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エバーグリーンからのお知らせ

2017.10.18

平成29年度第1回講義:「CFO(最高財務責任者)の仕事 ~経理キャリアの築き方~」

概要

 

○講師:阿部 洋介氏(平成12年商学科卒/パイオニアDJ株式会社 管理統括グループエグゼクティブディレクター)

 

○題目:「CFO(最高財務責任者)の仕事 ~経理キャリアの築き方~」

 

○内容:CFO(最高財務責任者)の仕事とは何か。そのやりがいは—。日本の大手製造業と外資系ベンチャー企業の経理部門で積んできたキャリアから、現代のCFOと来るべきCFO像を考察しながら、経理の専門家として生きていくためのモデルやヒントを提供したい。また、仕事の選び方や転職についての考え方も解説したい。

 

CFOのあるべき姿を追求してキャリアアップを動機づけた最初の職場

 

今日は自分の体験を通して、「CFOの役割と責任」について話します。CFO とは、chief financial officer、最高財務責任者のことです。日本ではベテランの仕事と思われがちですが、アメリカのベンチャーでは若手が担うことも珍しくはない分野です。学生時代、私は会計学をなかば義務的に、ビジネス社会のコミュニケーションツールとして勉強していました。しかし社会の一線に出てキャリアを積んでいく中で、それがどんどん面白いものだと感じるようになりました。

 
はじめにまず強調したいのは、経理の仕事はとてもやりがいのあるものなので、皆さんの進路の選択肢のひとつに加えてほしい、ということ。またそのためにも、学生時代に英語だけはしっかり勉強しましょう。英語が使えるか使えないかの違いで、経理の仕事でさえ進路の選択肢から収入まで、まったくちがってきます。商大時代のことと、卒業から現在までの職歴をお話しします。
 
部活は、高校のときにやっていたソフトテニスをベースに、テニスを続けたくてまず硬式テニスサークルのBe-Palに入りましたが、やがて仲間と公認ビリヤードサークルを立ち上げました。都通にあるビリヤード・アラカワで、社会人をまじえて大会を開くなど、大人たちと交わって楽しんでいました。
ゼミは田中良三先生の財務会計・監査論。研究室のドアにはいつも、「会計士になりませんか?」というプレートがかかっていました。就活では、メーカーの経理分野を志望しました。といっても私たちの年は、有効求人倍率が史上唯一1.0を切る超々氷河期。現在のそれは1.8に近い数字ですから、ずいぶんきびしい状況でした。戦略としては、ペーパーで振り落とされないようにSPIを十分準備しました。そして面接のマニュアルなどは一切見ませんでした。それをやるとほかの人と同じになってしまいますからね。
 
銀行やメーカーでいくつか内定をもらって、大メーカーの原価計算や経理に興味があったので最終的に(株)日立製作所を選びました。日立製作所では社会インフラ部門の受変電経理部原価課という部署に配属されました。変電所のパーツや下水処理場、新幹線の運行制御や都市の車両運行システムなどの製品原価計算を行う仕事です。
これらの製品は、オーダーを受けてから長いスパンでつくる特注品ですから、原価計算は個別に行います。インフラ系は受注範囲が広範に渡り、関係者も多く収益計算がとても難しいのです。一方で工場で大量につくる製品だと、まず先に作ってから全原価・経費を単純に一台ずつで割っていきます。個別原価計算と総合原価計算のちがいですね。当時は電力会社が、バブルの時代に過剰だった投資をぐっと絞っていた時代で、所属の部門はずっと赤字。私もやがて月20〜30億円くらいの予算を管理するようになりましたが、この赤字の状況には心が萎えました。
 
会社はほどなく、自分の所属する赤字の変電部門を切り離して、富士電機と明電舎と日立でJV(ジョイントベンチャー)を設立します。私はその仕事もすることになりました。原価計算のやり方が3社ともちがうことにはじまり、膨大な調整が必要でした。
そこで通常の業務に加えて、調査・分析のDD(Due Diligence)と、システム統合の実務であるPMI (Post Merger Integration)の仕事でハードな日々をおくりました。また、ERP(Enterprise Resource Planning)という、経営を担う資源計画を立てる基幹システムがあるのですが、これをSAP社のものに変更する仕事にも携わりました。さらには、グループ企業への税務調査や監査法人が行う会計監査などに対応する仕事もありました。防衛省など国からの受注が多い企業ですから、会計検査院への対応に費やされる時間も膨大です。日立製作所の経理の、赤字が常態であるこの部門に入って、私はすぐ思いました。優秀な先輩や上司からできるだけ多くのことを学んで、はやくここを卒業しよう、と。もっと前向きな仕事をしたかったのです。
 
4年間で仕事をひととおりマスターして、レッドハット(株)という、当時はアメリカのITベンチャーの日本法人に移りました。レッドハット は、本社のあるアメリカではニューヨーク証券取引所のシステムを受注していました。数年後には、日本で東京証券取引所のシステムも受注してITの力で社会インフラを支えることになります。
転職したとき、日立は本体で6万人、グループ連結では30数万人もの社員がいる重厚長大メーカーでしたが、こちらの日本法人は20名ほど。世界全体でも数百人のソフトウェア企業です。日本でも社内の公用語は英語でした。事業は好調で、毎月最高益をだすような急成長を続けていました。ここでも月3桁残業の日々だったのですが、日本と韓国、香港の決算をアメリカの会計基準で行い、日本から韓国と香港に送金する仕事もあり、国際会計を身につけることができました。
 
通常の業務に加えてここでも突発的にいくつかの大きな仕事が降ってきました。ひとつは、アメリカのSOX法(企業の不祥事を防ぐための厳しい法律)によって「内部統制」の仕組みを導入したこと。日本企業に4年くらい先駆けた取り組みでした。また先にふれたERPをOracleに変更したり、CRM(Customer Relationship Management、顧客関係管理)のシステムにSFDC(salesforce.com)を導入するといった仕事に携わりました。CRMとは、細かな営業のプロセスから販売履歴・カスタマーサービス・マーケティングまでを一気通貫に管理するクラウドのプラットフォームです。
またこの時代、私は移転価格税制への対応の仕組みを構築しました。簡単にいうとこのようなことです。レッドハットの日本法人は、ソフトの製造を行っていません。アメリカ本社が作り、日本は売るだけ。つまり販売するソフトの原価がゼロなわけですからたいへんな利益が出て、これに日本の高い税が課されます。そこでアメリカ本社の開発費・経費を日本へ分けるようにすれば、ソフトの原価が適正化されて節税につながります。税理士といっしょに戦略を練って取り組みましたが、東京国税局が3カ月にわたって税務調査に入ったり、プレッシャーと向き合う日々をおくりました。
海外の関連企業との取引をめぐる移転価格税制は、国税局と企業とのバトルともいえる解釈や議論の場で、昨年もアップルジャパンが120億円もの追納金を払ってニュースになりました。この裏には相当のバトルがあったことが容易に想像できます。移転価格税制の現場では、手法ひとつで数億円も利益がちがってきます。この仕事の成果が認められて、私はマネージャーに昇進しました。これ以後、私は社長以外にボスを持たなくなりました。経理の仕事は、ただ正確に帳簿を地道につけること。そんなふうに考えていたら、大きな間違いです。そこは、企業経営最前線のバトルの場でもあるのです。

 

 

レッドハットに4年ほどいて、私は次のステップに上がろうと思いました。選んだのがウルトジャパン。ドイツの非上場の一兆円企業で、自動車分野を中心にした工業用資材のファブレスメーカーです。ブンデスリーガの試合を見ると、ゴール裏のいちばん目立つところにスポンサーロゴを掲げるような、ヨーロッパではよく知られた存在。入社契約を結んだのがゴールデンウィークのころで、出社したのはリーマンショック(2008年9月)の直後でした。つまり世界経済は5月に契約したころとはまったくちがっていました。
当初私の仕事は、M&Aの候補企業を探すこと。ウルト社は1980年代の終わりに日本に進出して日本法人をつくりましたが、ずっと赤字続きでした。ドイツのトップはM&Aで日本の中・大企業を吸収し一気に販路拡大と黒字化をしようと考えました。そのプロジェクトを担うために私は、大企業にいたことやM&Aの経験のある国際会計の専門家として雇われたのです。肩書きは、Division Manager(事業部長)、Finance & Administration(経理&総務財務部長)。
 
入社当初は、銀行などの力を借りながら、技術・販路はあるけれど赤字続きだったり後継者難といった日本の企業を候補としてリストアップして、社長や経営陣に会いに行ったりしました。しかしドイツ本社自体がリーマンショックで創業以来3度しかない赤字となり、なんと日本撤退を決めてしまいます。私はウルトジャパンのドイツ人社長とふたりで本社と、事業を再構築して1年で黒字化するからあと1年だけ待ってほしい、と交渉しました。訴えが通じてなんとか生き延びることができました。しかしそのためにはリストラが欠かせません。社長はドイツ人ですから、現場は私の担当です。30歳の若輩の自分が、40代50代の社員と毎日面談してリストラを進めました。いま思い出しても辛く厳しい日々です。去らざるを得なかった人はもちろん、残った人にとってもリストラの傷は深く残ります。リストラは企業経営でいちばん避けたいこと。そんな思いが強く残りました。
 
今度も4年ほどで実績をつくって、今度は、リーチローカルジャパンサービス(Reach Local Japan Services)というインターネット広告の日本法人の立ち上げにヘッドハンティングされました。肩書きは、執行役員・管理本部長。この会社は、Googleなどの検索エンジンが提供する広告を検索に応じて掲載するサービス(リスティング広告)を行います。米国本社はNASDAQに上場して急成長を遂げた企業で、日本でも、GoogleのグローバルプラチナSMEパートナーとしてGoogleといっしょに日本の中小企業をお客様として開拓しました。
SMEとは中小企業(small medium-size enterprise)のことで、日本では、唯一の海外市場を含めたSMEパートナーでした。Googleのビジネスの基盤は広告媒体としてあるわけですが、リーチローカルジャパンサービスは日本のすみずみの中小企業の広告をまとめてGoogleのシステムにデータを流し込みます。私たちは広告の費用対効果を見える化する独自のシステムなどを駆使して、出稿クライアントの信頼を得ていきました。Googleにとっても貢献度は大きく、信頼されるパートナーでした。なにしろたくさんの中小企業の広告を集めることで、単独では断トツに大きなクライアントである外資系大手通販よりもひと桁大きな実績を上げていたのです。
私たちはGoogleから非常に大切にされていました。ここではまず、ERPや経理のシステム構築はもちろん勤怠管理のシステムなどまで、さまざまな仕組みづくりをゼロから行いました。また、税法で許されている繰越欠損金のルールを使うために黒字体質と赤字体質の兄弟会社を将来の節税効果を狙って合併させる、といった仕事もしました。ジャパンの業績は順調でしたが、米国本社の収益が悪化してしまい、ある日突然USA Todayというアメリカの全国紙を発刊している巨大メディア企業に身売りしてしまいました。外資系企業ではそれほど珍しいことではありませんが、いろんなことがありました。ここにも4年あまりいて、自分なりに納得する成果をあげることができたので、次のキャリアを求めました。そして、米国の大手投資ファンドであるKKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)がパイオニアDJ(株)を2015年春に買収して、この会社のマネージメントを担うために、社長と私がKKRを経由して昨年暮れに送られました。

 

 

CFO(最高財務責任者)の役割と責任とは?

 

現在の勤め先に移る前に4社の会社を経験しました。しかし私は単なるジョブホッパーではありませんから、転社にはいずれも自分なりに納得のいく成果とタイミングが欠かせませんでした。それぞれで得たものや、実績、それらに商大時代に学んだことがどのように役立ったか、主なものを整理してみます(表を示す)。日立製作所ではまず決算や原価計算、会計監査や税務調査への対応を経験して、DD(Due Diligence)やJV設立に取り組みました。これらの仕事には、原価計算や管理会計、簿記、財務会計といった商大で学んだ基礎が直結していました。レッドハットでは、自身最初の外資系企業なので米国会計基準やSOX法への対応、国際税務やベンチャー経営などが学べて、会社の黒字転換に貢献することもできました。商大で身につけた英語やIT業界でしたので社会情報概論といった基礎が役立ちました。

リーマンショックに直面したウルトジャパンでは、国際財務報告基準やDES(Debt・Equity・Swap)実施から法務やM&A、リストラなどに取り組みました。人員削減を伴う事業再構築は痛みと引き替えでしたが、日本進出20年ではじめて黒字を計上しました。商大でドイツ語やドイツ文学を学んでいたことが、ドイツ本社やドイツ人社長とコミュニケーションする上で思わぬ形で役立ちました。学生時代、自分がドイツ企業の日本法人で働くなんて、想像もできませんでしたけれど。リーチローカルでは、事業の立ち上げから経営全般のスキルを高めて、日本進出3年で黒字にしました。商大で学んだ民法や商法の基礎も力になったと思います。
これらの経験から私が得たものを大きく分けると、「経理畑一般で身につく知識」と、「新たなシステムの開発や基準の改正が頻発する外資で身につくスキル」、そして「少人数ゆえに仕事の幅がとても広いベンチャーの世界が鍛えてくれた技能」という、3つに分類できます。
 
現在勤めるパイオニアDJ(株)は、クラブやライブイベントでプロのDJに使われるプレーヤーやミキサー、コントローラーなど、DJ機器を製造・販売している会社です。社名はご存知だと思いますが、パイオニアという電機メーカーから2015年に事業分離して生まれました。KKR(コールバーグ・クラビス・ロバーツ)という米国の大手投資ファンドに買収されて現在の姿になったのです。ほぼ同じ時期にKKRは日本で、パナソニックヘルスケア(株)という、元パナソニックグループに属していた企業も買収しています。
先にふれたように、パイオニアDJのマネージメントを担うために、社長と私がKKRから送られました。私はこの会社でエグゼクティブディレクターの職にあり、CFO(最高財務責任者)を務めています。社内では、「(C)ちょっと(F)ファンキーな(O)おじさん」とも呼ばれています(笑)。ちなみに私は1977年生まれで、安室奈美恵さんと同い年です。エグゼクティブディレクターは社内に4人いて、社長、会長、技術部門のトップ、そして私になります。少し具体的にいうと、私はいま、経理・人事・法務・IT分野を統括しながら、5〜10年後を見すえた会社の構造改革、業務フローの再構築などを担当しています。業務のDD(Due Diligence、適正かつ詳細な調査分析)を通して、全社的な方針を策定しながら予算編成などを改善するのが仕事です。いまは外部の知見を積極的に取り入れるために、採用や社員教育が急務だとも考えています。
 
KKRを世界的に有名にしたのは、90年代にRJRナビスコという大企業をレバレッジド・バイアウト(LBO)という手法で買収したことでした。私は学生時代から札幌のクラブによく行って遊んでいました。その嗜好がいま生きていることになります。日本ではそうでもありませんが、欧米ではDJはとても人気のある職業で、例えばカルヴィン・ハリスという世界ナンバーワンのDJは年間なんと70億円も稼いでいます。大リーグやサッカーの世界トップの選手よりも多いと思います。去年のリオ五輪の閉会式でDJが登場したことを覚えている人もいるでしょう。サッカーのユーロ2016(UEFA欧州選手権)の開会式もDJが盛り上げていました。
アメリカのDJシーンを映像で見てもらいます。(映像を上映)一般論として経理パーソンの重要な役割は、まずキャッシュフローを正確にモニターすること。黒字倒産など決して起こしてはなりません。そして会計基準や法令、社内規則などのルールを守りながら正確に、そして迅速に帳簿を締めます。経理の世界では「ルールなくして正確な帳簿なし」と言われます。
さらにこの仕事ではスピードが大切です。企業活動のすべては数値化されます。この数値をもとに、CEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)に経営のアドバイスをするのですが、このタイミングが重要です。経営者の中には勘や感覚で舵取りをする人がいます。
また一方で、営業やサポートセンターなど社内の各部署からは、業務改善のためにもっと予算や人がほしいという声がつねに上がります。これらの利害を調整し優先順位付けし、会社のバランスをとるバランサーの役割を果たすのがCFO仕事の一つです。
 
世の中にはともすれば、「経理は数字を生み出す責任が軽い気楽な現場だよね」、という誤解があります。事実、帳簿をつくるだけで満足してしまう経理パーソンも多いのですが、とんでもありません。CFOには、経理の数値を見極めながら、成長する部門にどのくらい予算をつけるべきかを判断する重大な責任があります。そのために情報収集能力を磨きながら日々の勉強が欠かせません
。さらに加えて、CFOにはトップの不正を許さない高度な倫理観が求められます。大きく言えば、CFOの役割と責任は、数値を元に各所をモニターし、ブレーキも踏む準備をしつつ「企業価値を最大化すること」。これにつきます。日系の大企業のメーカーと外資系ベンチャーで転社をしてきた私は、自分は日系大企業(メーカー)にはなじめないな、と思うようになりました。年功序列で団結力の強い日系大企業にはすぐれた点もありますが、私としては、自由闊達で多様性が高く、決定が速くて金銭のインセンティブも多い外資系ベンチャーに惹かれます。思いついたらすぐ行動に移せて、その成果が自分に返ってくる。幹部には大きな権限が与えられ、そのぶん大きな責任を背負います。外資系ベンチャーでは、日本企業のように、経理パーソンに向かって「キミは明日から営業部に異動してもらう」などということはありません。新卒を育てるよりも即戦力を中途で採用する外資系ベンチャーでは、そもそも社員ひとりひとりがその道の専門家なのです。
 
「Think simple, Act faster」。複雑で高度な判断を迫られる毎日の仕事の中で、いつしかこれが私のモットーとなりました。人間がその一生でいちばん時間を費やすのは仕事です。だから自分がほんとうにやりたい仕事に楽しく打ち込みたい。私はそう思うので、プロとして、自分で限界を決めずに仕事に取り組みたいと思います。もちろんそれは、家族や家族と自分との時間を犠牲にしろ、ということではありません(ちなみに妻は商大の同期生です)。会社を選ぶ「就社」ではなく、その道のプロとしての仕事を選ぶのが「就職」です。そういう就職をかなえることが、家族とともに「自分の人生を自分でコントロールする鍵」になります。

 

 

<阿部洋介さんへの質問>担当教員より

 

Q 近年大手企業の不正経理が大きなニュースになっています。そうしたケースで、高度な倫理観に根ざすべきCFOが本来の仕事をできていなかったことには、どんな原因があるとお考えですか?

 

A 会計の不正では、基本的に日本とアメリカでは動機にちがいがあります。日本では不正を行った人の発言で、部署や会社を守るためだった、という言葉をしばしば耳にします。対してアメリカではだいたい、業績を良くしてストックオプションの価値を高めたいといった、担当個人の利益のために不正が行われます。だから組織に根ざす日本の不正では、多くの場合は内部統制に問題があるのだと思います。つまりトップから強く言われるとNOと言えない、パワーバランスや権限の問題ですね。

 

Q ほぼオリンピックの年ごとに転社をしてきた阿部さんですが、これからのキャリア設計をどう考えていますか?

 

A オリンピックの年だから会社を替えようと決めているわけではありません(笑)。これはめぐり合わせの問題ですね。これまでも、誰でも知ってる外資の大手IT系企業の日本法人のCFOに誘われたことが何度かありました。ただいろんなタイミングが合わなかった。私は、半年ごとに自分の履歴書をアップデートしています。そして将来的には、すぐれたアイデアや強い意志をもって日本で起業する人たちを、金融戦略をはじめとした世界レベルのノウハウでサポートする会社を経営してみたいと考えています。とりわけ小樽や北海道の資源をもとにグローバルビジネスを起こす若い人たちを応援したいのです。

 

<阿部洋介さんへの質問>学生より

 

Q 学生時代に学んだこと、体験したことがいまの仕事に役立っていますか?

 

A 商大時代、勉強に加えていろんなアルバイトをしましたし、たくさん遊びました。人材派遣会社に登録していたので、バイトは家庭教師から肉体労働まで多岐にわたります。バイト先でいろんな大人と交わったことが良い経験になりました。遊ばなかった人は、社会に出て自分の殻を破ることができないと思います。
また私は小学校を3つ、中学校はふたつ経験している転校生だったので、コミュニケーションの力がずいぶん鍛えられたと思います。人に何を言われようが自分が信じることは曲げない、という資質が強くなりました。企業と社会との関わりでいえば、皆さんの中には社会貢献をしたいとかCSR(企業の社会的責任)に関心を持っている人もいるでしょう。私は、企業の存在価値は、まず価値ある本業でしっかり利益を上げて税金を収めることだと思います。CSRに熱心な世界的企業が実は法人税をほとんど払っていない、ということは珍しくありません。そういう企業では、CSRはあくまでイメージを重視する広報戦略の一環なのです。
講義では節税のことも話しましたが、私は納税額をゼロに近づけるのが優秀なCFOであるとは全く思いません。この社会を将来にわたって持続的に成り立たせるために、適正な税金を払うことは企業の重要な使命のひとつです。

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