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エバーグリーンからのお知らせ

2018.01.10

平成29年度第11回講義:「企業における人事のしごと」

概要

 

○講師:浅井 昌氏(平成5年商学部経済学科卒/旭硝子株式会社 人事部人財開発企画担当部長)

○題目:「企業における人事のしごと」

○内容:応援団と体育会の活動に熱中した商大時代。先輩から薦められた会社に入って20数年が経った。社内でさまざまな部署を経験するなかで身につき、鍛えられたたくさんのことがある。それらは現在取り組む人事の仕事に、かけがえのないリソースとなっている。企業における人事の仕事と人財(人材)について語りながら、予測困難な時代に育っていく皆さんに、これからのキャリア形成のヒントを提供したい。

 

人事に求められる重要なミッションとは?

 

皆さんは人事部というとまず採用を担う部署だとイメージするでしょう。学生からは、面接で登場するこわい人(笑)という印象が強いと思います。でも採用は、人事の仕事のほんの一部にすぎません。本日は、最初に企業の中で人事部とはどんな仕事をしているのかを説明して行きたいと思います。

 
企業はいろいろな資源を使って、事業の目的達成のために活動しています。資源を大別すると、「ヒト」「モノ」「カネ」「情報・(時間)」と言えるでしょう。つまり企業にとって、「ヒト」は大切な経営資源のひとつなのです。「ヒト」という資源は他の経営資源(ヒト・モノ・カネ・情報)を使う存在です。しかも「ヒト」という資源は他の資源とちがって、意志や感情やそれぞれに異なる能力を持っている。「ヒト」は経営資源の中でも扱いが難しい特別な存在なのです。またそのパフォーマンスは、活かし方次第で無限大にもゼロにもなりえるのです。そんな企業の運営する上でとても重要な資源である「ヒト」を相手に仕事をするのが、人事の仕事です。それでは、企業における人事部門の仕事をご紹介したいと思います。
 
人事の仕事は大きく4つに分けられます。まず人財を採用して各部署に配置して、経験とともにその人の能力を高めるといった「雇用管理」の仕事。そして労働時間や働き方の条件を整える「就業条件管理」の役割があり、人財を評価する「人事評価」も担います。さらに昇進や昇給、福利厚生、あるいは給与や賞与を用意したりする「報酬管理」の仕事があります。これらの人に関する一連の業務を一手に引き受けているのが人事部です。
また、社外の労働市場をめぐる動向を注視し適応していくことを考えるのも人事部の仕事です。グローバル化、ライフワークバランス、少子高齢化による働き手不足、女性が安心して休職できる制度を整えるなど、難しい課題が山積しています。企業における人事部の果たすべきミッションは、先に話した人財マネジメントサイクルを回しながら人と組織の課題解決し、企業の戦略実現に貢献することなのです。言い方を変えると、「企業が社会・お客さまに対して継続的に価値を提供するために、最適な人財・組織・風土・働き方を創ること」といえます。
 
ここで旭硝子(AGC)の人事について簡単に触れたいともいます。
その前に皆さんは旭硝子をご存知でしょうか?旭硝子は三菱グループの一員で、世界最大手のガラスメーカーのひとつです(創業者は、三菱の祖である岩崎彌太郎の甥の岩崎俊彌)。BtoBの会社なので、一般消費者にはあまり馴染がありませんが、ビジネスをグローバルに展開している素材メーカーです。旭硝子が生産しているモノは、一般に知られているところでは、建築用の板ガラスや自動車用ガラス、そして液晶テレビやスマートフォンに使われるガラスの部材など。他にもフッ素樹脂や苛性ソーダなどの化学製品や、耐火煉瓦を始めとしたセラミック製品などもあり、グループ全体の売上は1兆2千8百億円ほどになります(2016年)。拠点はアメリカ、ヨーロッパ、そして日本・アジアにあり、従業員は約5万1千人です。
この5万1千人の従業員に関わる仕事をしているのが人事部です。旭硝子の人事の組織体制は、大きく地域(国)軸と事業軸(ガラス、電子、化学品など)のマトリックスで構成されています。全体の統括する「コーポレート人事機能」があり、異なる地域を同じ事業で貫く「カンパニー事業機能」や、地域ごとにある「カントリー/リージョン人事機能」、そして国内外の拠点に置かれた「拠点人事機能」があります。
人事の仕事は、部門・地域の枠を超えて、AGCグループ全体に関わっており、その仕事は日に日に高度化・複雑化しています。

 

様々なチャレンジから作られた私のキャリア

 

ここからは、私のキャリアについてお話ししたいと思います。エバーグリーン講座では、キャリアアップのためにいろいろな転職をしてきた方の話も多いと聞きました。その点私は、新卒で入社して以来40代後半の今日まで、ひとつの会社にいます。もっとも社内において部署はいろいろと変わってきたので、社内で転職をしてきたと言えるかもしれません。今日は、私のそんなキャリアを少しご紹介したいと思います。
 
私は茨城県日立市で生まれ育ちました。小樽商大の受験も東京受験だったので、入学するまで北海道に来たことがありませんでした。でも小樽で下宿生活をはじめると、すっかりなじんで伸び伸び暮らせました。部活は応援団と体育会に入りました。のちに体育会の会長も務めます。部活は真剣に取り組みましたが、実は勉強の方はそうでもありません。恥ずかしながら4年生で48単位も残っていました。就職活動では、たいてい面接官から「きみ成績悪いねぇ、卒業できる?」としみじみ言われたものでした(笑)。
旭硝子(AGC)という会社に入ったきっかけは、先輩から薦められたからです。「このリストに名前と住所を書いて出してくれ」、と。実はそのときまでこの会社のことはほとんど知りませんでした。元々は商社志望で内定も幾つか持っていましたが、当時のゼミの先生から、“資源の無いこの日本の国力の礎は製造業であり、そこに身を投じても良いのでは?”というアドバイスを頂き背中を押され、旭硝子の入社を決めました。
 
ここからは、入社してからどんなキャリアを積んできたかをお話しします。24年ほどの社歴を3つに分けてみました。入社した1990年代は、自分の「鍛錬期」でした。最初は鹿島工場(茨城県)で建築用板ガラスの生産計画を担当しました。作業服を着る毎日です。工場は24時間365日稼動して、1日820トンの板ガラスを生産しています(ここだけで国内シェアの約2割)。厚みは約10種類、品種・寸法を合わせると製品で1,000種類ぐらいあったかと思います。生産計画では数多くの失敗もしましたが、上司や現場で長く働く年上の方々(おっちゃんたち)に助けを得ながら、3年半くらいもまれました。
生産計画担当として一人で仕事が回せるようになり、自信がついてきたころ異動となりました。今度はスーツを着て大手住宅メーカーやアルミサッシメーカーに向けて新製品の企画営業を担当です。なかなかお客様に最適な提案をできず、悩んだのもこの時期です。ここでもお客様、上司・先輩から様々な事を学び何とか一人で営業できるようになりました。
 
それからまた異動となり、新商品プロジェクトの営業マーケティングを担当。ここでは初めての市場調査を兼ねた飛び込み営業や、製品パンフレット作成、展示会の準備、販促関連の企画から製品資材の購買等、少ないメンバーで何でもやらなければならず、様々な事を学びました。大企業にいながら小さなベンチャー企業に入ったのと同じで、会社という組織が何となくわかりました。最初の10年弱は、メーカーの神髄である“モノづくりの現場からお客様へ届けるまで”の様々な工程に関わる事が出来たと思います。「鍛錬期」では、様々な現場を経験して、仕事に対する考え方や取組む姿勢を自分なりに確立できたと思います。どんな仕事にも課題があり、課題解決にはまず様々な情報を集めて分析していく。このとき、いろんな立場の人と意見交換をしながら、具体と抽象を行ったり来たりして“課題の本質”を捉えます。そこから練られたプランを実行に移しますが、うまくいかなければまた情報収集からやり直す。どんな仕事でも、本質は一緒なのだと思います。そしてどんなに難しい課題あっても、自身で絶対成し遂げるというマインドが最も大事ということをこの時期学びました。
 
仕事が楽しくなってきて、次に私の「充実期」がはじまります。人事部に異動となり総合職の採用担当になりました。優秀な人材を獲得するために学生に自社の魅力をプレゼンすることは、営業職とも共通していました。採用計画のプランニング、パンフレットの製作、プレゼン資料の作成、説明会等、「鍛錬期」に学んだ事がかなり役に立ちました。そのあと10年ぶりに工場へ異動となりました。工場労務を担当することになります。そのころはちょうどテレビのブラウン管の生産が終わるころで(ブラウン管ってわかりますか?)、同時に液晶テレビ用のガラスの生産ラインを立ち上げるという時代の境目。リストラと人員配置、新規採用の仕事を同時進行で進めるという職務です。仕事をとおして働く人たちのさまざまな気持ちや人生に触れる事で、これまでの自身の考え方に新たな視点が加わったのもこの時期です。企業とは、世の中に何らかの価値を提供しているから存在している組織です。世の中がもはやブラウン管を必要としていないのですから、その生産工場は存在できません。そんな時代の流れに巻き込まれ、自ら会社を去る選択をした人たちもいました。そんな人たちが私の転勤のときにわざわざ送別会を開いてくれました。仕事に全力で真剣に向き合った私という人間を見ていてくれたことに感激しました。
 
次の異動は、台湾。液晶用ガラス工場の人事担当です。入社したときから、グローバル企業なのだから一度は海外で働きたいと思っていたので、ようやく、という気持ちでした。部下全員が台湾人という中で、新たな拠点の立上げと、従業員を採用(約千人)や人事制度の構築、日本人派遣員の生活基盤の確立等、様々な仕事を担当しました。歴史や文化の違いを日々肌で感じながら、仕事の幅を広げることができたのもこの時期です。これで自分も会社に少しは貢献できるようになったかな、と自信もつきました。またこの時期に異文化にどっぷり浸かったことで、それまで自分が当たり前だと思っていたことが、物事のほんの一面でしかないことに気づきます。
一方で、何があっても変わらない本質もあることも気づきました。ビジネスの動向や背景を、歴史や哲学や心理学の文脈も意識しながら考えるようにもなりました。読書もたくさんしました。成績は悪かったですが、学生時代に沢山本を読んでいたことは役立ちました。39歳のとき、台湾からもどって国内工場の総務部長になりました。自動車ガラスを生産している工場で工場長の補佐役の立場です。
 
ここから現在まで、私のキャリアでは「習熟期」と呼べる時代です。このあと電子関連事業の事業部人事を担当することになり、電子カンパニーHR(ヒューマンリソース)リーダーとして、従業員約1万人の人事責任者になりました。担当して間もなく、タイでは大洪水が起こって工業団地が水没(2011年秋)。撤退の道を選ばざるを得なくなり、私はその仕事も担当しました。中国でも工場の撤収がありました。タイでも中国でも、この種のことには職を失う現地従業員からの訴訟がつきものです。いろいろなことに心を尽くして、当社ではそうした事態を起こさずに済みました。このあたりにはスリリングな話もありますが、今日の本筋ではないのでふれません。
そして昨年(2016年)から、私は人事部の人財開発企画担当部長の職にあります(当社では人材に「人財」の漢字を当てます)。経営戦略の実現を目的に、採用戦略や人材育成体系構築などを企画し、人と組織のパフォーマンスを最大限に引き出すのがこの仕事のミッションです。一般に大企業の人事部のスタッフは、長く人事の仕事に専門的に携わっている人が多く、私のように幅広くいろんなことを経験してきた人間は珍しい存在です。ですからこれまで培った現場での知見・経験をベースに、人事の仕事に新たな課題を見つけようとチャレンジしています。企業人としてようやく一人前になったかな、というのが正直なところです。

 

 

仕事をする上で大事にしていること

 

ここで、私がこれまで仕事をする際に大事にしてきた5つの言葉を紹介します。

・信頼を大事にする

・「まじめ」ではなく「真剣」に取り組む

・アンテナは高く

・常に学ぶ姿勢で臨む

・「野心」ではなく「志」を持つ

私にとってどれも大切な言葉ですが、今日は「信頼を大事にする」という言葉を説明します。
皆さんは「信頼」について、考えたことはあるでしょうか?社会人の信頼は、「仕事力」と「人間力」で構成されていると私は考えています。どんなに仕事力が高くても、人間力が高くないと信頼は生まれない。またその逆も同じことが言えます。信頼がなければ、仕事は頼まれなくなるし、新たな機会も回ってこなくなります。様々な仕事に対しやらされ感をもって「上司に言われたとおり“まじめ”にこつこつやる」のではなく、「仕事の意義を考え、主体的に目的志向で“真剣”に取り組むこと」が信頼につながります。一つ一つの仕事に「まじめ」に取り組むのと、主体的に「真剣」に取り組むのでは、最初はその差が僅かですが、積み重ねていくと成長スピードに大きな差が生まれるのではないかと考えています。
またキャリアを形成する上で、信頼は非常に重要な要素と考えています。私はひとつの会社でいろんな仕事をしてきましたが、実はどれも最初から想定したものではありませんでした。一つ一つの仕事に真剣に向き合い、仕事をとおしてお客様や先輩・上司、仲間と築いた信頼の積み重ねこそが新たなチャンスをもたらしてくれたと考えています。より良いキャリアを構築する上で信頼はとても大事な要素なので、皆さんも信頼について考えてみてください。
 
予測困難な時代にキャリアをどう作るか最後に、キャリアに対する私の考え方を話します。いまの時代の様相をとらえるのに「VUCA(ブーカ)」という言葉が近年使われるようになりました。これはVolatility(変動)、Uncertainty(不確実)、Complexity(複雑)、Ambiguity(曖昧)の頭文字をつなぎ合わせた造語です。社会はいま、とても予測困難です。その中で10年後、20年後の自分を計画することには無理があるでしょう。また、そのような不確実で変化が激しい時代を生きるために必要な資質として、Resilience(レジリエンス・しなやかな復元力)という概念が注目されています。レジリエンスを持ち合わせていれば、想定外の変化や事態を受け止めて吸収しながら、エネルギーに転嫁して進むことができます。VUCAの時代には、変化が激しく不確実性が高いので中長期的なキャリアを考え・構築するのは難しい。思い描いていたキャリア通りに行かないのもこの時代です。レジリエンスをもって、目の前にある仕事に真剣に取り組み、3~5年のスパンで自身のキャリアを見直すと良いと思います。変化を楽しむ余裕を持つことも重要です。
 
キャリアという言葉は、日本語に訳すと「轍」という言葉で表現されます。私のキャリアも一見バラバラに思えますが、ひとつひとつの仕事を真剣に取り組み与えられたチャンスをものにしていくことが、新たなキャリアに繋がる。キャリアとは、雪道にできた轍と一緒で、振り返ってみると構築されているものなのかもしれませんね。

 

 

<浅井 昌さんへの質問>担当教員より

 

Q AIに代表されるように、いま社会のいろいろな場面で新しいテクノロジーが勃興しています。人事の仕事の近未来にも変化は起こりそうですか?

 

A まず人事の世界では近年、「カンパニーセンター(企業中心)からピープルセンター(社員中心)へ」という新しい考え方が広がっています。つまり、会社が人を採用して教育を施して管理していくという会社上位の考えではなく、中心はあくまで社員、という考え。彼らの内発的なモチベーションを上手に引出し、それによって会社は良いパフォーマンスを発揮する。社員と会社の関係や、企業のありようが変わってきていると言えます。また、人事においてもビックデータが多用されるようになってきており、この傾向はさらに進むと思います。社員のパフォーマンスを数値化して、そのデータを採用の現場にフィードバックさせる等様々な分野で試みが始まっています。人事に関わるビッグテータとその新たな活用には、先進のテクノロジーが欠かせないと思います。

 

Q 新卒学生の採用で、面接官の浅井さんが見るポイントはどのあたりにありますか?また、入社してから伸びていく人にはどんな共通の特長がありますか?

 

A 「まじめ」と「真剣」は全然ちがうという話をしましたが、学生時代になにかに真剣に取り組み・成し遂げた経験を自分の言葉で語れる人には魅力を感じます。マニュアルをなぞるような人とは、言葉の真実味がちがいますからね。ありのまま自分を、自分の言葉で話し、会社とのマッチングを図るのが就職活動であり採用です。私は就職活動において、取り繕った自分を評価してもらい入社したとしても、その後が大変だと考えて、ありのままの自分を自分の言葉で話していたと思います。それと、入社してから順調に伸びていく人は、自分のまわりに垣根やハードルを作らないオープンマインドな人だと思います。何ごとも恐れず、そして先入観や狭い持論にとらわれずにのびのび仕事ができる人は、成長していきます。採用でも、そうした資質を見極めたいと思っています。

 

<浅井 昌さんへの質問>学生より

 

Q 学生時代での印象に残っていることを教えてください。

 

A 小樽に4年間暮らしましたから、様々な人との出会いや交流が忘れられないですね。あるときバイト先で仲良くなった方から、電話帳を1万件分宅配してくれないかと相談を受けました(NTTの方でした)。やります!とふたつ返事。応援部と体育会で人海戦術を展開して、やりとげました。すると翌年は2万件やってくれ、と。じゃあギャラを上げてください、と交渉してまたやりましたが、みんなには予算が増えたことは内緒でした(笑)。また当時の藤井榮一学長から80周年祭の実行委員長を頼まれて、仲間と協力して取り組みました。学生みんなの思い出の一つになる様な企画をしたいという思いから、商大生が1,000人大学に集まる企画を考えました。キャンパスで牛一頭を丸焼きしたり、小樽ワインさんにワイン樽を提供してもらったことが楽しい思い出です。

 

Q 人事の仕事のやりがいをどんなところに感じますか?

 

A 昨年リーダークラスを集めた管理職研修を実施したのですが、今までのMBA流のマネジメント手法を学ぶ研修に変えて、「人の心に火を灯す」リーダーについて考えてもらう研修を実施しました。社員ひとりひとりの内発的な動機をいかに引き出し組織パフォーマンスの最大化を図るかを考えてもらう研修で、社内でもちょっとした話題になりました。日常業務の中で管理職同士が、「いまの発言は部下の心の火を消すなぁ」などと議論しているところに出くわしたことがあって、うれしく感じました。また、採用して5年くらい経って力がついてきたメンバーが社内で目立ちはじめるころ、この期はみんな良い人材だな、などと評価されているのを見ると、採用を担当した身としてはうれしいですね。

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