2021.12.22
令和3年度第10回講義:遠藤 修一さん(S53卒)「地域の挑戦と信用金庫」
講義概要(12月22日)
○講師:遠藤 修一氏(昭和53年商学部商学科卒/大地みらい信用金庫 理事長)
○題目:「地域の挑戦と信用金庫」
○内容:
第2次オイルショックの世相の中で卒業した私は、地元の道東に戻って地域の役に立つ仕事をしたいと考え、根室信用金庫(現・大地みらい信用金庫)に職を得た。以来43年。日本経済は幾つもの大波に洗われ、金融機関が果たす役割も変容してきた。信用金庫の理念と、その今日的な取り組みを通して、いわば地域運動としての金融機関の現場を解説したい。
信用金庫の仕事は、未来を見すえた地域の基盤づくり
遠藤 修一氏(昭和53年商学部商学科卒/大地みらい信用金庫 理事長)
そもそも信用金庫とは
私は1978(昭和53)年に商学科を卒業しました。43年前のことです。今日、若い皆さんと会えることを楽しみにしていました。
講義のタイトルを、「地域の挑戦と信用金庫」とします。
おそらく皆さんは、いま地域の信用金庫が何を考え、どんなことをしているかについて、あまりご存知ないと思います。まず、そもそも「信用金庫とは?」から始めます。
金融機関の主な業務としては、「預金」「融資」「為替」があり、「保険」や「投資信託」といった商品も扱います。では、銀行と信用金庫はどう違うのでしょうか。
私はよく、総合病院と町医者にたとえます。つまりさまざまな機能を大規模に集中させて、広い範囲から患者を集めるのが総合病院。これに対して町医者である信用金庫は、限られたエリアを対象に、ビジネスから生活、家族の健康といった、いわばお客さまの生き様の全体を理解しながら、そのライフステージに末長く寄りそっていくのです。
私たち「大地みらい信用金庫」(旧・根室信用金庫)は、根室を拠点に22店舗を根釧エリアに特化して展開しています。5年前にはこれに札幌支店が加わり、現在札幌で2店目を準備中です。札幌に出店する目的は、ふるさとに人脈や情報といった栄養をもたらしたいからです。
信用金庫は、1951(昭和26)年に信用金庫法という法律に基づいて生まれました。いまとは国の成り立ちがまったく違う、日本がアジア太平洋戦争で敗れてGHQ(連合国軍最高司令官総司令部、実質はアメリカ)に占領されていた時代です。この信用金庫法は、戦後の復興のためには都市部だけではなく、協同組織によって地域のすみずみに資金がまわらなければならない、という強い思いが生んだ議員立法でした。金庫という名称は、一般にはパブリックな政府系金融機関につけられるものですが、そのミッションと志を体現するものとして、舟山正吉という当時の大蔵省の銀行局長が、信用金庫という名称を掲げたのでした。
現在全国に254の信用金庫があり、資金量は160兆円ほどになります。北海道には20の信用金庫があり、資金量は約8.5兆円です。
信用金庫の事業精神をあらわすキーワード。それは、「地域の自立」です。
「域際収支(いきさいしゅうし)」という言葉でこれを説明しましょう。
地域は自分たちの営みのために、地域の外からさまざまなものを仕入れます。そして経済活動によって、さまざまなものを地域の外へと送り出します。この仕入れと出荷の差額が域際収支です。日本のGDP(国内総生産)はだいたい500兆円くらいで、北海道は約30兆円。北海道の域際収支は、例年だいたい3兆円くらいの赤字なのです。根釧エリアと札幌の関係で見れば、根釧は札幌に対して年間700億円くらいの赤字です。これが興味深いことに根釧と東京の関係で見ると、根釧は少し黒字になります。水産物などをダイレクトに東京に出荷しているからですね。
信用金庫の仕事とは何か-。それは、根ざす土地の域際収支を黒字にすることにほかなりません。単純化すれば、赤字であるならばそこの経済がほかの土地に依存していることで、黒字であれば「自立」していることになるのです。ですから地域のブランド力を高め、地域から国内外の大きなマーケットをしっかり見すえて、公正な利幅のあるビジネスを持続的に展開することに、私たちの存在意義があります。私たちは、地域の経営者に寄りそい、共に事業家魂を育むことをめざしています。
日本経済を支える中小企業と信金の機能
信用金庫のお客さまは、いわゆる大企業ではなく中小企業です。
日本にはいくつくらい会社があるでしょうか? 約350万社です。このうち大企業は1万1千社くらい。北海道では14万社くらい会社がありますが、このうち大企業は2百数十社にすぎません(大企業の定義は、自分で調べてみてください)。
世界自然遺産にも制定されている富士山の姿をイメージしてください。裾野がとても大きく均整のとれた形が魅力で、日本の象徴のような富士山ですが、大企業とは、富士山でいえばきれいな白雪を戴いた山頂です。いうまでもなく、富士山は山頂だけでできているのではありません。とりわけ広くゆるやかな裾野があるから富士山なのです。そしてこの広い広い裾野にあたるのが、中小企業です。つまり社会の厚みを根底から支えているのが中小企業であり、その厚みからこそ、社会がどれほど豊かなのかということが見えてくるのです。
例えばドイツもまた、中小企業がとても多い国です。ドイツは連邦制の国家ですから、日本のように首都(中央)に依存した成り立ちをしていません。長い歴史に裏づけられた、日本の県にあたる州の力や個性が強く、モノづくりや流通などさまざまな分野で、中世に遡る歴史ある経済が営まれています。中小企業のことをドイツ語でミッテルシュタンド(Mittelstand)と言いますが、国の経済界のトップがこのミッテルシュタンドから出ることもあるほどです。日本で言えば経団連の会長が中小企業の社長だ、ということ。そして彼らを主に支えているのが、日本の信用金庫に当たるスパルカッセ(Sparkasse)という、地域に根ざした公益性の高い金融機関です。
ほとんどの大企業も、スタートは中小企業でした。中小企業で出発して、のちに全国企業へと発展した経営者たちと共に歩んだ信金として、浜松信用金庫(現・浜松磐田信用金庫)の歴史がしばしば取りあげられます。
この金庫の営業エリアで、のちに大企業へと飛躍した会社には、スズキ、ヤマハ、ホンダ、ローランド、浜松ホトニクスなどがあります。戦後の復興期(昭和20年代)、日本の経済を牽引していたのは繊維産業でした。静岡県の旗艦銀行である静岡銀行などの融資は繊維業界に向かい、そのほかの業界にまわる資金は限られたものでした。そこで浜松信用金庫が、これらの生まれたばかりの新興企業に融資の手を差し伸べたのです。信用金庫は、目の前の現実に加えて、そのずっと先にある、地域の未来を見すえています。
世界史から見えてくる信用金庫の源流
近年、日本社会にある格差が大きな課題として取り上げられるようになりました。個人の格差や「地方」と「中央」の格差など、いろいろな格差を私自身痛感しています。しかし歴史のスパンを深く取ると、社会に大きな格差が生まれた時代は、過去にいくつもあります。歴史は繰り返しているのです。
例えば近代の産業革命です。蒸気機関によるモノづくりの機械化などによって、それまでとは比較にならないほどの生産性が実現して、資本家層(ブルジョアジー)が形成されました。資本家層と労働者たちのあいだに桁外れの経済格差が生まれました。
フランス革命(1789年〜)の要因のひとつも、不平等な社会が生んだ市民層の困窮でした。
日本では、大きな内戦(戊辰戦争)となった江戸から明治の激動で持てる者と持たざる者の差が広がり、大正中期の米騒動も、格差の底にいることを強いられた人々の異議申し立てでした。
そうした激動の中で、強者と弱者の格差を中和させ、社会を持続的に安定させるために生まれたのが、現在の信用金庫の源流に位置づけられる、「協同組織」としての金融機関でした。営利だけを求めず(もちろん組織を持続させるために一定の公正な利益は必要です)、社会の安全弁のような役割を持つ金融機関が、社会インフラとして求められたのです。
20世後半から現在を見ても、日本の経済は大きな激動に見舞われてきました。漁業では、ソ連(当時)が200カイリの漁業専管水域を宣言して、とりわけ根室や釧路の漁業は北洋の大きな漁場を失いました。また、1980年代半ばから90年にかけての好況が一気にはじけ飛んで、バブル崩壊と呼ばれました。そして2008年のリーマンショックです。
信用金庫の変容
しかしこうした嵐を必死にくぐり抜けながら、日本の中小企業は強くなっていきます。企業はまさに生きものだ、ということが実感できます。つまり経営者の皆さんは、自己資本率を高め、借り入れをできるだけ抑えるといった方向に、必死に舵を切りました。すると当然、「金融機関の必要のされ方」も変わってきます。
さらにコンビニやスマホで決済ができる時代ですから、単にお金の出し入れのために信金の店舗に行く必要がありません。従来型のバンキング機能は縮小する一方で、店舗は過剰資産になってきます。改革が急務です。
といっても企業という大きな船がいきなり急転回すれば転覆の危険もあるでしょう。私たちは、新しいミッションを自ら構想しながら地域との関わり方を新たに深めようとしました。
キーワードであらわすと、「価値創造型金融」。
そうして、先に述べた「域際収支」の改善のために、地域の皆さんと共に、意識の改革と新たな切り口のビジネスに取り組んでいるわけです。見方を変えれば、私たちは地域に生存の機会をいただいている企業です。目線は、目の前の「苦況」ではなく、長く広く深い、立方体のような地域の幸福に向けられています。そのために、私たち自身がつねに健全な経営を実践していなければならいのは、言うまでもありません。
人口減、高齢化、一次産業の後継者難—。北海道の停滞が問われて久しいものがあります。特に道東は、サンマの水揚げが壊滅的に減って、サケ漁も厳しい。釧路市の日本製紙の紙生産が終了するという衝撃もありました(2021年8月)。酪農も、コロナ禍で牛乳の消費量が減って苦しんでいる。赤潮の被害も甚大でした。報道ではもっぱらそうした文脈で道東の産業の苦況が取り上げられますが、私は、それは一面に過ぎないと考えています。加えて、状況をもっと正しく捉える視座の転換が必要だと思っています。
つまり、人口でも生産高でも売上でも、グロス(総計)の数字だけを見て一喜一憂するのはおかしいでしょう。それは現在の一断面にすぎません。道東には、強い逆風の中での危機感をバネにした、新しいビジネスの取り組みも起こっています。若い経営者の皆さんはみな、先代や先輩たちの苦労を見ていますから堅実で、そのうえで好奇心も旺盛です。さらに、行政も含めて地域には、新しいことを起こさなければならない、という覚悟の強さや深さが際立っています。魚が穫れないのであれば、と、根室では陸上養殖の研究の気運が産官学協同で高まっています。
さらに注目されているのが、スコットランドにも通じる厚岸の風土と水の個性に着目して、上質なウィスキーの蒸留に挑戦している東京の堅展実業(株)さんをめぐる動きです。ウィスキーが触媒となり、名産であるカキに新たな光が当たったり、観光の新しい動きが起きています。この蒸留所は、2020年にはシングルモルトウィスキーが国際的な賞を受賞しました。
この先また触れますが、私たちは「KONSEN魅力創造ネットワーク」という、産官学が連携した組織を作っていて、そのメンバー一同で、シングルモルトウィスキーの聖地と呼ばれるスコットランドのアイラ島を視察したことがありました(2017年)。人口わずか3千5百人ほどの島に、世界に名だたる蒸留所が9つもあるのです(スコッチウィスキー好きなら誰でも知っているラフロイグ、ボウモア、アードベッグなど)。
そのときまさに痛感したのですが、人口や売上高の数字よりもはるかに意味や価値を持つのがブランド力であり、地域が総体として持っている、本物の個性です。その土地の人々が何に価値を置いて生きているのか、が重要なのです。まちで行き交った子どもに聞いてみたのですが、彼は胸を張って、大きくなったら島の醸造所で働きたい、とうれしそうに言いました。島の人々にとって、世界を魅了するものがここで作られているということが、どれほどの誇りであることか。
「KONSEN魅力創造ネットワーク」の活動
時代を見すえた戦略を持ってチャレンジした者は、きっと成長できる。そんな確信をもって、私たちは「KONSEN魅力創造ネットワーク」という連携の仕組みを作って、根釧エリアの個性のブランド化を図っています。仕組みの中で当庫は、行政や学術機関などとも協同して、いろいろな企業を結びつけて新しい動きを起こしていく役割を担っています。
根釧エリアは広大で、漁業から酪農、食品加工、製造業の種類も多彩です。自然との関わり方や住民の気質も、まちごとにずいぶん違う。だからこそ、一社一社のがんばりに留まらず「面」として繋がることで、より強く複雑で、魅力ある個性的な何かが生まれます。
当庫が面を意識した地域との関わりに力を入れ始めたのは昭和の時代に遡りますが、長い前史と産官学の幅広い連携の上にこのネットワークが設立されたのは、2012年。「食」に代表される地域資源の国内外への発信と、地域産物の附加価値を高めることをめざしています。現在では食や観光関連の企業が50社以上、北海道経済産業局や釧路と根室の振興局、北大産学連携本部など17の支援機関が結ばれていて、金融機関である私たちは、そのたくさんのつなぎ目の役割を果たしているのです。
アイラ島視察のことは話しましたが、ほかには例えば香港のフードエキスポ(東アジア最大級の食品展示・即売会)を視察したり、中東のドバイに行って、道東の産品の可能性を現地の企業を訪ねながら調査しました。行く前に、ドバイを見ると東京が田舎に見えるよ、と言われていたのですが、まさにそう感じました。
あるいは、北海道と気候風土が近いオーストラリアのタスマニア州の漁業や食品加工の現場を見たり、2018年にはアメリカのボストンとニューヨークで、現地の水産物流の現状を探りました(「Seafood Expo North America」)。いずれも、道東の優れた産品を輸出できないか、観光業の可能性は? といったテーマによる体験的な調査でした。国際的な品質認証の仕組みなども理解して、メンバーで共有していきました。
商談の場で自社の製品を外国人の前で説明することはどの社長さんも未体験のことで、「あなたのその製品の特長を3つに絞って説明してください」、などとズバッと言われると、最初のころはしどろもどろの感もありました。商品パッケージについても、わかりづらい見づらいなど、その訴求力が厳しく問われました。しかし経験を重ねるうちにどんどんプレゼン力がついてきます。思い切って行動しなければ、人は学べないのです。
「No Maps釧路・根室」への参画
ITを軸にして2016年から札幌で行われている「No Maps」というビジネスコンベンションをご存知でしょうか。昨年(2021年、オンライン開催)のオープニングセッションには、台湾のデジタル大臣、あのオードリー・タンさんも登壇しました。
私たちはこの事業と連携して2019年から、「No Maps釧路・根室」という催しを行っています。去年(2020年)と今年はコロナ禍で残念ながらオンライン開催でしたが、逆に国内外のいろんな方に参加していただくこともできました。目玉の企画は、高校生ビジネスコンペティション。道東の資源を活用して国内外を相手にしたビジネスプランを、高校生たちが数カ月かけて真剣に練り上げて発表し合います。初回の2019年、終わったあとの高校生と関係者全員の熱気をはらんだ交流会を含めて、これは実に感動的なイベントでした。20年以降はオンラインでの開催ですが、ここには、サンマが獲れずにあえいでいる根釧、といった報道からは決して見えないエネルギーがあります。
地域の「面的な再生」への取り組みとして、当庫は「シーニックバイウェイ」への申請にも参画しています。「知床ねむろ・北太平洋シーニックバイウェイ」というネーミングで、釧路湿原や厚岸湖、霧多布湿原や春国岱や野付半島、知床など、日本の東の端をめぐる、とびきり個性的な周遊ルートを訴求する取り組みです。
また、ジャズファンにとって根室は良く知られたジャズのまちでもあります。1970年代から、日野皓正さんや渡辺貞夫さんといった一流ミュージシャンがしばしば来演してきました。「ジャズのまち」をさらに盛り上げるために、「SAPPORO CITY JAZZ」という札幌の人気のジャズフェスティバルに協賛したり、ジャズを切り口にした地域の盛り上げにもひと役買っています。
いずれも、単純なグロス(総計)の価値ではなく、本物の価値がもつ個性や共感をベースにした、人の輪や繋がりを求めていく、広域での面的な地域振興の取り組みです。広い北海道の中でも道東はさらに大きなスケールが魅力です。たくさんの関係者を繋いでいく協働には時間がかかりますが、しかしその輪や網の目が密になるほど、地域社会の強さは増していくでしょう。
「金融機関の必要のされ方」が変わり、私たちは「価値創造型金融」へ舵を切ったという話をしてきました。以上のことからその中味を理解していただければ良いと思います。現在の信用金庫の仕事は、「逆風に負けない地域の経済や暮らしの基盤づくり」にあるのです。いわば、「地域運動としての信用金庫」です。
<遠藤修一さんへの質問>担当教員より
Q エリア全体の横のネットワークづくりを大切にしているというお話しでした。その上で、世代間を意識した縦のネットワークについてはどのようにお考えでしょうか?
A はい、ネットワークづくりは、横も縦も斜めも大切ですね。そしていちばん難しいのが、事業承継に関わる縦の問題だと思います。その事業に人生を捧げてきた高齢の経営者が、子どもに譲るのか、家族外の他人に譲るのか。あるいはM&Aに踏み切るのか—。血縁の中ではとくに思いが空回りして揉めてしまうこともあります。私たちは、譲ると譲られる方の間に第三者として入って、両者の考えや思いをていねいに聞き取りながら、その事業を次の時代へとつなぐお手伝いをしています。
Q 特に1、2年生の多くは今日の講義で、現代の信用金庫像について目を開かれたのではないかと思います、遠藤さんがこれからの時代に求める人材像を教えてください。
A 柔軟な好奇心を持っている人が良いですね。数字の背景にあること、もっと言えば人間の生き様への好奇心が大切だと考えています。私のところの若い職員はみな、そういう資質を持っています。また小樽商大の卒業生が、私を入れて5人いて、いちばん若い職員は今年(2021年)の入社です。
それと、人の縁を大切にする志向があること。すべての取引の履歴を安全に管理する手法にブロックチェーンがありますが、人と人の出会いや人生もまた、後戻りして消すことはできません。人からのいろんなインパクトを柔軟に受けとめる感受性が大事です。なぜなら信用金庫の仕事は、地域の生き様と直接関わり合うからです。それがメガバンクなどといちばん違うところですね。その上で私たちは、そのための有効な道具として、ITの分野にも力を入れています。
さらに当庫では、女性の役職比率は3割を超えています。また高度なデジタル人材などほかの業種からの転職者もいますし、ほかの業界への出向も意識して行っています。よその世界観を持ち込む「風の人」が、そこに長く根ざしている「土の人」に与える刺激を重視しているのです。
<遠藤修一さんへの質問>学生より
Q アゲンストの状況や環境が企業や経営者を強くする、というお話が印象的でした。このコロナ禍で、遠藤さんが率いる大地みらい信用金庫はどのように変わってきたとお考えですか?
A ひと言でいえば、お客さまとの対話が、より深まったと思います。地域経済には厳しい風が吹いています。その中でお客さま(経営者)の覚悟がさらに強いものになり、それにお応えするために私たちの仕事の幅や深さもまた、増しました。
例えば観光業では、景色と温泉とグルメといった定番の商品が、以前のようには成り立ちにくくなりました。そこでただ車窓から美しい自然を眺めるだけではなく、霧多布湿原で夕暮れ時にカヌーを楽しむ、といった体験型の観光が人気を集めています。私たちもお客さまのそうした質への転換をさまざまな面でサポートしますから、当庫の仕事の幅も自ずと広がるわけです。
Q 堅実な経営で歴史を積み重ねてきた企業が、近年の経済状況に迫られて新たな路線に踏み出すといっても、すぐにできることではないと思います。そういう企業に、遠藤さんたちはどんなアドバイスをするのでしょうか?
A 良い質問ですね。人も企業も、成功体験に縛られがちです。自信を持ちすぎると、成長がストップしてしまう。変化への決断と戦略は、とくに偉大な先代をもつ若い経営者の誰もが悩む問題です。そこで私たちは、根釧エリア全域の若い経営者の皆さんをつなぐ「創新会」という組織を10年以上活動させています。若い経営者が新しいことをやろうとしても、社内に孤独に籠もっていてはその勇気を起こすのはたいへんですし、ノウハウについても不安です。そこで同じ課題と向き合う横の繋がりを作って、成功や失敗の体験を学んだり、刺激を受け合うのです。危機をチャンスに転換するには、人は繋がらなければなりません。
例えば根室の老舗メガネ・時計・宝石店「スズキ」を経営する鈴木さんは、ベトナムのホーチミン市に出店するという大きな挑戦を成功させています。根室からベトナムへ、という発想は、先代の時代にはありえないものだったでしょう。しかしいまはそういう時代です。私たちはその挑戦をサポートさせていただき、私たち自身も多くのことを学んでいます。
Q 北海道には魅力的な地域資源がいろいろあるにも関わらず、活用の成功例が多くないということは、端的にいってマーケティングの問題なのでしょうか?
A 皆さんはマーケティングを商学の技術用語として理解しているでしょうが、これを「本物の価値の表現方法」として捉えてはどうでしょう。地域の固有の産物を、ターゲットに対してどのように表現していくか。例えばサケの漁獲をPRしながら、同時にその奥にある地元の食文化や、レシピの紹介、健康の切り口からサケを訴求すると、受け取る側の興味や感心の幅を広げることができます。私たちは根釧の地域資源を、そのような枠組で捉えています。
<遠藤修一さんへの質問>担当教員より
Q 好奇心を磨く大切な日々をおくっている後輩たちに、最後にメッセージをいただけますか?
A 地域に根ざして世界と関わる「グローカル」の考えや、実学の実践など、母校の伝統ある学びの精神は、いまの時代にさらに価値を高めていると感じます。ここで学ぶ皆さんには、どうぞいろいろな人と出会い、コミュニケーションの幅を意識して広げてほしいと思います。