2022.12.21
令和4年度第10回講義:野際 斉さん(S63卒)「地域銀行の現状とこれからの役割」
講義概要(12月21日)
○講師:野澤 斉氏(昭和63年商学部商学科経営法学コース卒/株式会社北洋銀行常務執行役員)
○題目:「地域銀行の現状とこれからの役割」
○内容:
私は1988年に北海道拓殖銀行に入行した。キャリアのはじめにバブル経済の狂騒の洗礼を受け、97年11月に破綻を経験した。1980年代から今日までの日本経済を俯瞰しながら、その盛衰を語りたい。その上で、地域と運命共同体である地方銀行の現状と役割について解説したい。また、これからの職業人として求められる能力についても、経営者の目線で伝えたい。
地域経済と共にある、地方銀行のサスティナブル経営
野際 斉氏(昭和63年商学部商学科経営法学コース卒/株式会社北洋銀行常務執行役員)
1988(昭和63)年、北海道拓殖銀行に入行
私は1988(昭和63)年に小樽商科大学を卒業しました。私が4年生のとき、このエバーグリーン講座が始まったということを、あとで知りました。
いまとは時代が違います。発寒にあった実家から、マイカー通学をしていました。部活は(これも時代を感じると思いますが)、CPU研究会。個人がパソコンを持って自由に使いこなすという時代が幕開けしそうなころで(ウィンドウズというOSはまだまだ存在していません)、部室にはNECの8801というパソコンが一台置かれ、私はBASICという入門的なプログラミング言語を覚えました。のちに銀行の企画セクションでシステム開発にも携わったことがあり、そのときにはプログラミングの基本的な概念がわかっていたことが役立ちました。
ゼミは、和田健夫ゼミ。のちに学長になられた和田健夫先生がまだ助教授の時代でした。民法における企業の不法行為法、企業の使用者責任について論考した卒論を書いたことを覚えています。
3年生の冬に、スキーで靱帯を切る大けがをしてしまいました。入院して、大学生活もあと1年、このままで良いのか?!と自問しました。同室の大人たちも、学生生活なんてあっという間だぞ、と言います。退院してからの自分は、ギアが一段上がったように大学生活をおくりました。今までやったことのなかった、本州へのひとり旅をしたり、行きと帰りのチケットだけを用意して、アメリカを友人とふたりでひと月くらい旅をしてみました。
同学年では、保険や証券を含めて金融業界に進む人が2割以上いました。北海道拓殖銀行(拓銀)へはこの年、商大から12名が入行しています。本州にもたくさん支店があったので、ずっと実家暮らしだった私は、家を出て本州で働きたいという希望を持っていました。それも拓銀を志望した理由のひとつです。
入行すると希望通り本州で、東京の調布市にあったつつじケ丘支店に配属されました。そこに3年いて、28歳のときには、拓銀と道庁の交流人事で、道庁の企画政策のセクションに2年間出向したこともありました。
皆さんご存知だと思いますが、拓銀は1997年の11月に破綻しました。その前後のことはのちほど触れますが、そこで全行員はいわばクビになり、私は縁があって北洋銀行に入行しました。2018年には常務執行役員になり、現在はその立場で監査部長を務めています。
バブル経済とは何だったのか
今日の講義は、「地域銀行の現状とこれからの役割」と題しました。
私が拓銀に入行した時代、日本の主要銀行は22行とされていました。そのうち拓銀を含む都市銀行は13行。これが今では、大手5行などといわれるまでに淘汰・統合されました。「三菱UFJフィナンシャル・グループ(FG)」、「三井住友FG」、「みずほFG」。そして、「三井住友トラスト・ホールディングス(HD)」、「りそなHD」です。
国内主要銀行の統合再編(金融再編)のチャートを見ていただきますが、ご覧のように2000年以降劇的な変化の大波に洗われていることがわかります。なぜこうなったのか—。それは、いわゆるバブル経済が崩壊して、不良債権が膨らんだ金融機関の経営が行き詰まったことが原因です。預金者らに大きな混乱をもたらす破綻を避けるために経営統合が進み、その動きが銀行の再編を加速したのです。
こうした日本経済全体の動向の背景を、内閣府や日銀、総務省などが公開しているデータのグラフで見ていきましょう。まず「GDP(国内総生産)の推移」から。
1956年〜73年までは、年平均なんとプラス9.1%の成長。いわゆる高度成長です。73年に第一次オイルショックがあり、一気にマイナスになりますが、(1979年に第二次オイルショックがあったものの)70年代後半からは持ち直して、安定成長がつづきました。74年〜90年までの年平均成長率は4.2%。80年代は日本経済は好調でした。しかしバブル経済がはじけた92年以降、マイナス成長の年が断続的に見て取れます。
次に「株価推移」。
1989(昭和64)年の12月29日。年末最後の取引となった大納会で、日経平均株価は終値で3万8915円と史上最高値をつけます。これは30年以上経った今でも破られていません。私が銀行に入った次の年の出来事でした。
さてバブル経済とは何でしょう?
これは、1985年のプラザ合意(ドル高による貿易赤字に苦しむ米国のためにドル安に向けた先進5カ国の協調介入への合意)によって急激な円高が起こったことが始まりです。円高による不況が起こったために、日銀は公定歩合を引き下げます。つまり企業が資金調達をしやすい状態になったので、融資の資金が社会に行き渡ります。そして土地や株式の購入に大量に流れ、地価や株価の高騰を招きました。これがバブル景気です。
このころは土地税制に課題があり、また証券会社は、利回りを保証したいわゆる営業特金という仕組みで、大口顧客に対して損失を補填していました。ですから不動産取引や株式市場にどんどん資金が流れ、過熱していきます。一方で物価の上昇は低く、賃金も同様です。資産だけがインフレ状態でした。
こうした事態に対して大蔵省(現・金融庁)は、金融機関の不動産融資について規制を始めました。証券会社の損失補填も禁じられます。さらには、日銀が公定歩合を急激に上げました。
こうした政策は、加熱した経済を着実に静めるものではなく、一気に破壊するものでした。こうして日本経済は、失われた○○年と言われる停滞期に落ち込んでいきました。
2000年前後にアメリカは情報技術関連への過剰な投資がバブル状態(ITバブル)となりますが、このときアメリカ政府の政策は、バブル経済を乱暴に破壊してしまった日本のそれを反面教師としたものであったことが知られています。
社会人になって早々私はバブル経済の最前線にいたわけですが、のちに部下たちにしばしば聞かれました。バブルってどんな状況だったのですか、と。
繁華街では深夜にタクシーが拾えなくて、1万円札をひらひらかざしながら空車に合図を送った、などと言われますが、これは本当です(笑)。銀座や六本木で私はよくそういう光景を見ました。ニューヨークの5番街にあるティファニー本店が日本人であふれたとか、三菱地所がニューヨークのロックフェラーセンタービルを買ったとか、こうした話も事実としてよく知られています。
でも、「バブルの中にいる人間には、それはバブル(はかないいっときの夢物語)だとわからなかったんだ」などという話は、事実ではありません。私のお客さまたちも、「こんなに土地の値が上がるのはおかしい」、「株価がいつ暴落するのか恐ろしくてしょうがない」、などと言っていました。私の上司は、大蔵省が金融機関に土地の総量規制を通達した時点(1990年春)ですでに、この景気は終わる、と断言していました。
デフレの脱却とコロナ禍
さて次は「外国為替相場(米ドル/円)の推移」のグラフを見ていただきます。
私が入行した1988(昭和63)年は、先にふれた、1985年から始まった円高不況。企業倒産も少なくありませんでした。1994年の年末までは円高基調が続きます。そのため、日本のモノづくり産業は、生産拠点を海外に移していきました。そのあとは、アメリカのドル高政策もあり円安に向かいます。
しかしリーマンショック後の金融政策によって、再び、今度は1ドル80円を割り込むような、極端な円高の流れとなります。それがようやく、2013年ころから円安の基調が進展するのは、いわゆるアベノミクスと呼ばれる政策によるものです。
プラザ合意があった1985年の秋には1ドル210円くらいの円安水準で、リーマンショック(2008年秋)と東日本大震災(2011年3月)を経た時点では75円台にまで円高が進んだわけですが、私は、日本経済にとっては1ドル110円くらいがちょうど心地の良いラインではないか、と考えています。
「物価・サービス価格」、2020年の値を100とする消費者物価指数(消費財の価格の変動)のグラフを見てみましょう。
大づかみで捉えると、95年からあまり変わってないことがわかります。実感としても、牛丼の値段など、あまり変わっていないことに思い至ると思います。特に2001(平成13)年からの11年あまりは顕著で、牛丼が300円を割るようなこともありました。銀行にとっても厳しい時代です。
物価が下がり続けるという現象は、消費者にとっては良いと思われるでしょうが、経済全体にとっては、実はとても恐ろしい事態なのです。それは、つねに供給が需要を上回っていることを意味します。すると企業は生産を減らさざるをえない。しかし人は減らせませんから、賃金を減らすことになります。こうしたスパイラルが、いわゆるデフレスパイラルです。
「賃金」の統計グラフを見ます。
ピークは、拓銀が破綻した1997(平成9)年で、そこから落ち続けて2011(平成23)年が底。14、5年間も落ち続けて、アベノミクス(第二次安倍内閣)政策が効きだした2014(平成26)年から少しずつ上がり始めます。
税金や年金、健康保険料の支払いなどを引いた、家計の「可処分所得」の推移を見ると、2000(平成12)年で48万円くらいあったものが、2014、15年には42万円台に減っています。家計のやりくりが厳しくなるのは当然ですね。
所得の問題以前の雇用のデータを見ると、1990年代末(バブル崩壊)から2003〜05年(ITバブル崩壊)の完全失業率は、最悪の値で5.4%。それが2019年には半分以下になりました。求職者1人に対して何人分の求人があったかを示す有効求人倍率は、2010年代末には1.62%くらいになりました。
以上を、コロナ禍の前までの状況としてまとめてみます。
○株価はバブル期の最高値を上回ることなく低迷したが、大規模な金融緩和政策
(いわゆるアベノミクス)において2013年以降回復基調にある。
〇企業の人員過剰の中で雇用調整が長年続き、賃金は横ばい、社会保障負担
(税•社会保険)増により可処分所得は減少、物価も下落し長らくデフレが続いた。
○経済の低成長、物価と実質賃金の下落の中、家計の貯蓄は進み、企業は投資抑制・内部留保拡大、公的セクターの支出(債務)が増えた。
○政府・日銀の財政・金融政策と経済環境の変化により、物価・賃金の上昇、雇用環境の改善が顕著となり、デフレ懸念のない長期的な経済好転の兆しが見られる。
経済好転の兆しと言いましたが、その後すぐ2020年以降、コロナ禍があり、ロシアのウクライナ侵攻があり、皆さんご存知のように、食料品から光熱費まで、さまざまな物価が上昇を続けています。
従来まで物価が上昇する局面とは、需要と供給の関係では、需要が強くなり供給が追いつかないものでした。しかし今は、需要が変わらず供給側がものを十分に作ることができていません。中国や東南アジアは世界の工場ですが、グローバルな需要を満たすだけ生産ができません。これは第二次世界大戦後、世界が経験したことのない状況です。
物価を抑えるために各国で金利が上がっています。日銀も昨日(2022年12月20日)金融緩和政策を修正しました(長期金利の変動幅を±0.25%から±0.5%に変更)。各国の金利政策の影響がこの先どのようなものになるのか。私は少し懸念しています。
銀行法の改正が動かしたこと
次は、「地方銀行の現状」と題して、話を進めます。
そもそも銀行の基本的な役割は何で、銀行はどのようにして収益を上げるか、という話です。
まず、銀行には三大業務と呼ばれるものがあります。「預金」、「貸出」、「為替」です(ほかに付随業務として、クレジットカード、リース、債権や投資信託や保険の販売などもあります)。
銀行は、個人や企業のお客さまから預金を集め、それをもとに個人や企業のお客さまに貸出を行います。貸し出した方から貸出利子をいただき、預金してくださった方には利子を支払います。「貸出利子–預金利子」が銀行の利益です。例えば100万円を貸し出しした際の金利が1%で、預金を100万円預けていただいた際の預金利子が0.5%だった場合、5千円が銀行の利益になります。
また、モノを買うときに預貯金口座を通じて金銭を払い込む「振込」も、かつては銀行がほぼ独占的に行っていた業務でした。それを可能にしていたのは、「全国銀行データ通信システム(全銀システム)」という仕組みです。
1993(平成5)年から2021(令和3)年までの、「貸出金利と預金金利」の推移を見てみましょう。1993年には、銀行の利ざやは5%ほどありました。しかし2021年にはこれが1%程度です。もうほとんど下がる余地がないレベルです。こうした環境下で各銀行の利益は減ってしまい、厳しい舵取りを強いられていますが、北洋銀行の決算の比較は、ご覧の通りです。
2011年3月期にあった収益1341億円は、2022年同期ではマイナス24.8%の1008億円。同じく経常利益は262億円が179億円に。マイナス31.6%です。
同じ比較でバランスシート(貸借対照表)を見ます(ちなみに銀行のバランスシートは、左に貸方、右に借方で、一般の簿記とは逆になっています)。
2011年3月期には預金が6兆8,415億円に対して、貸出金5兆2,284億円。これが2022年同期では預金10兆5,705億円に対して貸出金7兆4,244億円。預金–貸出金の額が2倍近くに増えています。資金が集まりすぎていて、その分を日銀に預けていますが、金利はほとんどつきません。
1990年代後半から、銀行の業態間や銀行と証券間の垣根を取り払う業務範囲の規制が改められたり、2001年には、銀行の株式を一定量以上保有する株主への規制が設けられます。銀行業への異業種からの参入ルールとなる銀行法の改正が進められたのです。それからこの20年あまり、インターネットの浸透や人々の生活様式の変化などに対応して、一般事業会社の銀行業参入が進みます。サービス業からは楽天銀行、製造業からはソニー銀行、小売業からはセブン銀行、イオン銀行といった新規参入がありました。
プリペイドカードや電子マネー、スマートフォンなどを使ったキャッシュレス決済もごく日常のこととなり、銀行の決済機能(為替・口座振替)の優位性はなくなりつつあります。
2021年の為替手数料全面引き下げに加えて、銀行が独占していた給与振込の他業態への開放も決まりました。
国内のキャッシュレス決済の比率は今年度で3割を超え、さらに拡大するでしょう。キャッシュレス化に伴って銀行ATMの数も減っていますし、今後はさらに大幅に削減される可能性もあるでしょう。
では一方で、銀行が他業態へ新規参入すれば良いと考えたいところですが、銀行法による規制があります。
ちなみに、三菱銀行(当時)出身の作家池井戸潤さんの作品をもとにした「半沢直樹」というドラマは、見た人も多いのではないでしょうか。銀行をめぐる不正を、金融庁や国税庁なども含めた大きな構図でリアリティたっぷりに描いたエンターテインメントですが、「あんなことほんとにあるの?」などとお客さまに聞かれることがあります。私の答えは、「あれは事実をデフォルメしたものですが、あれに近いことはあるでしょう」。
さて、いうまでもなく、日本は人口減と高齢化の荒天の中を進んでいます。日本の総人口のピークは2008年でしたが(1億2,808万人)、北海道のそれは1997年(これもまた拓銀破綻の年)の569.9万人です。それが今年(2022年)は522万4千人。
とくに問題なのは、生産年齢人口(15歳以上65歳未満)の減少です。北海道では1995年にすでに高齢者人口(65歳以上)が年少人口(15歳未満)を上回り始めています。
社会増(移住者など)を入れずに、このペースで北海道の中で人口がどうなっていくかを推計すると、2040年には428万人。2015年から110万人減ることになります。2060年には、これが319.8万人。2015年比では218万人もの減少です。
人口減少によって全国の銀行の支店やATMの数も減っていることはご存知だと思います。北洋銀行でも、最近では例えばここ小樽の手宮支店が営業を終了しました(2020年2月)。
ここまでをまとめてみましょう。
○地方銀行のビジネスは、貸出と預金利息の利ざやに未だ大きく依存している。
〇長期にわたる金利低下により、利ざやが大幅に縮小。新たな収益ドライバーを見出せない地方銀行はコスト削減を進め利益を確保しているが、厳しい経営環境にある。
〇他業態の銀行業参入、独占していた決済機能の多様化により、銀行ビジネス自体のコモディティ化(附加価値が失われ凡庸な商品になること)が進んでいる。
〇地方銀行の営業基盤としている地域の人口減少に伴う地域経済の縮小が懸念され、生き残りをかけた戦路が必要となっている。
地方銀行のこれからの進路
ここまでは暗く希望のない数字を繰り返し上げてきました。では地方銀行に明日はないのでしょうか?
私は、実は悲観していません。「ピンチはチャンス」なのです。
いうまでもなく、北洋銀行のような地方銀行は、地域とともにあり、地域の成長がないと銀行の成長もありません。これから地方銀行は、地域の成長をリードしながら、地域が持続的に発展していくために汗をかきます。
銀行のこうした位置づけは、実は北海道拓殖銀行の創設に当てはまるものでした。拓殖(土地を拓いてまちをつくる)という名のとおり拓銀は、明治の国策である北海道の開拓を進める事業者たちに対して、長期で低金利の資金を供給する特殊銀行として創立していました。1900(明治33)年のことです。
地域と銀行は運命共同体であり、ともに知恵を絞って無理なく持続的に成長することが進路です。
私たちはそのことを、「サスティナブル経営」というキーワードで表現しています。地方銀行とそのお客さま、株主、従業員、そして地域社会のそれぞれが、末永くステークホルダーであり、運命共同体なのです。
サスティナブル経営を進めるためには、まず、会社の方針やビジネスモデルの前に、社会の課題やニーズを一番に位置づけます。これは「プロダクトアウトからマーケットインへの転換」、などと呼ばれます。そして、現在の社会全体の課題でもあるDX化も欠かせません。
かつての金融業界では、営業マンには厳しいノルマがつきものでした。しかしノルマの達成は、いっときその会社のためにはなっても、お客さま、ひいては地域社会のためにはならないことが多いものです。北洋銀行の営業マンにはいま、ノルマはありません。
私はこれまで35年間の銀行員生活で14回くらいちがう部署を経験してきました。大きく分ければ、法人取引、融資の審査、経営支援・事業再生の3つです。
経営支援では、お客さまにいかに信頼していただけるかが成否を握ります。事業再生はさらに難しい仕事です。収益化のために一度融資を棒引きするといった判断も求められます。しかしそうした場合には、経営陣には退場してもらわなければなりません。
地方銀行の中でも、規模や生い立ちなど、各行の個性はさまざまです。それぞれが自社の方針を磨いて切磋琢磨しているわけですが、北洋銀行の進路は、「地域プラットフォーム型フルバンク」にあります。地方社会が必要とする共通の基盤(プラットフォーム)を幅広く担う銀行です。
まとめてみましょう。
○地方銀行は、地域を営業基盤としているという原点に回帰し、地域経済の発展をリードしていく役割が必要。
〇銀行を取り巻くステークホルダーとの共栄により、サスティナブル経営が可能となる。
○そのためにはお客さま本位を徹底し、DX推進が鍵となる。
○地方銀行の規模や営業エリアによって選択するバンキングの在り方は異なるが、手をこまねいていると地域から退出、もしくは銀行の看板だけが残ることになりかねない。
また、以上は、北洋銀行全体の考え方ではなく、あくまで私個人の見解であることを付け加えておきます。
北洋銀行の、地域における取り組み
現在の北洋銀行は、資金量10兆6,800億円、貸出金7兆4,205億円。店舗数171店(本州は東京支店1店)、従業員数は2,500人あまりです(2022年3月期末現在)。
道内の預貯金のシェアは21.7%。貸出金のシェアは29.6%(ともに2022年2月末)で、ともにトップです。全国では、と見ると、地方銀行のランキング(全62行・2022年3月)では、預金量で5位。貸出金で6位。しかしながら株式の時価総額では23位です。つまり、資産規模は大きいが、収益性が相対的に低く、企業価値(株式時価)は決して高くない、というのが客観的な評価になります。
営業店の組織図をご覧に入れますが、入行した新人は、だいたい渉外課か融資課に配属されます。銀行員は、20代で50〜100社くらいの担当を持ち、経営者との接触やコミュニケーションが日常になります。これはほかの業種ではなかなか体験できません。逆に言えば、社長さんたちはたくさんの銀行員を長年見ていますから、すぐ品定めされます。私が20代のころ函館で、師と呼べる、清濁併せ呑んだような厳しい社長さんと出会いました。その方から、ビジネスにおけるたくさんの常識や作法、考え方を教えていただきました。はじめのころは会うたびに怒られていた記憶があります(笑)。
2018(平成30)年、私は支店長として再び函館に赴任しましたが、そのときは息子さんが専務として事業を動かしていました。私は、先代への恩返しの気持ちも込めて仕事をさせていただきました。
支店長の仕事とは、その地域では頭取の代理のような存在です。300〜400社の社長さんと付き合うことになります。また首長さんはじめ、地域を動かす方々と日常的に交わることになります。近年では、女性の支店長も少しずつ増えています。これも、SDGsにおけるジェンダー平等に向かおうとする時代の趨勢に応えたものです。
銀行に就職すると、独特の文化に最初は戸惑うかもしれません。例えば、どんな人でもデスクの上が異常なくらいにすっきりきれいです(笑)。これはミスや不正を徹底して防ぐための、古くからの慣習ですね。私は拓銀時代に2年間北海道庁に出向したのですが、道庁の方々の机の上ときたら…。
かつては夜中近くまでの残業もよくありました。銀行の支店はたいていまちの中心にありますから、不夜城のような働きぶりがどうしても目につきます。労働基準監督署が調査に入ったこともあったほどです。
でもこの30年くらいで、仕事環境は劇的に変わりました。いまはそれほどの残業はまったくありませんし、早朝出勤しようとしても、怒られてしまいます(笑)。
職業人として求められる能力とは
では最後に、経営者側に立って、皆さんに職業人として求められる能力についてお話しします。ベースにあるのは、大久保幸夫氏の「キャリアデザイン入門基礎力編」などです。
まず人間の能力には、「基礎力」と「専門力」があります。
さらに「基礎力」には、「対人能力」「対自己能力」「対課題能力」の3つと、それらに共通する「処理力」と「思考力」があります。
「専門力」は、「専門知識」と「専門技術」に分かれます。
私の経験上、創業社長には、「専門力」と、強烈な信念を持つ人が多いものです。これに対してサラリーマン社長では、「基礎力」が高い人が多くなります。
「対人能力」「対自己能力」「対課題能力」の3つは、PCでいえばOSに当たります。「処理力」と「思考力」は、CPUです。
そして「専門力」での「専門知識」と「専門技術」は、アプリ(ソフトウェア)に例えられるでしょう。
これらの力を全部網羅的に高レベルで持っている人はいません。就活で一般に体育会系の人間はいまも企業に評価されていますが、その理由は、彼らにはすぐれたOSがインストールされているからです。
私の場合を考えると、思考力や処理力は商大で基礎ができたと思いますが、幅広い基礎力はビジネスの現場で鍛えられたと思います。
「基礎力」をさらに分解してみると、まず「対人能力」があります。親しみやすく気配り上手な「親和力」がまず重要でしょう。
さらに「統率力」も欠かせません。でもこれは単にリーダーシップを強く振るうことではありません。リーダーには、たくさんの意見に耳を傾け、異なる意見を調整したり、物事を交渉したり、望ましい方向へ人を説得する力も必要です。
また「基礎力」の「対自己能力」では、「自信創出力」が求められます。現代のように変化の激しい時代では、「つねに何かを学ぼうとする視点」をもち、機会をうまくとらえて自己変革ができることが重要です。自分自身に対する、いわゆるPDCA(Plan、Do、Check、Action)のサイクルですね。
卒業後の人生の進路は
ここにいる皆さんはほぼ1年生2年生で、就活にはもう少し時間があるでしょう。でもいまから意識してほしいのは、「進路は絶対に自分で決める」、ということ。親兄弟や友人、先輩、先生に言われて○○に進んだ、ということになると、もし失敗したときにもその人のせいにするかもしれません。
私は、就職が全てではないと思います。
例えば税理士や公認会計士などの士業につく進路もあります。また、家業を継ぐ方もいるかもしれません。この場合、親の会社を継ぐにしても一度外の世界を経験すべきか否か。業種によって異なるでしょうし、単純には言えませんが、外に出ると、その後の財産となる人脈ができやすいと思います。
そして、学生時代から高い専門力を身につけられたら、起業という進路もおすすめです。もちろん容易なことではありませんが、強い信念と情熱をもった若者を応援しようと考える大人は、社会にはたくさんいます。
北洋銀行には女性の支店長も増えてきている、という話をしましたが、しっかりとした育児休暇のある企業や組織も増えています。そうしたことを細かく調べて、使える制度があるのなら、躊躇せず、自信をもって使いこなしてください。
若い力は、立ち止まって考えるよりも、まず行動することが大事です。信念をもって、まわりに左右されずに行動しましょう。自分の強い意志で行動することで能力は高まり、人生の多くのことは切り拓くことができると思います。たとえうまくいかないときでも、努力して奮闘するあなたの姿を、きっと 社会の誰かが見ています。これも私が経験上言えることです。
どうぞこの小樽商科大学で、実りある大学生活を楽しんでください。これからの皆さんの人生が豊かなものになることを、心から祈念します。
<野際 斉さんへの質問>担当教員より
Q 銀行員の仕事の醍醐味、やりがいはどのようなものでしょうか?長いキャリアをもつ野際さんのご見解を聞かせてください。
A なんといっても、私たちの融資やコンサルティングが功を奏して、お客さまに評価され、喜んでいただくこと。シンプルですがこれに尽きます。銀行のサスティナブル経営の核心もそこにあるわけですが、私たちは、それがさらに社会的な広がりをもつことを志向しています。わかりやすい例が、「トランジッション・ファイナンス」と呼ばれる手法です。これは、環境負荷の高い事業を展開する企業が脱炭素化への移行(トランジション)に取組むことを支援するファイナンスです。地域経済の伸びしろのひとつも、その方向にあるでしょう。
<野際 斉さんへの質問>学生より
Q 起業することに興味があります。資金計画を考えるとき、借金をできるだけ減らしたいと思うのですが、アドバイスをいただけますか?
A 資金を含めた事業計画をしっかりと立てることは言うまもなく重要ですが、融資を受けることも、いまはかつてに比べてさまざまな制度がありますから、ぜひ検討してみてください。融資を受けることは、「あなたの貴重な時間を買うこと」です。その意味を考えていただきたいと思います。