CLOSE

エバーグリーンからのお知らせ

2014.01.29

平成25年度第14回講義:「 信用金庫と地域との絆~地域に信用金庫あり 小なれどその絆強し~」(2014/1/29)

講義概要

 

・講 師:下中 博文 氏/昭和52年卒
・題 目:「信用金庫と地域との絆~地域に信用金庫あり 小なれどその絆強し~」
・現 職:小樽信用金庫 専務理事 就任(現職)

・内 容:

小樽商科大学の卒業生は信用金庫は元より銀行に就職する人も多いので、

・信用金庫と銀行の違い・全国の地域に展開する信用金庫のネットワーク

・北海道全域に展開する信用金庫

・小樽の歴史を交えた小樽信用金庫の生い立ち

・小樽信用金庫の地域貢献について等を解説いたします。

小樽の歴史や北海道新聞土曜日連載の「はたらくcom.あのころ」(12月28日商大富樫課長の記事有り)の社会人の諸先輩達の教訓の他、小樽信用金庫へ就職した先輩達のメッセージ等も紹介したいと思います。また、就職した後のリスク管理やポジティブシンキングの為の笑顔の効用等についてもお話ししたいと思います。

  • 講師紹介

昭和27年小樽市生まれ。昭和52年本学商学部商業学科卒業、小樽信用金庫入庫。平成16年常勤理事、17年常務理事を経て、25年4月から専務理事。おたる案内人マイスター、北海道フードマイスター、北海道観光マスター、日赤救助員など数多くの資格を持つ。小樽市在住。

 

人と人とのつながりを長く大切に育んで。

 

小樽港のバイトに追われ卒論300枚

 

平成25年度のエバーグリーン講座最終回は、小樽一筋という言葉がふさわしい小樽信用金庫専務理事の下中博文さんが登壇した。商大同窓会「緑丘会」の小樽支部副支部長も務め、地元と大学の橋渡し役としても知られている。在学中はベトナム反戦運動や日米安保闘争を巡る学生運動の全盛期。ヘルメット姿の学生と機動隊の攻防が日本各地の大学で勃発していた中、当時下中さんが愛用していたのは「港で働くための黄色い安全ヘルメットでした」と笑いを誘う。小樽港でジンギスカンのマトン等を積み降ろしする荷役のアルバイトに励み、その働きぶりが認められて学生を集めるアルバイトリーダー的な役目も任されていたという。大学では伊藤森右衛門学長(当時)のゼミをアルバイトで10回ほど休んでしまい卒業が危ぶまれたこともあったが、400字詰め原稿用紙200枚のノルマに加えて1回欠席するたびにプラス10枚のペナルティーの卒論を300枚以上書き上げて無事、卒業。パソコンのない時代に万年筆で書き上げた渾身の卒論でゼミの欠席をリカバーできたという昭和ならではの豪快なエピソードを披露した。

 

小なれど信用金庫と地域の絆強し

 

下中さんがこの日選んだテーマは「信用金庫と地域との絆」。商大の精神を謳った「北に一星あり 小なれどその輝光強し」を「ちょっと拝借して」付けたサブタイトル「地域に信用金庫あり 小なれどその絆強し」に思いの丈が込められている。「信用金庫と銀行は同じ金融機関ではありますが、経営理念や組織の在り方が異なります。銀行は株式会社形態の営利法人であるのに対して、我々信用金庫は地域の方々が利用者・会員となる相互扶助を目的とした非営利の協同組織。地域の皆さんが地域社会のために自分たちの金融機関をつくりたいという志から生まれた金融機関です」。

 

 

そんな“地域のもの”である信用金庫の融資先は大半が地元の中小企業。「日本企業の99・7%を占める中小企業は大企業を支える広大な裾野であり、その中小企業を支援しているのが信用金庫です」。TVドラマ「半沢直樹」で主人公の実家のねじ工場がメガバンクに融資を切られた場面でも「あれが我々ならばもっと親身になってご相談に乗る」と言い、信用金庫の3つのビジョン「中小企業の健全な発展」「地域社会繁栄への奉仕」「豊かな国民生活の実現」を強調した。

 

市制元年に開業、小樽信用金庫

 

全国の信用金庫は268金庫7500以上の店舗があり、北海道には23の信用金庫が存在する。歴史ある小樽信用金庫の創業は大正11(1922)年。この年は小樽が区から市へと変わった年でもあり、信用金庫の歩みそのものと重なる小樽発展の道のりを振り返った。戦前には東京以北最大の商業都市として栄えた小樽は、明治期から地元に莫大な富をもたらした鰊漁や北前船の寄港地だった港湾業、国策である石炭輸送の鉄道による繁栄が続いた。その活気に多くの金融機関が引き寄せられ、一時は25行の銀行が市内に本支店を置いていたが、銀行が優遇する融資先は大手企業や富裕層ばかり。中小企業や個人事業主に「自分たちを対象とする金融機関を」と切望されて誕生したのが有限責任小樽市街地信用組合、後の小樽信用金庫だったという。途中、小樽運河の今昔物語がスライドで紹介された。明治32(1899)年に外国貿易港に指定された小樽港では、停泊中の船から荷物を運ぶ多数の艀(はしけ)の接岸面積確保のために沖合を埋め立てて、小樽運河が建設された。ところが、下中さんが学生だった昭和50年代にはすでに水路の役目を終えていた運河は、戦後の“斜陽の街”小樽を象徴するかのような沈船やゴミが堆積し、汚水汚泥と悪臭にまみれた厄介もの的な存在に。「そんな状態の地元から本州に出ていった人も多かったですが、私自身は生まれ故郷のこの先を見届けたい、貢献したいという思いがあり、小樽に残る道を選びました。その後小樽運河の保存を働きかけたのは、むしろ一度小樽を離れた人たちが多く、やはり小樽運河は故郷のシンボルなのだと再認識させられました」

 

地域活性化のために提言書を作成

 

「地域の発展と共にある」小樽信金は現在26市町村を営業地区とし、15店舗を展開している。通常業務と同様、地域支援にも力を注ぎ、過去には小樽市の経済実態調査や関係者へのヒアリング、2千名のアンケートからなる「働き、住み、楽しめる自立都市・小樽へ」と題した提言書を作成したことも。具体的な施策案を盛り込んだ内容が当時の市長からおおいに評価され、業界から「地域活性化しんきん運動優秀賞」を受賞した。他にも小樽商大と連携した地域通貨「Tarca」の実証実験や創業を支援する「小樽商人(あきんど)塾」、食の販促イベントを実施。公共面では長年の傷みが指摘されていた小樽美術館の壁紙を張り替え、観光地小樽に恥じない文化環境の維持に尽力している。現在、小樽信金には40名近くの商大OBが在籍しており、下中さんは今回の講義のため入庫2、3年の職員に“学生のうちにしておけばよかったこと”の聞き取りを行った。「新聞を読む癖をつけておけばよかった」「文章の読み書きの訓練をしておけばよかった」といったOBたちのリアルな本音は後輩の胸にしっかりと届いたようだ。学生から質問が出た資格取得についても「資格はジャマになりません。在学中に取れるものはぜひ取って、自分の力にしてください」と答え、社会人に向けた準備を促した。

 

 

運をとらえる力を養い困難を幸運に

 

講義資料の中には、下中さんが学生時代の思い出を語った平成25年8月17日付け北海道新聞のコピーも配布された。その紙面でも講義の冒頭でも触れられたのはやはり生活費を捻出するために続けた港湾荷役アルバイトの思い出だ。「家によく電話がかかってきましてね、港の人独特のちょっとなまった口調で『スィモナカくん、学生10人用意してけれや』と(笑)。入庫して間もない頃、上司が『今度信金になまら稼ぐ(稼ぐ=頑張る)学生が入るよ』と港の関係者に言われたらしく、それは君のことか、と聞かれたこともありました。小樽港は自分の働きを認めてくれた場所。そんな風に言っていただいて嬉しかったですし、自信になりました」。信用金庫と地域は相互扶助。「これからも人と人とのつながりを大切にしたい」と話す下中さん。「一般の銀行は転勤後、前任地に二度と戻らないこともありますが、我々信金は営業地域が決まっているので普通に戻ってきます。そのときお客様から『倍返し』されないような日頃の信頼関係が重要です」。最後に後輩たちに残したメッセージは、「チャンスを受け止める実力や知識がなければ、運をとらえることができません。その力を養い困難の壁を幸運の扉に変える人になってください」と呼びかけた。

アーカイブ

月別

資料
請求