2016.01.13
平成27年度第11回講義:「アフリカビジネス最前線」
講義概要
○講師: 竹村隆宏 氏(平成7年商学部商学科卒)
○現職等:味の素株式会社 広域営業部スタッフグループ専任課長
○題目:「アフリカビジネス最前線」
○内容:西アフリカのナイジェリアで「味の素®」の販売マーケティングに取り組み、その後東アフリカのケニアでゼロから販売拠点を立ち上げた経験から、アフリカ市場の成り立ちと現況、これからの可能性、そしてアフリカでの日本企業の事業展開などを解説する。その上で「味の素®」がなぜアフリカで受け入れられているのかを考察し、ダイナミックな国際ビジネスの一端を身近に感じてもらいたい。
講師紹介
1972年岩見沢市生まれ。1991年北海道岩見沢東高等学校卒業。1995年小樽商科大学商学部商学科卒業。同年味の素株式会社入社。飲食店へのマーケティング、スポーツサプリメントのプロダクトマネージャー、海外事業の統括セクションなどを経験したのち、2011年、ナイジェリアのウェスト・アフリカン・シーズニング社にゼネラルマネージャーとして出向。2014年には同社ケニア支店を立ち上げ、同店東アフリカ代表兼ブランチマネージャー。2015年夏に帰国。現在は味の素株式会社広域営業部スタッフグループ専任課長。
学生時代の思い出と味の素株式会社入社
私は1991年に小樽商大に入学しました。高宮城朝則先生のゼミでマーケティングを学び、部活としては、まず「AISEC(アイセック)」で活動しました。海外インターンシップを運営する学生NPO法人で、企業とのネットワークをつくる仕事です。
同時に、相撲研究会にも熱中しました。相撲を取ることと、相撲を総合的に研究することが目的のサークルです。当時は若貴(若乃花と貴乃花)が盛り上げた相撲ブームで、学生相撲をテーマにした映画「シコふんじゃった」がヒットしたあとでした。中庭に綱引きの綱で土俵をつくり、稽古に励んだものです。
4年生のときには、体育会の猛者をあつめて全国学生相撲選手権大会団体戦Cクラスの部に出場しました。会場は、大相撲の殿堂である両国国技館(東京都墨田区)。そこで、われわれはなんと優勝をとげました。決勝で当たったのは、「シコふんじゃった」のモデルとなった立教大学。われわれが勝ってしまったものですから、まわりからは「空気読めよ!」という冷たい視線を痛いほど浴びました(笑)。良い思い出です。
卒業して、第一志望だった味の素(株)に入社することができました。当時はいまほど海外での事業展開はなかったのですが、入社したときから、いつか海外で仕事をしたいと思っていました。
最初に配属されたのは飲食店の営業です。中華料理店やそば屋、ホテルなどに製品を売る仕事。これを8年くらいやり、2003年からアミノバイタルというスポーツサプリメントのプロダクトマネージャーを3年務めました。製品開発と販売の両方を管理する仕事です。その後家庭用製品の営業をして、2009年に、海外展開を束ねる海外食品部に移りました。そこで2年間アフリカと南米を担当して、2011年の夏にナイジェリアの旧首都であるラゴスに赴任しました。
ウエスト・アフリカン・シーズニングという、弊社の百%子会社です。社長の次のゼネラルマネージャーというポストで、全体の経営を切り盛りしました。そして2013年、ウエスト・アフリカン・シーズニング社がケニアに支店を出すことになり、その立ち上げの責任者としてナイロビで暮らしました。
アフリカでのビジネスを語る前に、味の素株式会社のアウトラインを説明します。創業は明治42年、1909年です。売り上げは2014年に1兆円を超えて、今期は1兆2千億円ほどを計画しています。これは食品業界では、2兆円を超えるキリンホールディングスさんなどをのぞけば国内トップクラスで、日本ハムさんや明治ホールディングスさんなどと同規模です。
事業内容としては、「味の素®」をはじめ「ほんだし」「Cook Do」、あるいは冷凍食品、コーヒー、油脂などを製造販売する食品事業を柱に、アミノバイタルに代表されるアミノ酸事業があり、医療の点滴に使われるアミノ酸を作る医薬事業も行っています。また、家畜用飼料も作っています。エサにアミノ酸を配合することで家畜の成長が促進されるのです。さらには、パソコンのCPUに使われる絶縁用フィルムといった電子材料も作っています。
つまり当社は、食品だけに限らず、アミノ酸の製造をベースにした幅広い事業を世界で展開している企業なのです。海外の販売ネットワークは130カ国以上あります。そのほとんどすべての国で、うま味調味料である「味の素®」を販売しています。どんな国でも中味はまったく同じです。それに加えて、カツオやトリ、ビーフなどの風味調味料を販売しています。ベーシックなうま味調味料から風味調味料への展開は、その国の経済発展の度合いにも関係しています。データからいえば、GDPがひとり頭千ドルを超えて1500ドルくらいになると、風味調味料の需要が高まります。一般に、このあたりから途上国に消費経済が生まれ自立的発展ができるとされる目安です。
アフリカとはどんな市場か
世界の全域に事業展開をする味の素(株)ですが、比較的近年まで空白だったのが、アフリカと中東です。世界の人口動態を見ると、日本を筆頭に多くの先進国では人口の伸びは止まり、人口減がはじまっています。中国でもかつてほどの増加グラフは描けません。その一方で、これから人口が増えていくのが、アフリカと中東です。
世界の人口はいま約70億人で、そのうちアフリカに10億人ほど。2050年の予想では、世界の人口90億人に対してアフリカは20億人が暮らす大陸になります。食べものを作る会社にとって、お客さまとなる人口が非常に重要な意味を持ちます。ですから当社は、このエリアに力を入れているわけです。日本との関わりが少なかったアフリカは、物理的にも心理的にも、日本から遠い世界です。アフリカの人口約10億人のうち、北アフリカ(エジプト、リビア、アルジェリアなど)で2億人、西アフリカ(ナイジェリア、ガーナ、コートジボアールなど)で3億人、東アフリカ(エチオピア、ケニア、タンザニアなど)で3億人、そのほかカメルーンやアンゴラなどの中央アフリカと、南アフリカ共和国で2億人くらいの内訳になります。ナイジェリアの人口はアフリカ最大で、1億7千万人ほどになります。
北アフリカはイスラム圏で、サハラ砂漠以南(サブサハラといわれます)とは人種や文化がずいぶん異なります。石油などの天然資源に恵まれ、地中海対岸のヨーロッパ諸国と古くからの関わりが強く、経済力もちがうのです。日本人がアフリカにもつイメージは、サブサハラの世界、ブラックアフリカと呼ばれるアフリカです。
西アフリカと東アフリカはまだまだ貧しく、人々は成長への意欲を持っています。一人あたりのGDPも千ドル前後で、まさにいま「味の素®」が売れていくエリアなのです。弊社はすでに1990年代のはじめにナイジェリアに進出していました。先に述べたウエスト・アフリカン・シーズニング社です。その後2011年にエジプト、12年にコートジボアール、13年に私がケニア支店を立ち上げました。ウエスト・アフリカン・シーズニング社の本社(ナイジェリア)は、私が赴任した時点ですでに工場と営業、総務など全スタッフで1300人もいて、100億円ほどの売り上げがありました。そのうち日本人は6人で、残りは現地の人々です。一方ケニアの場合はゼロからの立ち上げで、市場調査や行政機関への登記から事務所の手配、求人など、すべて私が担いました。立ち上げのメンバーは、私以外はすべて現地人で、わずか10名でのスタートでした。
アフリカが直面していること
現在のアフリカが抱える問題を整理してみましょう。
まず、農業が遅れています。人口は増えているものの食糧の自給が追いつかず、高い輸入品を買わざるをえません。自前の農業技術をもっと発展させていかなければなりません。また交通や電気、水道、港湾といった社会インフラが未整備で、安定した生産や出荷の体制が取れません。車はトヨタ車などがたくさん走っていますが、道路が悪いために渋滞は日常のことです。アフリカでは日常的に電気・電化製品を使っている人々は20%くらいしかいません。そのほかの人々は日の出とともに活動をはじめ、日が沈むと眠るのが一日なのです。
さらに、教育が行き渡らず、人材が育っていません。また、政情が不安定で、国がつねに揺れ動いています。そのため治安もとても悪い。ナイジェリアではどこに行くにもつねに、雇ったセキュリティポリスと共に行動していました。
アフリカの三大危険都市という言い方があります。ナイジェリアのラゴス、ケニアのナイロビ、南アフリカのヨハネスブルグです。私はラゴスとナイロビで仕事をしましたから、三大危険都市のふたつを制覇したことになります(笑)。
もっとも国としてこうして未熟なところは、ナイジェリアがイギリスから独立を勝ち取ったのが1960年ということを考えれば、無理もないかもしれません。国としての歩みはまだ50数年しかないのです。マーケットとしてのアフリカには大きな可能性があります。日々の暮らしが安定してきて、これからもっと楽しく生きていこうという中間層(一日600〜700円で暮らす人々)が3.5億人もいて、さらにその下に、BOP層と呼ばれる人々が6億人もいるのです。
BOPとは、Base of the Economic Pyramidのことで、1日だいたい2ドル以下で暮らす人々です。いまは貧しくても、彼らの多くは未来に希望を抱いています。
日本企業とアフリカ
アフリカでビジネスを積極的に展開している国には、旧宗主国のヨーロッパ諸国のほかには、中国とインド、韓国があげられます。それらに比べると日本の企業は少ないのが現状です。
日本のビジネスではまず、商社やプラント企業による天然資源やインフラ整備の事業があげられます。そして、自動車のトヨタ、二輪のホンダのように、自社製品を積極的に売っているメーカーもあります。当社もこのグループですが、トヨタさんの実績などによって、日本はちゃんとしたものを作るフェアな国だ、というイメージがある程度浸透しています。私たちにとってそれが追い風になっています。
さらに、先にふれたBOPビジネスがあります。この分野には、洗剤や石けんを作るサラヤ(株)さんや、マラリアを予防する蚊帳「オリセットネット」を販売する住友化学さんなどがあります。BOPビジネスとは、途上国のBOP層にとって有益な製品・サービスを提供することで、その国の生活水準の向上に貢献することを重視しながら、持続的な事業を展開しようとするビジネスです。
「味の素®」とうま味
私はナイジェリアとケニアで「味の素®」をセールスしました。日本に比べればとても貧しい人々がお客さんになるので、瓶ではなく10グラムの小袋が単位です。ひと袋を日本円で6円くらいの価格で売るのです。百年以上の歴史があって日本では知らない人のいない「味の素®」ですが、アフリカの人々にとっては未知の商品です。
そこで、とにかく使ってもらうこと、試してもらうことを重視しました。ラゴス(ナイジェリア)にはスーパーマーケットがありません。150軒くらいの露店が集まった青空市場があります。イモや米、野菜、調味料、日用品など、あらゆるものがここで売られていて、ここはまた人々の社交場でもある。問屋ではなく、食料品を扱う店を一軒一軒直接まわるのが営業の仕事です。揃いのTシャツを着て、きちんと定期的に訪問することが大切です。こういう小さな積み重ねで信頼を作っていきます。
ケニアははじめて進出する国だったので、「味の素®」の知名度はまったくありませんでした。こちらにはスーパーマーケットもあります。販売の中心になるのは、アパートの1階にある、パパママストアのような個人商店です。現地で採用した営業マンが、現地の言葉スワヒリ語でセールスをかけます。パッケージには、日常のキーメニューであるメイズ(白いコーン)の粉で作った団子やケールという野菜からなるワンプレート・メニューを写真でのせました。これを使えばいつもの料理がさらにおいしくなりますよ、と訴求したのです。
残念なことに日本ではいまでも一部に、「味の素®」は体に良くない化学製品だと誤解する方がいます。「味の素®」の主な原材料はグルタミン酸ナトリウムですが、これはさとうきびの糖蜜に発酵菌を加えて、醤油や味噌などを作るのと同じ種類の発酵法で作ります。「化学」というと人工合成されたものをイメージしがちですが、「味の素®」は、発酵によって作られるあくまで天然由来の調味料なのです。私たちは、「化学調味料」ではなく「うま味調味料」と言います。
ではうま味とはいったい何でしょう。うま味は、人間が感じる5つの基本味のひとつ。5つとは、甘味、塩味、酸味、苦み、そしてうま味です。うま味は、だしに代表される日本のおいしさのエッセンスです。これを最初に研究した科学者が、東京帝国大学化学科教授の池田菊苗博士でした。博士は1908(明治41)年に、昆布の深い味わいの成分がグルタミン酸ナトリウムであることを発見しました。そしてグルタミン酸を原料としたうま味調味料の製造方法を発明します。
これが「味の素®」にほかなりません。1985年に特許庁が「日本の十大発明家」を選びましたが、池田博士は、織機の豊田佐吉、養殖真珠の御木本幸吉らと並んでこの栄誉を受けています。
人類共通の味覚「うま味」
「味の素®」は世界130以上の国で売られていると言いました。日本人の味覚、和食の原点ともいえるうま味が、なぜこんなに広く受け入れられているのでしょう。甘いとか辛いとか、誰にでもパッとわかるものではないので、うま味とは何かを外国の方に説明するのは容易ではありません。
しかし、実は世界にはうま味を求める文化が広く行き渡っています。うま味にはそもそも、文化の嗜好を越えた歴史があるのです。日本の味噌や醤油も、和食を支える重要なうま味文化の産物です。世界に目を向ければ、例えば、ベトナムのニョクマム、タイのナンプラー、ヨーロッパのアンチョビペースト、アメリカのトマトケチャップもうま味が主役です。
そしてナイジェリアなどの西アフリカにも、パルキアという木の種を原料にしたダウダウという調味料があります。うま味を求める食文化があるところに、私たちの商機はあります。「味の素®」の説明で、私たちはこれは「taste enhancer(おいしさを増大させるもの)」です、とアピールしています。うま味には、次のような特徴があります。まず「持続性があること」。うま味は、酸味や塩味、甘味よりも長く続く味です。そして「舌全体に広がること」。舌全体がなにかに覆われたような感覚があります。さらに、「唾液の分泌をうながすこと」。
実は酸っぱさよりもうま味の方が唾液を誘います。唾液は消化の大きな助けになりますが、人間は加齢によって唾液の分泌量が減っていきます。高齢者は、うま味を意識した料理によって、それを補うことができるのです。整理してみましょう。
「味の素®」はなぜアフリカでも、世界中でも売ることができるのか。それは、グルタミン酸ナトリウムが作る「うま味が世界の基本味のひとつであること」。さらに、これも特筆すべきことですが、「賞味期限が半永久的であること」(物質安定性が高い)。私たちはこの上に、誰にとっても買いやすいプライスを設定(Affordable price)して、独自の販売チャネル(直販部隊)で、どこでも変える状態(Available)を作り出しました。
もう少し大きな枠組みで言えば、モノづくりで海外ビジネスを成功させるために必要なことは次の4つになります。(1)三現主義(現物、現金、現地語が基本)。掛け売りはせず、現地の人がセールスをすること。(2)現地適合。現地の文化や市場を徹底的に研究して、現地生産を基盤にすること。(3)品質訴求。他国の競合商品に負けない品質をかなえること。(4)ブランディング。日本は高品質のモノづくりの国、というイメージを大切に活用すること。
<教員からの質問>
Q 日本や先進国とは商習慣もかなりちがうであろうアフリカで、竹村さんたちが成功したポイントはどこにあるでしょうか?
A うま味という、異なる歴史文化圏を越えてわかりやすい普遍的なものを扱いながらも、さらにその土地の個性を尊重した事業を展開したことが良かったと思います。アフリカでもナイジェリアのある西アフリカとケニアのある東アフリカでは、食文化もちがいます。西アフリカはスパイシーな味つけが好まれ、東アフリカではどちらかといえば塩コショーベースのシンプルな味が好き。そうしたちがいを踏まえて、土地ならではのキーメニューに沿った使い方提案やセールスを心がけました。
<学生からの質問>
Q 海外のビジネスの現場に立つために、学生時代にやっておくべきことはなんでしょうか?
A 語学よりも大切なことがあると思います。私は学生時代にゼミや部活やバイト先で、いろんな人といろんな議論をしました。そのことがのちの糧になったと思います。社会の多様な問題は、人と人が生身でちゃんと向き合って語り合うことでしか解決しません。議論から逃げずに理解し合ったり問題解決を図る姿勢を、私は商大時代に学びました。
Q アフリカ三大危険都市のふたつを経験したわけですが、危ない目にあったことはありますか?
A ちょっと怖そうな男たちに囲まれたことはありますが(笑)、生命の危険を感じたことはありません。治安が悪い国でも、危険なところにひとりで出歩かないといったセオリーを守っていれば大丈夫です。息抜きには、セキュリティのしっかりした場所で、異業種の日本人駐在員たちとテニスやゴルフで交遊していました。