2022.10.26
令和4年度第3回講義:河田 寛史さん(H14卒)「やりたい事を仕事にする—官民パラレルスタンスで取り組む地域づくり—」
講義概要(10月26日)
○講師:河田 寛史氏(平成14年商学部商学科卒/一般社団法人石狩シェアハピシティ計画 事務局長、石狩市企画経済部農政課)
○題目:「やりたい事を仕事にする—官民パラレルスタンスで取り組む地域づくり—」
○内容:
商大を卒業して道庁職員となった私は、地域づくりに関わる中で、さまざまな課題を抱える地域の未来に貢献できる仕事をしたいと思うようになった。ひとつのまちに腰をすえてそのことに取り組むために、私は石狩市役所に転職した。ふたつの職場で何を考え、何をしてきたかを説明しながら、「本業」と「無報酬の副業」という二本立てで取り組んでいる私にとっての、働く目的や方法を話してみたい。
地域のために働きたい。動機はひとつでも、方法は複数
河田 寛史氏(平成14年商学部企業法学科卒/一般社団法人石狩シェアハピシティ計画事務局長、石狩市企画経済部農政課)
私の副業紹介
今日は卒業してからちょうど20年ぶりに小樽に帰ってきました。講義の前に商店街を歩いたり、4年間お世話になった吉田下宿さんのところにも行ってみて、まだしっかり下宿を経営されていることを知り、うれしくなりました。
私はいま、石狩市役所の農政課で働いています。そして同時に、「報酬のない副業」として地域づくりの活動に、仲間たちとさまざまに取り組んでいます。「石狩シェアハピシティ計画」という一般社団法人の事務局長を務めているのです。市役所もこちらも、どちらも地域のために働くという動機は共通していますが、今日は、パラレルのスタンスで私が取り組んでいる地域づくりについてお話ししながら、こういう働き方があるんだ、とか、地域とのこういう関わり方があるんだ、と皆さんに気づいていただければ良いと思っています。
私は、商大を卒業した2002年にまず北海道庁に入庁しました。勤務の始まりは、十勝支庁(現十勝総合振興局・帯広市)です。それから道庁職員のまま2008年にはおなじ十勝の大樹町役場に派遣されました。このまちはロケットの打ち上げでご存知だと思います。2010年に道庁の本庁(札幌市)勤めとなり、地域づくり支援局という部署で働きました。そして2015年に道庁を退職して、石狩市の職員の採用試験を受けて、石狩市の職員となりました。なぜこういうキャリアを積んできたのかを、まず副業について語ることで説明しましょう。
石狩市役所に勤めて3年目の2018年5月に、仲間たちと「石狩シェアハピシティ計画 」という任意団体を立ち上げました(2020年一般社団法人に)。私は市役所職員という本業があるので、活動はもっぱら休日で、無報酬です。公務員は原則、報酬を得る副業は禁止です(近年は緩和の動きも出てきましたが)。
団体を作った目的は、人口減や高齢化、産業の衰退といった地域の課題に対して、これからの地域を担う若者を主に都市部から呼び寄せて、彼らを育てていこう。地域と外部との関わりを広げて、関係人口を増やしていこう、ということにありました。そのためにいろいろなイベントや事業を行う団体です。
まず、「北海道移住ドラフト会議」に参画しました(2018年)。これは北海道への移住やUターンを検討している方(選手)を、北海道の自治体や企業(球団)が指名して、うちに来ませんかという交渉権を獲得するマッチングイベントです。球団(地域側)と選手(移住希望者)がそれぞれ自己アピールをした上で指名となります。指名選手はその後キャンプインとして、実際に現地を訪問します。我々が2018年から2021年までに1位指名した参加者も、いまは仲間として「石狩シェアハピシティ計画」で活動しています。
2019年には「みんなの札幌移住計画」という、東京で開催される移住促進イベントに出展して、石狩地域をアピールしました。そのほか石狩市内で「さっぽろ圏移住者カフェ」と銘打った、移住希望者と地元との交流会を開催したり、涼しく快適な海辺のまちでワーケーションしませんか、という「避暑ワーク」のPRサイトを作るなど、石狩と道内外との新たなコミュニケーションを広げました。ワーケーションという言葉が使われ出したころのことです。
石狩鍋に新たな魅力を
2020年には、山形の有名シェフ奥田政行さん(イタリアレストラン「アルケッチャーノ」オーナーシェフ)を招いて、石狩の農産物・水産物などを活かすために料理研究会を開きました。奥田シェフはそれ以前から石狩の生産者と交流を持っていましたが、このときはニシンのパスタなど7品を作って、参加した市内の生産者や飲食店の方たちが大きな刺激を受けました。
石狩には、北海道を代表するような郷土鍋があります。そう、「石狩鍋」です。特産のサケを野菜などといっしょに味噌仕立てで楽しむものですが、残念ながら若い人たちにはあまり浸透していません。知名度はあっても実際に食べる機会を持たない若者が多くいるのです。今回皆さんにお願いしたアンケートでは、主に道央圏出身の皆さんでも、実際に食べたことがある人は三分の一程度でしたね。
せっかくあるまちの大切なリソースを、もっと活用しなければなりません。そこで考えたのが、高校生レストランで有名な三笠高校調理部の皆さんと連携して、若い感性でアレンジ石狩鍋を作ろう!
そうして開発した新しい石狩鍋は、名づけて「石狩シャケナベイベー」。わかる人にはわかると思いますが(笑)、ロックンロールで使われる「Shake it up baby(シャケナベイベー)」というフレーズと、シャケ(鮭)をかけました。
豆板醤を使った「うまからスタイル」、地域の特産品であるミニトマトを活かした「イタリアンスタイル」などがあり、レシピや作り方はウェブサイトで公開しています。
また「うまからスタイル」は、イオン北海道さんで商品化されることが決まっています。皆さんも店頭で見たら、ぜひ買ってみてください!
今年の秋には、山形の奥田シェフにもご協力をいただいて、「石狩シャケナベイベー・NEO」を開発しました。厚田区(石狩市)で開催された「厚田ふるさとあきあじ祭り」でお披露目しました。開発に当たっては、私や三笠高校調理部の皆さん、奥田シェフたちとの主なやりとりはオンラインで行いました。
生産者と消費者の関わりを結びなおしたい
さらにこの11月(2022年)には、道南の森町の「鳥鍋」、青森県八戸市の「八戸せんべい汁」、秋田県大館市の「きりたんぽ鍋」とタッグを組んで、「北国郷土鍋フェアin東京」、「北国鍋フェスinTOKYO」と題したイベントを、東京の赤坂の飲食店で実施します。北国を代表する郷土鍋をフックにして、新たな関係人口の創出と連携を図る、という狙いです。
こうした大きな動きには実費がたくさんかかりますから、もちろん手弁当だけのボランティアだけでは進みません。このプロジェクトは、内閣府の「令和3年度補正予算 関係人口創出・拡大のための対流促進事業」、と、NPO法人北海道遺産協議会の「令和4年度ほっかいどう遺産WAON助成金」の採択を受けることで実現しました。
地域の担い手を作る。そのために関係人口を増やす—。そのための切り口やテーマとして、私たちはいまお話してきたように、「食」を重視しています。それは、日本の食料自給率の低さにもあらわれているように、社会全体として「食」への関心が薄すぎるのではないか、という問題意識があるからです。この教室には、明日食べるものがない、と頭を抱えている人はいないでしょう。でも例えば大災害が起こればそんな状況は一瞬で変わってしまうかもしれません。胆振東部地震(2018年)のとき、コンビニやスーパーから食品が消えてしまったことは皆さんの記憶にもあると思います。
北海道では、札幌をのぞけば地域経済の軸は一次産業にあります。でも農業や漁業の生産者と、皆さんのような消費者の関わりは薄いのが現実です。分断された生産地と消費地のあいだ、とくに皆さんのような世代と生産現場との関わりを、結びなおしたい。生産現場を知ることで、「食」に対する価値観が変わり、「食べ物」や「生産者」への感謝やリスペクトの気持ちが芽生える。それが生産者の誇りにも繋がるのではないか。私たちはそう考えています。
十勝からはじまった社会人生活
商大を卒業した2002(平成14)年の春。私は北海道の職員になりました。最初の赴任地が決まるのは3月中旬で、それまではやきもきするのですが、十勝支庁(現・十勝総合振興局)に配属、と辞令が下りました。十勝支庁経済部建設指導課土木係が、私の公務員人生のスタートでした。
そこでは、建設業許認可、河川改修や災害復旧などに関わる市町村への補助事業事務などを行いました。
3年とすこし経って、同じ十勝支庁の総務部総務課総務係に異動になりました。庁舎の管理、各種契約業務、パスポート発給業務、などなど。庁舎管理では、消防訓練やAEDの講習会などを行いました。一見するとみな地味な仕事で、いかにも前例踏襲、新しいことはやらない、といった考えが浸透している分野ですが、私は自分なりに、新しいことをやってみようという気持ちをいつも持っていました。
仕事を離れては、職場の仲間たちと「12時間耐久ママチャリレース」などという大会にも出場して、十勝での暮らしを満喫していました。観楓会なども積極的に開催しました。そういうことを避けたい職員もいましたが、私は催し事が大好きなのです。
2008年からは、同じ管内で太平洋に面した、大樹町の役場に出向しました。道庁と市町村との人事交流があるのです。JAXAの航空宇宙実験場があったり、宇宙関連産業を積極的に展開しているまちで、皆さんもロケットの話題はご存知だと思います。このまちでは、企画課企画グループで、航空宇宙関連の仕事や、移住をめぐる仕事などをしました。町内に「お試し暮らし住宅」を用意して、移住の前段階として身体ひとつでくれば暮らせる、家具付きの家を用意しました。外装のペンキも私たちが塗りました。移住希望者を招くために、大阪のフェアに参加もしました。
そのあとは道庁に戻ることになります。2010年から札幌暮らしで、総合政策部地域づくり支援局で5年間仕事をします。中身は、「地域力向上サポート事業」、「新しい公共支援事業」、「北海道離島振興計画策定」と、それに基づく「域学連携北海道利礼3町活性化モデル事業」など。課題をもつ地域の現場と関わり、行政と住民の皆さんが協働で解決をめざす、といった方向や枠組みはみな共通しています。
総務省の事業企画コンペで採択された、「域学連携北海道利礼3町活性化モデル事業」について、少し説明しましょう。
これは大学生たちが利尻冨士町、利尻町、礼文町に分かれて滞在して、それぞれの地域の人たちと連携しながら、「ご島地グルメ」の開発や新たな「滞在型観光商品」の開発などを行ったもの。大学は、北海道からは札幌国際大、札幌学院大、稚内北星大、北大。東京からも立教大の学生が約40名参加して、現地のシェアハウスなどにひと月ほど滞在しながら、ワークショップなどを通して町民たちと交流します。外部の若者の目で、利尻島と礼文島の観光や、経済の振興策を考えてもらい、地域の人々が刺激を受けながら、いっしょに島の課題解決をめざすのです。
例えば「ロゲイン」という体験型観光ゲームを開発しました。あらかじめ設定された地図に掲載されている写真と同じチェックポイントをできるだけ多く制限時間内にまわり、ポイントを競います。チェックポイントに到達した記録として、地図に載っている写真と同じ風景を撮影しなければなりません。島民には見慣れた場所でも、外から来た若者の目で新たな観光スポットを見いだし、旅行者に加えて、まちの人にも改めて島を歩いてもらおうという狙いもありました。
グルメの開発では、大学生だけではなく、三笠高校調理部の皆さんにもご協力をいただいて、ホッケやコンブを使った新メニューを創作しました。島の人々とのワークショップや、町長と語る場も設けることで、学生たちと島の人々がそれぞれに刺激を受け合い、まちの未来を作っていこうという気運を、具体的に高めることができました。学生たちは、旅行業や飲食業に携わるプロの人々のアドバイスも受けました。このプロの人々はいわゆる「プロボノワーカー」としての参画で、プロボノワーカーとは、社会のために自らの専門技能をボランティアで提供する人たちです。
学生たちは利尻島と礼文島のほか、自分たちの大学でも発表会を開きました。みんなで知恵を絞って企画を立て、たくさんの人の協力を得ながらそれを実施して、終わってから成果を自己評価した上で人前で発表するという一連のアクションに、楽しく全力で取り組みました。私自身にとっても、とても学びの多かった事業でした。
道庁から石狩市役所へ
地域づくり支援局での5年間は、やりがいのある充実した時間でした。しかし私はしだいにこう思うようになります。ある地域と深く関わっても、結局その仕事が終わると離れてしまう。自分のやった仕事は次の担当者に引き継ぐけれど、自分がそこに込めた魂までは引き継がれるだろうか—。全道をカバーする北海道庁の仕事は、どうしても広く浅い仕事が多くなります。地域づくりに関して、自分が長くじっくりと取り組むことができる場は、やはり基礎自治体です。私は大樹町での経験もあり、そう思うようになりました。大樹町では、町長に直接質問や提案をすることも容易にできました。そこで、35歳で年齢的にはギリギリでしたが、札幌に近い自治体である石狩市役所の試験を受けたのです。幸い合格して、いまここに私がいます。
石狩市の職員となった2015年から4年あまりは、まず企画経済部の商工労働観光課に配属されました。観光振興や、人手不足を解決するクラウドソーシング事業、商店街の魅力アップなどに取り組みました。
クラウドソーシングとは、インターネットネットを使って自宅でいろいろな仕事の受発注ができる仕組みです。その背景には、高齢化などによる労働力不足があります。石狩市には石狩湾新港もあり、いろいろな企業が活動していますが、このままでは地域の担い手が足りなくなる、という課題がありました。そこで目をつけたのが、まず子育て中の主婦層です。復職を希望する市内の主婦層を対象に、スキルアップ講座を重ねながら、在宅で働くことができる人材や環境の支援を行いました。いくらスキルがあっても、ひとりですぐクラウドソーシングによってバリバリ仕事をこなすのはムリですから、悩みなども相談し合える仲間作りをかねて、チームを結成しました。
また、短期の仕事を組み合わせて、市内での長期的な人材確保をめざす「マルチワーク」の実証実験を行い、メディアにも取り上げられました。これも、労働力が足りない地域企業の現場を助ける目的です。例えば浜益に一定期間住み込んで、果樹園で収穫や加工の手伝いをしたり、民宿で働く。地域に入って、複数の仕事をしてもらう仕組みです。これには大学生に来てもらいました。首都圏やアメリカからの学生もいました。これによって関係人口が増えて、地域の情報発信にもつながりました。
さらに、商店街の活性化にも学生インターンに活躍してもらいました。
まず商店街の複数の店舗でそれぞれ三日くらい就業体験をして、現場を知ってもらいます。その上で、こうしたらもっと魅力的な店や販売ができるのでは、と提案していただいて、できることは実施します。例えばあるガソリンスタンドにインターンで入った女子学生は、お客様がすぐ目につくようにスタンドのスタッフ紹介をしたらどうですか、とパネルを作りました。
それと、商店街としての情報発信をどうすべきか、学生さんたちから提案をもらいます。商店街の会長へのヒアリングも重要です。インターン生は、夏祭りへの出店など、主体的なプレイヤーも務めます。こうしていろいろな取り組みを行った上で商店街のこれからの針路を学生たちが議論して、最終的にプレゼンテーションをするのです。提案の中味は、例えば商店街のホームページを作ったり、店の人がプロの知識や技術を来店者に無料で教える「まちゼミ」を実施しませんか、といったことです。
もともと石狩市には、有名な商店街もなく、どこか活気が失われつつあったように思います。しかしひと月間学生たちが入ってさまざまな活動をすると、「俺たちももっと知恵を出して頑張らねば」、という気運が起こります。インターン生からの提案を受けて実現した「まちゼミ」は、これまでに計4回開催されています。
一連の活動の中で学生たちも、石狩のおいしい野菜や「望来豚(もうらいとん)」などの名物を知って、個人的にも情報発信を行います。望来豚とは、石狩の厚田の望来地区周辺で育てられている希少な豚です。こうしたインターンで得られた体験は、大学での勉強や就活においてたいへん役に立つでしょう。
私は、道庁での経験からも、地域づくりには学生インターンに活躍してもらうことがとても有効だと確信してきました。商店街の方々も、私たち市役所職員の声にはさほど真剣に耳を傾けませんが(笑)、学生が真剣に何かを訴えようとしている姿には、心を動かされるのです。関わるすべての人が強い動機づけを共有することができる。それが、学生インターンが加わる事業の魅力です。商大の皆さんも、大津先生の取り組みをはじめ、そうした機会はたくさんあるはずですから、自分でアンテナを張って、チャンスがあればぜひ地域に飛び込んでいってほしいと思います。
注目されるアグリケーションの取り組み
さて最後に、現在の私の仕事について話します。
いま力を入れているのは、「石狩アグリケーション事業」です。アグリケーションとは、「アグリ(農業)×バケーション(休暇)」。石狩の農家でアグリワーク(農作業)を行い、それ以外はバケーションとして石狩でのリアルな農村生活を楽しんでもらうのです。これには3つの枠組みを用意しました。
まず、週に4〜5日朝から夕方までアグリワークをしてもらうベーシックタイプ。そして、アグリワークは週に4〜5日午前中だけで、午後は本業をテレワークで行い、残りの時間はリアルな農村生活を楽しむタイプ。これらの期間はどちらも、原則10日間以上になります。農作業は収穫作業などが中心です。
最後の3つ目は、石狩市内で就農をめざす人のためのもので、2か月以上週5日間朝から夕方までアグリワークに従事します。ワークですから日当も出ますし、住宅はどのタイプでも、シェアハウス(男女別)を無料で使っていただきます。地域との交流イベントもあり、我々としては農作業だけではなく、石狩の風土やそこで暮らす人々を知っていただきたいという想いがあります。
交流イベントでは、JICA海外協力隊でガーナに行った経験を持つ女性がいて、彼女がチョコ作りのワークショップを開いたこともありました。知恵や技能は一方的に伝わるものではありません。農家の皆さんも、参加者からいろんな刺激や情報を得るなど、双方向の交流が生まれています。
個人的にもいままでいろんな仕事をさせていただいた三笠高校調理部の皆さんですが、石狩でも関わりを深めていて、2020年の秋には「出張高校生レストランin石狩」という事業を行いました。高校生の皆さんに、石狩の食材に腕を振るってもらおうという主旨です。まず生産者のところに実際に足を運んでコミュニケーションを取りながら、石狩の野菜や果実、望来豚などのことを知ってもらい、その上でメニューを構想します。「鮭のエスカベッシュ(魚肉などのから揚げを酢漬けにしたもの)石狩サラダ仕立て」の前菜で、メインは「望来豚のロースト石狩りんごソース」、といった具合です。
JAいしかりの直営ショップ「とれのさと」で300食を提供しましたが、大好評でした。配膳には、藤女子大学花川キャンパス(石狩市)で学ぶ学生さんと、札幌国際大学の皆さんのお力を借りました。三笠高校の皆さんにしても、近い将来に「食」の現場を仕事場にするに当たって、地域食材の生かし方や、生産者を知り、さらにいろんな人々とのコミュニケーションの取り方なども学ぶことができたと思います。今年も10月1日に石狩市内で開催しました。
また、今年からの新たな取組として、「石狩アグリ・ブリッジ」という事業を展開しています。これには、「石狩アグリケーション」を体験した人の中にもっと農業をしてみたいという希望を持つ人もいて、そういう声をヒントに、北海道の農閑期に農繁期を迎える他産地に農業人材を送り出そうというものです。石狩でアグリケーションに参加した人が、次は和歌山や高知、沖縄でも働けるような枠組みを作りました。南の農作業が終わるとその人たちが、また石狩に戻って来てくれるサイクルを確立していって、その中から石狩で就農する人や、移住する人が出てくれば良いと考えています。
私のワークスタイル
公務員を志望したとき、私にそこまでの深い考えはなかったのですが、地域と関わるうちに、地域が抱えるいろんな課題の深さと直面します。それを解決するのが自分の仕事なんだ、と強く思うようになりました。でも先に言ったように、道庁職員は全道を舞台に働かなければならず、ひとつの地域に長く関わることはできません。さらに、官庁ならではのカルチャーがあります。つまり、「前例踏襲」、波風を立てることを避ける「事なかれ主義」、そして、「失敗は絶対NG」、というものです。
日本の経済や全体の勢いが右肩上がりで伸びていた時代には、それは大切で必要なことだったと思います。でもこの時代でもそうした規範はふさわしいものでしょうか。ひとつの地域に腰を据えることができた私ですが、そうした公務員のハードルと向き合ううちに、「じゃあ副業でそれをやろう!」と思うようになりました。
高齢化と人口減少が進んで、地域に人材が不足していることは明らかです。公務員でも、ひとり何役もこなしていかなければ、地域社会が持たなくなると思います。だから私は、無報酬の副業にも取り組んでいるわけです。動機には、それが自分のためにもなって面白い、ということもあります。
民間企業はもとより、現在は自治体職員にも少しずつ副業が認められるようになっています。この傾向は、ゆっくりと進むと思います。つまり、繰り返しますが、一人二役、三役をするくらいでなければ、社会がまわらなくなってしまうからです。
副業には、経済的な側面のほかにも、たくさんのメリットがあります。まず、「人脈が拡がる」。そして、「自分の裁量が広がり」、「スキルアップ」になる。一方でデメリットを上げれば、本業以外の時間にやるわけですから、当然「忙しく」なります。無報酬が厳しいな、と思うかもしれません。
その上で近年、特に働き方改革が叫ばれるようになった2018年から、厚生労働省が指標として提示している「モデル就業規則」では、副業禁止規定が「許可制」から「届け出制」となりました。地方公務員法の第38条(営利企業等の従事制限)には、「任命権者の許可なしに営利企業を経営してはならない。また事務も禁止とする」とありますが、学校のクラブ活動の指導や地域の基幹産業への従事など、公益性の高い活動については、副業解禁の動きが出はじめているのです。兵庫県神戸市では2017年4月に全国で初めて解禁されて、奈良県生駒市がこれに続きました。北海道では道南の鹿部町で2019年11月から、道内で初めて解禁されました。ちなみに石狩市では、まだ解禁されていません。
収穫の時期など、一次産業の人手不足が死活問題になっている、という地域も少なくありません。その意味でも、公務員の副業禁止規定は、これからゆっくりと緩和されていくのではないかと、私は見ています。
<河田寛史さんへの質問>担当教員より
Q 河田さんたちの手によって石狩市でこんなに多彩な地域づくりの動きがあることに驚きました。スーパー公務員といった言葉もありますが、同様な動きは全道・全国的にあると考えて良いでしょうか?
A 私もいろいろなまちのことを新聞などでリサーチしていますが、ユニークな動きはありますし、少しずつは増えている印象です。
Q 公務員の仕事の他に、河田さんがこんなにたくさんのことに無報酬で取り組んでいるのには、どんな思いや動機がありますか?
A まずは自分が仕事で関わる地域を、別の面からももっと良くしたいという気持ちがあります。そしていろんなことに取り組むことで、メディアに取り上げられたり、それを見た他地域から講演を頼まれたりします。今日のこの講義もそうだと思います。そうしたこともやりがいにつながっています。
<河田寛史さんへの質問>学生より
Q 公務員に副業が禁止されているのは、そもそもどうしてでしょうか? また解禁の動きがあるということにも興味があります。制限の枠はこれから開かれていくのですね?
A そもそもは、市役所は民間企業に業務をたくさん発注しますから、そこで癒着などがあってはいけない、ということがあると思います。いわゆる利益相反の問題です。解禁の動きは、北海道で言えば鹿部町とか新得町などであるようですが、農業支援に限って、などという一定の条件があります。つまりそういうまちでは、一次産業の人手がとても不足しているので、それをカバーする意味があるのです。
Q 河田さんはどうして公務員を志望したのですか?
A 実は私は就活を、それほど深く真剣に考えていませんでした。ただ、社会人になった先輩が営業職の厳しさについて語るのを聞いたりすると、単純に数字で評価される仕事はしたくないな、と思いました。では利益や数字に縛られない仕事はなにかと考えると、その先に公務員がありました。その程度の動機で公務員になった私ですが、やってみるととても面白く、やりがいを感じました。その延長上に、いまでは公務員をはみ出した仕事もしているわけです。
Q 私は公務員志望ですが、これからの公務員に必要な資質や考え方はなんでしょうか?
A 皆さんのイメージとは違うと思いますが、ひと言でいえば「チャレンジ精神」だと思います。先にふれたように、「前例踏襲」、「事なかれ主義」、「失敗はダメ!」というのが公務員の世界です。先に述べましたが、人口が増えて経済が右肩上がりだった昔はそれで良かったかもしれませんが、世界がこれだけ不確実になってしまったいまは、こうした志向では仕事にならないと思います。前例にならっているだけでは解決できないことがたくさんあるし、失敗して上司に低い評価をくだされても、市民の側が、よくやった、がんばってるじゃないか、と評価してくれたりします。公務員の仕事は、役所に貢献することではなく、地域のために働くことです。そこを見据えていかなければなりません。
<河田寛史さんへの質問>担当教員より
Q これからどんなふうに学生時代をおくればよいか。最後に後輩たちにメッセージをいただけますか?
A 本業の勉強のほかに、社会との関わりをいろんな方向で意識してほしいと思います。例えばアルバイトなどでたくさんの大人と出会って、自分の世界を広げるというのもひとつです。講義で説明したように私はいま石狩市の職員として、学生インターンの皆さんの力をたくさん借りてきました。いまの時代は、いろんな分野で大人が学生たちの発想や元気な行動力の刺激を求めています。ですから皆さんから飛び込んでいけば、ふところ深く受け入れてくれる大人はたくさんいるでしょう。そうしていろんな出会いをする中で、自分の資質や進路が自ずから見えてくると思います。