2014.01.22
平成25年度第13回講義:「 私の就職活動とその後のキャリアについて」(2014/1/22)
講義概要
・講 師: 城市 猛 氏/平成2年卒
・題 目:「私の就職活動とその後のキャリアについて」
・現 職:シティバンク銀行株式会社札幌支店長
・内 容:
自己紹介→学生生活→就職活動への道のり→就職活動→三菱銀行でのキャリア→金融機関の種類→後輩へ伝えたいこと、の順番で話を展開する。「学生生活」では、主に就職活動で役に立った学内事象、人生経験やゼミ生の就職先を、「就職活動への道のり」においては、第一志望企業決定までの考え方の変化を、「就職活動」においては、何を自分の売りにし第一志望企業の内定を得たかについて話す。「三菱銀行でのキャリア」については、銀行業界を知って貰う一助として、自身の職歴を中心に大まかな銀行業務を把握して貰うこと、そして大学時代の勉学が如何に業務に役立ったかにも触れたい。「金融機関の種類」では、銀行以外の金融機関の概略を一覧にしたものを示し、現在勤務する外国銀行の業務を簡単に説明する。「後輩に伝えたいこと」では、企業人としての24年間を総括し、何事も真摯に継続することの大切さや大学時の学問を活用する場面が多々存在することを伝えたいと考えている。
- 講師紹介
昭和42年網走市生まれ。平成2年本学商学部経済学科卒業、株式会社三菱銀行入行。平成11年4月退社、株式会社ニトリに転職。半年後三菱時代の上司の紹介で同年12月シティバンク銀行株式会社に入行。札幌支店長を経て日本橋支店の開設に尽力し、平成22年日本橋支店長に就任。翌年8月から再び札幌支店長として北海道勤務。札幌市在住。
仕事の貯金は気づいたときが始めどき。
現役銀行員による自分だけの就活史
2013年原作・ドラマ共に大ヒットした「半沢直樹」という単語がもっとも飛び交った事前質問に回答する今回の講師は、シティバンク銀行札幌支店長の城市猛さん。講義テーマは「私の就職活動とその後のキャリアについて」。「就活ハウツー本とは違う私だけの就活史を通じ、最後は“皆さんにぜひ伝えたいこと”で締めくくりたいと思います」。父親も銀行員で道内転勤が多かった幼少時代。「野球がやりたくて入った」札幌市立開成高校の部活動は午前7時の朝練に始まり、放課後も夜8時まで。その後に控えている小一時間の“説教タイム”がたまらない試練だったと振り返る。「新入生は全員立ちっぱなしで、よく聞けば筋道の通らないような理由で延々と叱られる。事前質問に『銀行の仕事はキツイですか?』とありましたが、私にとってはあの高校1年の説教タイムを思えば、銀行員になってからの難局はどれも許容範囲。しかも仕事はお給料をいただけますし、難局を難局と思わなければ道は拓けます」。自分がそうした不条理な思いをしたからか、後輩に注ぐまなざしは優しく、卒業後も母校野球部に深い愛情を注いでいる。
三菱〈三綱領〉の〈所期奉公〉に感銘
一浪後に入った小樽商大では部やサークルには入らなかったものの、母校野球部の諸先輩と野球を継続。将来は野球部の監督を目指した時期もあったが、3年のときに母校が甲子園出場を決め、「こんな快挙を成し遂げた後輩たちに対して恥ずかしくない先輩になるには野球以外の大海を見たほうがいい」と道外企業を対象に就活を始めた。「単位は3年までに取り終えていましたが、優は3つ」という決して優位ではなかった就活を支えた一冊は、図書館でたまたま手に取った奥村宏著『三菱 日本を動かす企業』。世界に名だたる百年企業である三菱の企業理念「三綱領=所期奉公・処事光明・立業貿易」の中でもとりわけ「所期奉公(期するところは社会への貢献)」
が胸に深く響いたという。「“事業を通じ、物心共に豊かな社会の実現に努力する”という理念に感銘を受け、三菱銀行を第一志望に決めました」。面接でも前述の一冊と「札幌開成高校 甲子園の奇跡」と題した、新聞記事を切り貼りしたスクラップブックを持参し、熱い志望動機と自分らしさをピーアール。見事、三菱銀行の新卒採用450人の仲間入りを果たした。
“昭和29年以降の呪縛”を解き放つ
新人時代の出発点は千葉県の片田舎にある行徳支店。都内勤務を希望していたため、内心落胆もあったが、そこで発揮されたのが野球で鍛えた粘り腰。当時CMで人気者だった三菱グループDCカードのマスコットキャラクター、カッパの着ぐるみを借りることに成功し、毎日午前中着ぐるみの中に入って店頭で勧誘に努めた結果、行徳支店は同カードの販売実績第一位に輝いた。この実績が認められ、入行3年後には本社融資第一部に異動。「社内選抜の貸付トレーニー10名に入り、融資審査のノウハウを徹底的に叩き込まれました」。3店舗目の渋谷区にある笹塚支店では不良債権の処理という重い任務にも向き合った。このときもまた城市さんは成果を残す。「うんと簡単に説明しますと、昭和29年に出た判例、“この債権は銀行側に落ち度があるから債務者は返済しなくてもいい”という旨の判例がありまして、どの銀行もこれを引き合いに出されると回収をあきらめるしかないという長年の経緯がありました。ですが、私が取り扱った案件はどう考えても常識的に“おかしいものはおかしい”のレベル。もう一度過去の判例を調べ直したところ、債権回収に持ち込める一点を発見でき、会社の理解を得て裁判に持ち込むことになりました」。そして平成8年9月、「根抵当権確定後の手形書替・証書貸付への切替と更改の成否」について城市さんら銀行側は勝訴を勝ち取り、「昭和29年の判例以降の呪縛を解き放つ結果」として高く評価された。
どう見る?半沢直樹の出向、その真意
30代前半の頃、見聞を広めようと異業種への転職を経験し、再び金融業界に復帰。現在は外資のシティバンク銀行で二度目の札幌支店長を務める城市さん。講義の後半、後輩へのメッセージをスライド3枚にしたためた。「就職活動とは“人生の生き様をぶつける”最初の機会。自分の思いを率直に伝えてください。また、業種はどうあれ民間企業とは営業を行い、収益を上げることを求められる組織です。“頑張らなくていい楽な仕事”の会社に入っても収益が上がらなくては会社自体が潰れてしまうかもしれない。楽な仕事、100%理想通りの会社はありません。社会の現実を見つめることも大切です」事前質問で殺到した「半沢直樹」ワールドについては「ドラマの最終回で“出向”の辞令が出ましたが、私はあれは主人公にとって前向きな辞令だと受け止めました。あの若さで証券会社に出向ならばキャリア的にもプラスにはたらくはず。誤解されがちですが、出向が全て後ろ向きな人事とは限りません。ただし、上司を土下座させるのはやはりやり過ぎ(笑)。脚色です」。ドラマのイメージが先行する学生たちの思い込みを払拭した。
卒業記念の万年筆と歩んだ24年間
講義後の控え室では、「金融業界に興味を持ち始めた」という就活中の学生2人を前に、「先ほど言いそびれたことを代表して君たちに」と手書きのメモを取り出した。「組織で働く以上、誰もが主役ではありません。主役をサポートする役割を求められる人のほうが多いでしょう。だからといって手を休めることなく自分を卑下することなく、どうやったら自分を高めて組織に貢献できるかを考えていってほしいです」。不本意だった勤務地でも泥臭い不良債権の回収でも、働く以上はいつも一生懸命だった。「46歳になった今はその“貯金”で食べているようなもの。そういう仕事の貯金は気づいたときから始めないと。若い皆さんにとっても時間は無限ではないので、一日一日を大切に頑張ってください」。大学4年の3月31日をもってほぼ全ての学生は社会人、すなわち大人の階段を上る。「社会に出たらあらためて小樽商大の卒業生には素晴らしい方々がたくさんいる、ということがわかります。卒業記念にいただいた万年筆は24年間の企業人人生でいつも私の胸ポケットに、自分が小樽商大の出身であるという挟持と共に大切にしまっています」