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2024.11.13

令和6年度第6回講義:秋田 貴之さん(H9卒/H31OBS修了)「地方都市でオフィスビルを創るということ」

講義概要(11月13日)

○講師:秋田 貴之 氏(1997年商学部管理科学科卒・2019年大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻修了/NTTアーバンバリューサポート株式会社東北事業部担当課長)

 

○題目:「地方都市でオフィスビルを創るということ」

 

○内容:

「深夜特急」(沢木耕太郎)に心を揺さぶられて、私は小樽商大を1年間休学してヨーロッパを旅した。6年間通って卒業後に入ったのは建設会社だった。その後プロパティマネジメント(PM)の分野に転職して、仕事の本当の面白さが実感できた。2回目の転職のためにさらにOBSで学んだのも、PMの仕事をさらに掘り下げるためだった。進路選択の一助となることを願って、PMの意味や価値を話したい。

 

 

まちの価値を持続的に高める、プロパティマネジメントの仕事

 

秋田 貴之 氏(1997年商学部管理科学科卒・2019年大学院商学研究科アントレプレナーシップ専攻修了/NTTアーバンバリューサポート株式会社東北事業部担当課長)

 

 

 

 

「深夜特急」に心掴まれて

 

私はビルを創る仕事をしています。今日は勤務地である仙台から母校に帰ってきました。
ビルを創るといってもただ建物を作っておしまいではなく、そのビルがまちの中でどんな価値をもって人やモノやお金を動かしていけるかを担う、プロパティマネジメント(PM)という仕事です。今日はPMの仕事についてお話しします。
今ではこれが天職だと思っている私ですが、しかし学生時代からいろいろ回り道をしました。商大には6年も通ったくらいです(笑)。

 

生まれは愛知県です。1991(平成3)年に小樽商科大学に入学しました。きっかけは「北の国から」という、富良野を舞台にした当時大人気のテレビドラマを見たことです。北海道の風景や風土に憧れて、とにかく北海道で暮らしてみたいと思いました。
東京で受験したので、実際に北海道の地を踏んだのは1991年の3月です。新千歳空港に降り立つと、あー北海道だ!と思いました。でもJRで札幌をすぎて銭函あたりに来ると、自分の中の北海道らしさとはずいぶん違って、富良野とはまるで似ていない小樽に入ると、これはスゴいところに来たな、と思いました。でもほどなくして、小樽はなんて良いまちなんだ、と思うようになりました(笑)。
部活はワンダーフォーゲル部。通年で2週間に一回くらい山行をするのです。冬はスキーで山に入りますが、スキーの経験がほとんどなかったので、吹雪の中で死ぬかも、と思うこともありました。でも夏山シーズンの前、3月に大雪山を40キロくらい歩くのですが、自分たち3、4人のパーティだけでほかに誰とも会いません。北海道の大自然のふところに抱かれたような時間は、すばらしいものでした。

 

3年生のとき、沢木耕太郎さんの「深夜特急」という本と出会います。
香港から延々とバスを乗り継いでロンドンをめざす紀行小説で、バックパッカー(貧乏旅を楽しむ個人旅行者)たちのバイブルになったシリーズです。私はこれに心を掴まれました。あげくに、自分も同じような旅がしたくなり、3年生が終わると1年間休学して、旅立ってしまったのです。
私はまずロンドンに飛んで、1年かけてそこから陸路でタイまで行こうと計画しました。でも面白すぎてトルコで時間とお金が尽きてしまいました。話せば長くなるので今日はちょっとだけでガマンしておきますが、いちばん面白かったのはルーマニアやブルガリアなどの東欧です。1989年に東西ドイツが統一されて、1991年から92年にかけてソ連の体制が崩壊します。東西のイデオロギー対立がなくなり、それまで社会主義でまわっていた国々がいきなり資本主義の体制づくりに走るので、大混乱が起きました。私が行ったのはそうした混沌とした状況がまだ落ち着く前で、街角には人々の底知れないエネルギーが満ちていました。
ルーマニアでは極端な人口増加政策に伴って孤児があふれ、ストリートチルドレン(いわゆるチャウシェスクの子どもたち)がたくさんいました。油断していると彼らは旅行者のポケットにいきなり手を突っ込んできました。

 

皆さんも学生時代にぜひ海外を歩くと良いと思います。
卒業してからも折りを見て私は海外を旅していますが、このマップにあるようにいままで52の国に行きました。シリアやキューバ、いま言ったルーマニアなどは、あの時代に見ておいて良かったと思います。オススメの国をあげるとしたら、まずタイやインド。インドはお腹を壊しますが、魅力がいっぱいです(笑)。行きやすいところでは世界の観光の真ん中にあるローマや、世界経済の中心にあるニューヨーク。これらのまちは、やはり一度は行ってみると、ずいぶん目が開かれるでしょう。

 

 

建設会社から不動産の運営管理会社へ転職

 

さて一年の旅から帰って、さあ勉強だ、と気持ちを切り替えたかというと、まったく逆でした。あまりに楽しく充実した体験をしてきたので、小樽に帰ってからはふぬけの状態。おかげでもう一年足踏みをするハメになりました。
大学生活も6年目になると、新入生とは5歳も違うし、友だちは卒業していなくなるしで、居場所がないような状態で就活しました。そして就職したのは、中堅の建設会社です。ここでは仙台支店の立ち上げに関わったり、10年ほど働きました。でも自分ではどこかピンと来ていませんでした。「これが俺の仕事だ」、と実感することができなかったのです。

 

そこで34歳のとき(2007年)、三井不動産ビルマネジメント(株)という会社に転職しました。三井不動産のグループ企業で、オフィスビルの運営管理を行う会社です。私は漠然と、ただビルを建てて終わりではない仕事をしたいと思っていました。そうした考えの先に、この会社の仕事である、まちに根ざしてそのビルの価値を高めていくような実務がありました。そうした考え方は、経年劣化ならぬ「経年優化」と呼ばれます。時とともにそのビルの周辺にまで新たな価値をもたらすような事業です。
この会社ではまず東京の赤坂の赤坂Bizタワーというビルの仕事をしました。TBSの本社のある赤坂サカスというエリアにある超高層のオフィスビルで、エリアではいつも催事があって、テレビ局に出入りするタレントさんも行き交う、華やかなビルでした。

 

その後希望を出して札幌に赴任して、札幌三井JPビルディングを担当しました。もう一度北海道で暮らしたかったのです。このビルは道庁そばでチカホにも直結した再開発ビルです。久しぶりの北海道で、ああ北海道はやっぱりいいな、と思いました。それから東京に戻って、横浜や広島などたくさんのオフィスビルの仕事をしたのですが、どうしても北海道に暮らしたくて仕方がなくなり、転職を決めます。
そのとき、自分として足りないところ、伸ばしたいところを意識しながら学び直しをしたくなりました。そこでOBS(小樽商科大学ビジネススクール)に入学したのでした。私は44歳になっていました。
そしてOBSを修了して、2020年に、いま勤めるNTTアーバンバリューサポート(株)に入社しました。ここでもオフィスビルの運営管理の仕事をしています。

 

 

プロパティマネジメント(PM)という仕事

 

オフィスビルの運営管理の仕事とは—。
皆さんには聞き慣れない言葉だと思いますが、これをプロパティマネジメントと言います。ビルオーナーや投資家、資産の運用を担う組織(アセットマネジャー)の代行として、ビル経営の現場管理を行う仕事です。
もう少し大きく示せば、ビル建設や再開発事業では、まず全体を企画して動かすディベロッパーと呼ばれる企業があります。三井不動産とか三菱地所といった会社ですね。私が勤める会社がグループの一員になっているのは、NTT都市開発というディベロッパーです。ディベロッパーから実際の建設を請け負うのが、建設会社。大規模な再開発では、ゼネコンと呼ばれる大手が担います。清水建設とか鹿島建設という名前はご存知だと思います。
そしてディベロッパーは、できた建物を将来にわたって運営管理していくことをPMに委ねるのです。PMが担うのは、ビルを丸ごと預かって賃料などの収入を増やしながら、管理や運営のコストを適正化して安定的に経営していくこと。つまり収支の責任をもって、ビルの資産価値を最大化することが仕事です。空室が生まれたら、新たなテナントで埋めもどすことも重要です。

 

PMはまず、入居テナントの募集から、建物や設備のメンテナンスまでを担当します。入居募集には、オフィスを使う企業のほかに、商業エリアでは、繁盛するテナントをうまく組み合わせていくリーシングの仕事もあります。メンテナンスには水回りや空調などの適正な維持から、清掃など衛生環境の整備、そして防犯、災害対応も含まれます。
さらにこれらに加えて、入居テナントのニーズに応えてエントランスや廊下やトイレなどの内装や造作を変更したり、賃料改定の交渉を行ったりする業務もあります。PMを担う企業は、マーケティングや法律、あるいは建築や熱エネルギーに関する知見など、とても幅広いノウハウを駆使しながら、それぞれの分野の専門企業をパートナーにしてクライアントのニーズに長期間応えるのです。ですから私たちには文化系と理科系の区別もありません。
ビルという四角い箱に命を宿らせて、末永く生き生きと活動させる仕事とも言えるでしょう。

 

なぜこういう専門の仕事が生まれてきたか—。それは、社会やビジネスが複雑に巨大化する中で「所有と経営を分離すること」が求められるようになったからです。
経済が右肩上がりで、立地と面積、賃貸条件だけで勝負できた時代なら、ビルの所有者自らが全部の業務に対応することができました。しかし不動産マーケットが目まぐるしく変動してテナントのニーズも多様化する時代では、不動産経営をプロの専門家に一括して任せざるを得ない状況になりました。
また、投資目的で不動産を持つ企業や個人が増えています。不動産は金融商品のひとつなのです。ひとつの物件でも複数が関わる投資目的の不動産所有者は、一般には顔が見えないオーナーです。だからこそ経営業務を代行する専門家が欠かせません。PMに関わる仕事を20年近く経験してきて、いまの私は、これこそが自分の天職だと思っています。

 

 

 

 

地域課題の解決に貢献する再開発

 

私が担当した札幌三井JPビルディング(地上20階地下3階、2014年開業)は、道庁赤れんが庁舎をアイストップとする、札幌の都市軸のひとつである北3条通りに面しています。その北3条通りの一部を、自動車を排除した北3条広場(アカプラ)として新たに整備しながら、広場に面して商業店舗が配置されています。そして地下1階フロアは地下歩行空間(チカホ)に全面的に接続して、まちに開かれた賑わい空間を作ろうとしています。チカホに面したこのビルの地階には、シャッターがありません。札幌でもその後こういう作りが踏襲されていきますが、ここがそうした取り組みの最初でした。
また一階には貫通道路を通して、早朝から深夜まで人々が自由に通行できる都市の動線を設けて、2階には市民が集って憩えるアトリウム空間を整備しました。市民生活に貢献するこうした公共的な取り組みを行うことで、札幌市から札幌駅前通りに定められた容積率の緩和を得ることができ、大規模な再開発が実現したわけです。もちろんこうしたことは札幌市との協議や協働によって進められます。

 

また私がいま担当しているのが、仙台で昨年11月に竣工した再開発ビル、アーバンネット仙台中央ビル(地上19階地下1階)です。このプロジェクトは仙台市、NTT東日本、NTTアーバンソリューションズの3者が仙台の都心部活性化を目的に連携したもので、「ナノテラス」という、東北大学などが中心となって運用がスタートした次世代放射光施設とも繋がっていることもニュースとなりました。ナノテラスとは、ものをナノのレベルまで可視化できる世界最先端の巨大な顕微鏡です。
また、このビルでとりわけ重視されているのが、スタートアップ支援なのです。シェアオフィスや会議室、イノベーションスペースなどの交流空間があって、仙台でのスタートアップをサポートする体制が整っています。

 

札幌と仙台のこのふたつのプロジェクトには、まちに新たな回遊動線を作って賑わいを生み出したり、スタートアップを支援するなど、単にオフィスと飲食店からなる一般のビルがもつ機能に加えて、立地するエリア全体の価値を高める目的がありました。それはつまり、中心市街地をさらに活気づけたり、雇用を増やしてまちの経済に新たな力を呼び込むといった、「地域課題の解決」にほかなりません。
ビルを高層化することで余裕が出た土地では、緑化やパブリックアートなどの設置もできますから、都市の環境整備に寄与する意味もあります。そのことで都市の個性や地域コミュニティの創出や成熟が期待できるでしょう。投資をする企業、そして迎え入れる自治体と、地域住民。この三者が同じ方向を向くことで、エリアの価値と魅力を高める再開発が実現します。

 

さらに札幌三井JPビルには、アクサ生命保険(株)がBCP(非常時の事業継続計画)の一環として、東京の本社機能を分割して札幌本社を設けたことも話題になりました。つまり札幌や小樽で学んだ学生が、地元で外資の大手生保企業の本社で働くこともできるわけです。東京一極化で地域経済が痩せ細っていく時代に、これは地域課題解決法の有効な一例です。ひいては、それは人口減少や少子高齢化の問題の解決にも繋がっているでしょう。

 

地域のまちづくりや経済・文化の刺激策となること—。札幌と仙台のふたつの再開発とも、そのことでボーナスを得るように、本来の容積率が緩和されて大きな規模のビルになりました。
またどちらも大地震などの災害時には都心にいる人々を守る機能を持っています。古いビルでは倒壊が懸念されますが、先進の制震・免震技術を駆使したこうした再開発ビルでは、ビルの外に避難する必要がなく、逆に外から帰宅困難者を迎え入れるような用意もなされています。

 

東京の再開発と地方のそれではどんな点が違うのでしょう。
東京でのオフィスビル再開発では、ビルの高さも200メートルを超える規模があり、入居するテナントも上場企業の本社やグローバル企業の日本支社などになります。札幌や仙台では、地元企業や支社が多いでしょう。一方で投資に対する利回りは、地方の方が高くなります。なぜなら、東京に比べれば地方への投資の方がリスクがあるからです。
課題の解決でも、東京では地域課題というよりも、アジアの金融拠点をめざしたり、グローバルに活躍できるスタートアップを支援するといった、日本の課題解決を意識することになります。投資先を香港にするかシンガポールにするか、それとも東京かと考える外資などが相手なので、SDGsの文脈でもいろいろな要求があります。テレワークの時代にふさわしいシステムも不可欠です。

 

地方の再開発ビルの開業には、とても大きな注目や期待が集まります。ちなみに札幌三井JPビルディングの開業日(2014年8月26日)には、北海道の民放全5局が赤れんがテラスを取材してくれました。各局が交錯しないように順番や段取りを調整するのが大変でした(笑)。
こうした再開発でいま全国的に注目されているのが、福岡の天神地区です(天神ビッグバン)。およそ500メートルの範囲で高さや容積率の規制を緩和して、例えばグーグルやラインの拠点を誘致しました。スタートアップも集まります。これによって九州ばかりでなく、首都圏や海外からも優秀なDX人材が集まっています。計画は2030年代まで続く大規模なものです。

 

 

実務経験があってこそ学びとなったOBS

 

三井不動産ビルマネジメント(株)で、札幌三井JPビルをはじめとしていろいろな経験をしました。札幌で長く暮らしたいと考えて転職を決め、その前に今までの実務経験をあらためて体系的に理論化するために、学び足しや学び直しをしたかった、と先ほど言いました。皆さんはまだわからないと思いますが、卒業して企業人になってからの勉強はとても大切です。

 

OBS(小樽商科大学大学院アントレプレナーシップ専攻)で学んだのは、例えば、施設の認知度を高めたりモノを売る仕組みを学ぶ「マーケティング」。そして、ビル収支を把握する力を磨く「会計学」。収益還元法やDCF法(Discounted Cash Flow)といった手法を使って不動産の価値を正しく算定する「ファイナンス」。さらに、チームや自社組織を動かす考え方を深める「経営組織論」などです。これらを10年以上の現場経験をもとに学び直すことができ、いまに続く大きな自信になりました。
例えばアーバンネット仙台中央ビルは商業店舗も少なく、一般市民からの認知度がまだ高くないため、ビル全体の知名度を上げるためにどうしたらよいかを、マーケティングの手法からいまいろいろ取り組んでいるところです。

 

ファイナンスをもう少し説明すると、不動産が将来生み出す収益を現在の価値に割り引いて価格を計算する「収益還元法」では、建物利益を還元利回りで割ることで不動産価格を算出します。
1年間の収益が1億円あるビルでその経費が5,000万円だとして、還元利回りが5%とすると、その不動産の価格は5,000万円割る5%で10億円になります。
また、例えばビルに設置したドリンクの自動販売機の売上げは、ビルがあげる収益に含まれます。年間100万円の売上げがある自販機を入れるとビルの収益は1億100万円となり、これを還元利回り5%で割ると10億2千万円となります。つまりこの自販機が建物価格を2千万円増やしたのです。だから自動販売機がたくさんあるビルは、儲けに苦戦しているのかもしれません。

 

 

皆さんに伝えたいこと

 

最後に今日の話をまとめます。
●大学生のうちにしかできないことは大学生のうちにやっておきましょう。
社会人になると本当に時間が貴重になります。いまの私はひと月かけてアフリカ大陸を縦断することはできませんが、皆さんならその気になればできるのです。最初の方の話を繰り返しますが、学生時代に一度は海外を旅してみることをおすすめします。飛行機の上から陸を見ると、そこには国境線など引かれていません。中国もヨーロッパも、ひとつの大きな陸地のつながりです。そこに営まれているのは、多少の文化の違いはあるにせよ、私たちと同じ人間の暮らしです。そんな当たり前のことを実感すれば、世界はそれほど広いものではなく、どこに行っても生きていけるような気がしてきます。
●学びに終わりはありません。
私がOBSで学んだように、むしろ社会人になってからの方が勉強はより必要になります。それは自分から進み出せば決して苦しいものではなく、楽しくて魅力的なものです。学生時代は、大人になっても学び続けるために、その土台をしっかりと作る時間なのです。
●大学生のうちにやりたい仕事が見つかれば最高。
でも、見つからなくても焦る必要は全くありません。私がそうだったように、いくらでもやり直しは効くのです。私は転職のたびに、自分がやりたいことができる環境を広げて、給料もちゃんと上がってきました。
といっても、年が変わるたびに職を変えるようなことはおすすめしたくありません。やり始めてなにか違ったかなと思っても、最低3年くらいはひとつのことに集中してみましょう。それが必ず、次のステップの糧になります。

 

 

 

 

<秋田貴之さんへの質問>担当教員より

 

Q 秋田さんが卒業された1997年は、バブル経済崩壊後の厳しい経済状況の中だったと思います。2000年代初頭からのいわゆる就職氷河期が始まる前でもありますね。まず建設会社に就職して、つぎにプロパティマネジメント(PM)の業界に移られた経緯や心境の変化としてどんなことが言えますか?

 

A 商大を卒業して、いま思えばそれほど深く考えたわけでもなく土木建設会社に就職しました。入ったころは忙しくて、仕事もたくさんあったのです。でも2000年代に入って、若手社員でもじわじわ不況感を覚えるようになりました。弱い会社は倒れて、業界の淘汰もはじまります。私は、受注してモノを作るよりも、発注する側の仕事をしてみたいと思うようになりました。不動産の世界ではデベロッパー側です。そっちの世界は当時は不動産バブルとも言われる状況で、2007年の春には東京ミッドタウンが開業しています。
さらにその中で私は、具体的に現場でまちや人と関わることが面白いと思いました。それが建物や施設の価値を持続的に高めていく仕事で、そういうビジネスは時代が変わってもなくならないし、社会にとって重要なものだと思いました。つまりプロパティマネジメントの仕事です。不動産バブルは2008年秋のリーマンショックであっという間に弾けてしまいました。

 

 

Q 日本の中でこれからはここが面白くなりそうだ、というまちを挙げるとすれば、どんなまちになりますか?

 

A やはりインバウンドが多いエリアですね。今年(2024年)北陸新幹線が敦賀まで延びて北陸が盛り上がりましたが、インバウンドがあるのはほぼ金沢に絞られているので、投資が集まっているのはやはり金沢です。オフィスビルとは違いますが、北海道ではニセコですね。盛岡などは風土に溶け込んだ古い街並みが外国人からの人気を集めていますが、もう少し大きな観点でいえば、古い建物には建て替え期に入っているものも多く、そこに上手な投資があれば、古い価値を活かして周辺にも良い環境が生まれていくと思います。

 

 

 

 

<秋田貴之さんへの質問>学生より

 

Q 私は卒業後進路として不動産の分野を考えているのですが、そのために学生時代に身につけておくべきことはなんでしょうか?

 

A 具体的に言えば、まず宅建(宅地建物取引士)の資格ですね。それと、簿記の二級も取っておきたいところです。もう少し広く言えば、これは不動産業界に限らないことですが、何かをやってみようと考えて行動を起こしたなら、最後までやり抜くクセをつければ良いと思います。それは、私が部下の新人を見て感じるところです。ほかに、社会の新しい動きにつねに気を配っていて、どんな話題にもそれなりについて行けるように、引き出しの数を増やしましょう。私がエンタメ好きで、ネット配信やラジオ番組を熱心にフォローしているのには、まず好きだから、という理由に加えて、そういう意味もあります。

 

 

Q 札幌では新幹線開業に向けて札幌駅を中心に大規模な再開発が進んでいます。札幌のこれからを、プロパティマネジメントの観点から秋田さんはどのようにご覧になりますか?

 

A 新幹線のインパクトは大きいので、札幌は全国的に注目されていますね。一方で講義でも触れましたが、プロパティマネジメントの業界でとくに注目されているのは、近年の福岡です。都市の活力を測るひとつの指標にオフィスビルの空室率がありますが、福岡の場合これがほぼ天井に近くなっています。一方で札幌は現状ではまだこれが低くて、成長の余地が十分あります。しかし複数の再開発が動いていますから、やがて天井に近づくことになります。全国的に建築費や人件費が上昇しすぎている問題もあります。格好良いビルや施設ができれば、それだけでまちが活気づくかと言えば、そうではない、というお話しをしてきました。札幌においても、これからエリアの価値作りがますます重要になると思います。

 

 

Q 休学までしてヨーロッパに旅立ったお話が印象的でした。その費用はどのように工面したのですか?

 

A 3年生の3月に愛知の実家に帰って、倉庫のアルバイトを始めました。朝8時から夜10時までのハードなものでしたが、3カ月で100万円貯める目標です。目標を達成して7月に旅立ちました。当時はトラベラーズチェックという、海外で使える小切手がありました。大学生にとって100万円はものすごい大金ですが、できるだけ出費を抑えた貧乏旅行でも、最後の方はギリギリになりました。宿はもちろん最低ランクのところです。当時は日本人がいちばん安い宿に泊まる、というイメージを持たれていました。だから彼らのあとを着いていけば安い宿が見つかる、と。
猿岩石というコンビが「進め!電波少年」というテレビ番組で、香港からイギリスへヒッチハイクする冒険企画が人気を呼びましたが、その少し前に私は同じようなことをしていたわけです。

 

 

Q OBSに興味があるのですが、どんな学友たちと学ばれたのでしょうか?

 

A 年齢も職業もバラバラで、いろんな人がひとつの場で学びを共有する体験が貴重でした。60代の社長も20代の若手会社員も、不動産業界の人、保険屋さん、IT技術者などがそれぞれの目標を持って集まるわけです。起業をめざしている人、転職したい人、ステップアップしたい人、会社から派遣された人などですね。誰もが一生懸命勉強しないと修了できません。社会人になると自分の会社の外の人とはなかなか深い付き合いができないものですが、OBSでは、修了してからも長く付き合える友人知人と出会えます。

 

 

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