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教員インタビュー 林弘晃准教授

  • <担当授業>
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  • ドイツ語上級

林 弘晃准教授
HAYASHI Hiroaki


20世紀前半のドイツ文学・思想を研究

 オーストリアの作家ヘルマン・ブロッホを中心に、19世紀末から20世紀前半にかけてのドイツ文学・思想を研究しています。ブロッホは『夢遊の人びと』や『ウェルギリウスの死』といった(おそらく他ではなかなか読めない)思想と文学のハイブリッド小説によって知られていますが、それ以外に哲学、歴史学、心理学など多岐にわたるテーマの批評的著作をいくつも残していて、私生活では有能なビジネスマンでありSNS(手紙)中毒者であり魅力的なプレイボーイでありナチスに追われた亡命者であり……と非常に多面的な人です。

  こうした巨人を相手にして、私自身のこれまでの研究は、特に若い頃のブロッホが何に影響されて彼の思想の下地を形成していったか、そしてそれが後の小説や批評に──いわば「地」の上の「図」として──どのように現れているか、ということを、彼と同時代のテクストを読みながら考えてきました。

 ブロッホの青年時代、世紀転換期のウィーンは文化・芸術の目覚ましい発展を見せます。フロイト、シェーンベルク、クリムトなどの立役者に加え、言論界にもたとえばカール・クラウスやオットー・ヴァイニンガーといった現代の○○系インフルエンサーともいうべき人たちが跳梁跋扈し、熱心な読者を獲得していきました。彼らの思想や表現のスタイルに影響された若いブロッホの思考が、小説という新たな表現手法との出会いを通じてどのように変化していくのか、ということに、現在これまでの関心があります。

対象を掘り下げると文脈が広がる

 ブロッホに関心を持ったそもそものきっかけは、大学一年のときに読んだトーマス・ベルンハルト『消去』(これはおすすめの小説です)の冒頭に、彼の名前が出てきたことです。ブロッホの小説はすごいから読んでみろ、ただしちゃんとドイツ語の原文で読むんだぞ、とその小説のなかに書いてあるんですね。そのあと大学図書館に行き、間違えてエルンスト・ブロッホという別のドイツの哲学者の本を借りてきてしまったことまで、よく覚えています。ところがその後ヘルマンのほうを研究していくと、彼がエルンストの熱心な読者であったことが分かりました。このように(?)、対象の理解が深まることで、それまでばらばらだった線が徐々に一つに繋がっていくところも、文学研究の面白さの一つだと思います。

言葉の吟味を通じて日常の知覚や経験を問い直す

 文学作品は、それがテクストという言葉の織物であることによって、ほかのあらゆるテクストと絡み合い、結びついていきます。それと同時に文学作品は、それが世界を映すメディアであることによって、私たちの世界をそれぞれ微妙に異なる角度から映し出してくれもします。百年前の外国の文学を、今の日本の私が読むことに意味があるとしたら、おそらくはこうした事情によるのでしょう。たとえば身近な「場」として小樽駅と商大を結ぶ地獄坂について考えてみれば、ここにあるのは一方では春先から夏にかけて山を満たす蛙や蝉の鳴き声であり、他方では冬の雪の中に聳える古いゴシック様式の教会や巨大なヨーロッパトウヒの並木ですが、このように一つの「風景」を「語る」ということについて、古今東西の文学作品は豊富な作例を提示してくれます。しかしその分析から分かるのは、このように身近な風景を語るということひとつ取ってさえ、そこには何一つ「自然」なものはなく、言葉という歴史的堆積の中で構築された文化的視点だけがあるということなのです。言葉の吟味を通じてみずからの知覚や経験を問い直すことは、文学研究が取り組んでいるさまざまな課題の一つと言えるでしょう。

教育はドイツ語を担当

 授業では主にドイツ語を教えています。ドイツ語は英語の兄弟にあたる言語なのでとっつきやすい面もありますが、逆に英語と混ざってしまい習得に苦労する学生も少なくありません。そのため授業では最初にドイツ語の発音を入念に練習して、音声面から英語との区別をはっきりつけてもらうようにしています。1年次の授業は教科書を中心に文法、発話、読解、聞き取りをバランスよく学ぶオーソドックスなもので、週2回のコマを2名の教員がそれぞれ担当します。これにより、一つの教科書、一つの言語を異なる角度から眺めることができ、ドイツ語の奥深さを多少なりとも知ってもらえるのではないかと思います。

 私は2024年にはじめて福岡から小樽にやってきて、今はおっかなびっくり授業に臨んでいるところですが、商大の熱心な学生たちに本当に助けられています。

商大を目指す方へ

 小樽商科大学は外国語教育が充実していて、第二外国語(英語以外の言語)の選択肢も豊富です。商大を目指す方はぜひ今からでも、大学に入ったら新しくどの言語を学びたいか考えてみてください。言語学習は私たちの魂を未知の世界へと連れ出してくれるだけではなく、精神が軽やかに運動するための足腰も鍛えてくれます。語学にせよそれ以外の科目にせよ、四年のあいだ少しでも本気で学問に取り組めば、鍛えられた言葉があなたを今よりもう少しだけ自由にしてくれるでしょう。


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