともありました。
起業を見据えた就活
就活の時点で私は、「起業は30歳とか40歳くらいかな」と、漠然としか考えていませんでした。社会人経験をしたくて、人生の糧となる仕事をするために就職先を探しました。
大小、また場所を問わずに多くの企業を視察したなかで、「農と食に関連しながらも、メーカーの営業職を経験しよう」、と決意を固めました。悩みに悩んで選んだ会社は、ピーエス株式会社という、建築業界のメーカーです。扱う商材は、暖房・冷房・加湿器・除湿機など。新卒でも大きな金額の商品を扱い、決定権のあるエンドユーザーと交渉ができることに魅力を感じました。また、会社として建築業界以外の「農と食」分野への進出を志向していましたので、私の学生時代の経験が活かせるのではないか、と思いました。北海道だけではなく、東京や大阪や福岡など全国で事業を展開していたので、新しい場所を開拓することも魅力的で、入社を決意しました。
最初の年は250件ほどの新規訪問を行いました。新人だからこそ「実績をつくりたい」気持ちが大きかったのです。成約が取れた最初の現場は、サツマイモ保管庫の加湿器でした。金額が大きな商品をどう売るか—。そして、お客さまが求むものは何かー。単に「機械売り」にはならないためには、「対話すること」―。毎日実践で、「新規開拓営業職」の本質ややりがいを学ぶことができました。
2年目の終わりころ、幌加内高校のそば打ちの授業でお世話になった講師兼そば農家さんから、「そば殻やそばの甘皮など、そばの製粉作業の際にどうしても出てくる廃棄物をなんとか活用できないだろうか」、と相談を受けました。
その講師兼そば農家さんは、「株式会社そばの坂本 坂本勝之さん」です。素人そば打ち段位6段位で(2024年現在)、地域では知らない人がいない有名人です。
先ほど、幌加内町全体で年間2,900トンのそばを生産しているとご紹介しました。そのうち全てが可食部ではなく、廃棄される箇所もあるのです。
そこで廃棄される資源を、付加価値のある新たな商品づくりをして、価値を地域に還元できる仕組みができれば良い—。私は夢を膨らませました。
「もったいない、を解消したい」。「想いが乗った商品がほしい」。「最終的には地域のために」—。私はそんな想いを軸にしてビジョンマップを描きました。
そしてそれは、目先の利益だけではなく、過疎と高齢化で将来なくなってしまうかもしれない町を残していく取り組みのひとつです。私が高校生のころは1,600人くらいいた幌加内の人口は、現在では1,200人ほどになりました。このままではいずれ町が消える—。それは決して大げさな話ではありません。坂本さんは82歳。「今は私よりも元気だが、待っていられない」。渦巻く危機感に背を押されるように、プロジェクトがスタートします。
「幌加内ソバ循環プロジェクト」スタート
私は、「そばの未利用部分」を活用した商品の企画を練りました。そば殻で染めものができないか、甘皮からそばの麺以外の食べ物ができないか、空港で売れるようなそばのお菓子はどうだろうか、などとアイデアを出して、具体化の道を探ります。
同時に、廃棄物の利活用によって生産者と消費者、田舎と都市を双方向に繋ぎ、さらにその上で、両者が混じり合ってひとつの大きな輪を回していく、サーキュラーエコノミー(循環型経済)を構想しました。そばを生産して、その廃棄物から商品づくりを進め、そばとモノを軸に、そば打ち体験に代表されるような観光事業を動かしていきたい。そして町の外からたくさんの人々を招き寄せ、巻き込んで行くことが理想です。
商品開発には、首都圏や海外をも意識したクオリティが必要です。幌加内高校で習った農業の六次化が、形づくりの一歩となっています。
そんななか昨年(2023年)秋には、株式会社北海道日本ハムファイターズが行う、「ファイターズ基金を活用した新たなSC活動(社会貢献活動)として、ソーシャルスタートアップやベンチャー、NPO法人などを9つ選定して支援する活動、<スターティング・ナイン>」に、「幌加内ソバ循環プロジェクト」が選ばれました。
また昨年(2023年)暮れには幌加内町から、「幌加内町ソバ循環プロジェクトプロデューサー」として委嘱されました。幌加内高校の生徒たちの力と外部の企業のノウハウを掛け合わせて、循環の輪をつくり始めます。循環を目指すのは、そば資源だけではありません。人やお金も循環させるのが目標です。そしてそれらの輪は、持続的に回り続けなければなりません。
今年(2024年)の3月には、東京で開催された「未来農業DAYs 大地の力コンペ」(一般社団法人未来農業創造研究会主催)で「幌加内ソバ循環プロジェクト」が準グランプリを受賞しました。道外の農業・食を専門とする幅広い方々へ幌加内そばを知っていただく一歩を踏み出すことができたと思います。
さらに、こうしたコンセプトをもとに、エア・ウォーター北海道株式会社が実施している「ふるさと応援H(英知)プログラム」の2023年度公募に応募して、18の採択事業のひとつに選んでいただきました。
こうした一連の展開が、私にトヅキを立ち上げさせました。前職となったピーエス株式会社からは、退職しても「アンバサダー」の肩書をいただいて交流が続いています。とてもうれしく思っています。
小さくても持続できる循環の渦を地域に起こす
そばをめぐる廃棄物を資源化する取り組みは、衣食住の幅広い分野に可能性があります。エプロンやハンカチ(そば殻染め天然衣服ブランド「kirinomi」)、甘皮茶など、すでに商品化できたものは、トヅキのホームページでご覧いただけます。
また、食品廃棄物から新素材を作り出す技術を持つベンチャー企業と協働して、高校の「そば打ち授業で廃棄されたそば」から「コースター」ができないかと、研究中です。発展途上の技術なので量産化は難しく、一般販売は先になりそうですが。ただ、安定化できると「商品」が生まれ、ふるさと納税の返礼品にも相性は非常に良いと思います。いかに商品力をつけていくかが課題です。
大学生のころから自主的に続けている出張そば打ちは、お声がけをいただけば積極的に訪問しています。9月(2024年)にはエスコンフィールド(北広島)にあるKUBOTA AGRI FRONTで体験イベントを行いました。
まだ起業して間もない私ですが、「やりたいことをやるための手段のひとつ」として起業しました。起業が目的だったわけではありません。そしてやりたいこととは、「小さくても持続できる循環の動きを地域に起こすこと」です。
(文中敬称略)
<石川朋佳さんへの質問>担当教員より
Q 合同会社「トヅキ」の名前の由来はどのようなものですか?
A 赤ちゃんは、十月(トヅキ)十日お母さんのお腹にいると言われます。そこから、生まれる、生み出す、ということが基本にあります。いつでも「生産者」と共に生きたい意味もあります。また、そばの師匠である坂本さんが10日生まれ、私は10月生まれで「10」に縁を感じています。そして私の名前「朋佳」の「朋」には、「柔らかく照らす月のような存在」であること、という願いが込められているのですが、そんな思いも重ねています。さらに、会社のマークは、10日目の月の形がモチーフになっています。
Q 自分がやりたいことをやるための手段のひとつとして起業した、とおっしゃいました。具体的に、自分で起業したいと思ったきっかけや経緯をあらためて教えていただけますか?
A いま思えば、中学校の修学旅行で出会った農家さんの暮らしに触れたことが原点です。農家さんは、生産者であり、経営者です。仕事のオンとオフを意識することがさほどないことが印象的でした。その後、高校や大学期間中にさらに広い視野を得ながら農業や食に関する生業をする方々と出会い、「自分もこういう世界で生きていきたいな」と改めて感じました。
Q 高校、大学と、自分で強い気持ちをもって進路選択をした石川さんですが、そのときご家族やまわりの方たちはどんな存在でしたか?
A 幌加内で寮生活をすると決めたとき、父は「なぜそんな田舎に行くんだ」と驚いていました。今思えば心配していたと思います。小樽商大に進学する際は、皆とても応援してくれました。高校の農業科から商大というパターンは多くの人にとっては考えにくいものでしたので、担任の先生はじめ、近くにいた大人が背中を押してくれました。私の可能性を信じてくれる人たちの存在が、自分を勇気づけてくれました。
Q 学生諸君はここまでの石川さんがすべて順調に歩んできたんだな、と思っているかもしれません。当然いろんな逆風や、ときには気持ちが折れそうになることもあったのではないか、と想像もします。そのあたりはいかがですか?
A もちろんあります。具体例は控えますが、信じられないくらい理不尽な要求をされたこともあることは事実です。ただ、わかったのは、結局は「人」であること。会社の規模や知名度は関係なく、いかに共通のゴールを持ち対話しながら進めるか。私自身も、「この人と仕事がしたい」と感じる人とご一緒できるように、努力し続けたいです。
Q そういう事態に陥った場合、どんなふうに立ち直ることができますか?
A 私は、根はそんなにポジティブな人間ではありません。ただ、仕事で落ち込んだことは仕事でしか挽回できないんだと、ある方から教えていただきました。学生時代なら、その場その場で自分の事情や感情だけで、良くも悪くも反射的に行動していました。一方ビジネスの現場では、ある程度引いた目線で捉えることができるようになりました。まだまだ足りないですが(笑)。
また、「感動したら24時間以内に次の一歩を踏む」ことを心掛けていて、低速でも進み続けることを常に意識しています。黙っていても解決はしないので、次に進む理由をつくっている感じでしょうか。
<石川朋佳への質問>学生より
Q 未利用物の活用においては、どのように収支計算をしたのでしょうか?コストカットできる金額が大きな順から再利用に取り組んだ、ということでしょうか?
A コストを算出して事業を動かしたというよりも、「まず目の前の未利用資源をなんとかしたい」、という問題が先にありました。「儲けたい」が先ではなく「お世話になった町や人の役に立ちたい」ことがきっかけだったのです。ただ、法人ですから当然利益を追求します。つくり出す商品の市場規模などから収支計画を立てて、未利用資源を「どの市場で商品に形を変えて売り出すのが良いのか」、を追求します。そこが利益率を高めるポイントになると意識しています。
Q これから幌加内がどんなまちになっていけば良いとお考えですか?
A 移住者が増えていくことはやはり考えにくいので、「2拠点のひとつに選ばれる」町になってほしいです。東京や札幌で働いて、夏のあいだは幌加内に暮らす、など柔軟な暮らし方ができれば—。私自身、いまは札幌と幌加内との2拠点生活です。町として、そのような方の受け入れ体制が整っていけば新しい風が吹くのではないか、と感じます。
Q 残念ながら私にはそばアレルギーがあるのですが、幌加内には行かない方が良いでしょうか?
A それは仕方がありません。行っちゃダメです(笑)。そば殻で染めたハンカチでも、反応が出てしまう人もいます。強いて言えば、そば畑の美しい写真を楽しむとか、遠くから見て応援していただければ、と思います。
Q 起業したいま振り返って、石川さんが商大時代に経験しておいて良かったな、あるいはこういう資格は取っておいた方が良い、ということは何ですか?
A 私が持っている資格は高校生のときに取ったそば打ちの段位くらいなのですが(笑)、ビジネスを自分で動かすのであれば簿記などの基礎的なことを知ることは大切です。ただ、どの道でもプロがいるので、任せることも選択肢に入れて良いと思っています。また、自分に刺激をくれたり、自分の可能性を応援してくれる大人たちと出会ったことが財産になっているので、多くの「面白い大人」に出会ったことが、経験しておいて良かったと思うことです。
Q トヅキの商品はどこで買えますか?
A まずはトヅキのホームページをご覧ください。オンラインストアに飛べますので、「トヅキ」「石川朋佳」で検索してみてください。月に1回ほどはどこかのイベントに出店していることが多いです。また、来年度は卸先も増やしていこうと計画を立てています。
Q トヅキのこれから、石川さんのこれからをどのように構想していますか?
A 数年後には幌加内に拠点を作りたいです。コンテナハウスのようなものでも、町の方々と近い場所に店を設けて、活動の場を持ちたいです。その場所をベースに、幌加内の食資源と人とお金が循環していく輪をいくつも重ねていけたら。
また、やりたいことを実現させる方法として、組織に勤務することも選択肢としてないわけではありません。規模のある企業の中でしかできないこともありますし、自分と違う視点を持った方々とチームで働いてみたい、という気持ちがあります。
担当教員より
Q 最後に後輩たちにエールをいただけますか?
A 自分もいまいろんな方にたくさんのエールをいただいている身ですが(笑)、卒業してから、「学生時代はあっという間だったな」、なんて寂しいことを言わない学生生活をおくってください。自分が大切にしたいことをじっくり育んで、疲れた目をしている大人になんかにならないよう、商大生活を目いっぱい楽しんでください!