CLOSE

エバーグリーンからのお知らせ

2016.10.26

平成28年度第3回:「『やれば出来る』ベンチャー企業から東証一部上場へ ~起業するための企業選びのポイント~」

概要

 

○講師:平井 睦雄 氏(昭和51年商業学科卒/(株)進学会 代表取締役会長)

 

○題目:「『やれば出来る』ベンチャー企業から東証一部上場へ ~起業するための企業選びのポイント~」

 

○内容:在学中に学習塾を創業して、卒業後に本格的に起業。事業分野を広げながら東証一部上場企業にまで成長させた経験の中から、以下のことを伝えたい。

 

  • 企業に勤めるか、起業するかの選択
  • 企業選びのポイント、起業する場合のポイント
  • 会社員としての心構え、経営者としての心構え
  • 何のために上場するのか
  • 上場出来る会社をどう創るか
  • 日本の富裕層になるためには
  • 充実した人生を送るためには

 

進学会の沿革と起業について

 

小樽商大在学中の1972年、私は札幌の白石区で、仲間4人で中学生向けの塾を始めました。2月に札幌オリンピックがあった年です。みんな大学生で、北大が3人、私が商大。ちなみに私以外の人間のその後はといえば、ふたりが医者になり、工学部だった一人はホンダ技研に入社しました。生徒が増えるにつれ、学生講師も増員していきました。

 
当時の私の一日はこんな具合です。まず大学で授業を受けます。ゼミは、伊藤森右衛門先生の経営学。教科書は英語の原書だったので、ずいぶん鍛えられました。夕方終わるとすぐ札幌に行って、中学生相手に9時まで授業をします。それが終わって事務作業などをしていると夜中近くなって、そこから小樽の下宿に戻ります。寝る前に少し下宿の仲間たちと話をすることもありました。受け持ちの塾の授業数を合わせると、週に17コマくらいありました。そのほかに、国際交流のAIESEC(アイセック)の活動もしていて、英語でのディベートなどにも挑戦していました。卒業近くになると、塾は2千人の生徒さんと、講師や事務職員合わせて50人くらいという大所帯になっていました。
私が塾の経営に熱中するあまり伊藤先生や両親からは、就職活動はどうなってる? 進路をいったいどうするつもりだ? と詰問されました。たしかに私は、卒業して塾のビジネスを本格的にやるぞ、という気持ちも準備もあまりなかったのです。
それがいまや東証一部上場の企業になったのですから、人生はわからないものです。
 
卒業した年の6月には、就職活動もしないまま正式に法人を立ち上げ、社長になりました。
やがて札幌エリアを越えて、旭川など全道の10万都市に教室を広げていきます。1984年からは、仙台を皮切りに本州に進出しました。北海道との距離も縁も近い東北で、札幌に似ている都市といえばまず仙台でした。そこから10年で列島を南下して、九州まで教室を拡大します。
現在は23の道県160都市で400ほどの教室を展開しています。これは、FCではなく直営の学習塾としては日本最大級のネットワークといえます。また80年代後半には、スポーツクラブの事業を始めました。
現在の事業内容は、学習塾が8割ほど。これにSIS(Super Interactive School)という双方向型教育ソフトの事業があり、さらにスポーツクラブ、不動産賃貸などの子会社があります。今年の夏には、進学会総研という資産運用会社をつくりました。
手持ち資金をETF(上場投資信託)などを中心に運用して、この超低金利時代に利益を着実にあげています。近い将来、私たちの利益の半分くらいはこの分野が稼ぐことになると思います。少子化の中で、今後5年10年、学習塾業界の針路には難しい舵取りが求められています。M&Aによる業界再編もさらに進むでしょう。私たちは、保有資産の売買をより機動的に行うことで、さまざまな荒波を乗り越えていこうと考えています。
 
さて皆さんの中には、自分の力で起業してみたいと考えている人もいるでしょう。では卒業してすぐ起業するか、あるいはどこかの会社の経験を積んでからするほうが良いのか?
私は会社勤めの経験を持たなかったのですが、一般論としてはやはりどこかに勤めた方が良いと思います。あくまで私の場合は少し特異なケースだったと思います。
就職する場合、大企業が良いのか、中小企業が良いのか。私の学友たちの多くは大手の金融機関に就職しました。かつて銀行は、都市銀行と信託銀行を併せて20行くらいありました。
しかし平成に入って金融界は激変にみまわれます。日本の大手銀行は現在、メガバンク3行を中心としてセンターバンクと呼ばれる銀行5行にほぼ集約されました。全国の地銀や信用金庫の集約も進みましたね。それらの潮流の中で信用組合はほぼ吸収されてしまいました。高度なシステムへの投資負担に耐えられなくなったことが大きいでしょう。地銀もかつては地銀と第二地銀がありました。北海道ではいま北海道銀行と北洋銀行の2行。地銀の集約はほぼ終わったと思います。
 
さて起業を見すえて就職するなら、大企業か中小企業か。そもそもふたつの区分はどのようになっているでしょう。いくつか物差しがありますが、従業員数でいえば、製造業なら300人くらいまでが中小企業、小売業なら50人くらいまで。資本金でいえば製造業で3億円、小売業で5000万円くらいまでが中小企業とされています。
結論を言えば、私は、起業したいのであれば中小企業の方が良いと思います。大企業ではあくまで歯車のひとつにならなければなりませんが、中小企業であれば、もっと会社全体の業務や会社と社会との関わりが深く見えてくるからです。
起業して、その会社を上場させる。このことにはどんな意味や価値があるでしょうか。私が考えるいちばんのメリットは、企業の社会的信用やステータスが上がることです。社員の仕事意識も高まりますし、良い人材を集めたり取引先を広げるのに大きな力となります。そして何より、大規模な資金調達が可能となります。株式を売り出すことで資金を得ることができるのです。
現代の日本の大富豪と呼ばれる人々がどのように資産を築いてきたかといえば、こうした株式の売買が鍵をにぎっています。例えば皆さんにとってはスマホの会社であろうソフトバンク社も、私から見れば金融会社です。一方でメリットがあれば必ずデメリットもあります。
それは、株主の意向や情報開示の義務によって、自由な経営がしにくくなること。状況によっては買収される危険性もあります。

 

 

ベンチャー企業から東証上場企業へ

 

学習塾を始めたとき、私は別にベンチャービジネスを始めたつもりはありませんでした。ずっと後になって君たちはベンチャー企業だったと言われて、まあそうかもしれないと思いました。新たな分野のマーケットを新たなノウハウによって拓いたのですから。
ご存知のように証券市場にはいくつか種類があり、企業が株式を上場するには複数の方法があります。まず東証(東京証券取引所)には一部と二部、そしてマザーズとJASDAQがあります。さらに各地には地方証券取引所があり、札幌には札証(札幌証券取引所)がある。いきなり東証を目指すことはできないので、私はまずJASDAQか札証のどちらかへ、と思いました。そしてJASDAQを選びました。
ちなみにいまや北海道を代表する大企業となったニトリさんは、札証からのスタートです。私は、JASDAQは通過点で、そこから東証二部、そして一部へ最短で行ってみせる、と考えました。

 
1988年のことです。そして順調に業績を積んで東証二部への上場審査の直前になって、告げられました。なんと学習塾は上場できないというのです。時代が早すぎました。東証側からは、数年待ってほしいと言われました。悔しいけれど仕方がありません。ところがやがて日本は急速に不況に陥ります。いわゆるバブル経済が破綻したのです。その時点で私たちは東京以外の5大都市圏に進出していましたが、一旦事業を縮小することにしました(いま結果論でいえば、そこまでのリストラクションは要らなかったな、と思うのですが)。そんなときに東証から、環境が整ったので上場申請しませんか、とお声がけをいただきました。
しかしそんな状況でしたので、残念ながら申請書は出せませんでした。東証二部に上場できたのは、2004年。JASDAQ上場から16年かかっていました。そしてその翌年、ついに東証一部に最短で上場することができました。東証一部を頂点に、全国の証券取引所に上場している上場会社は、4000〜5000社あります。ずいぶんあるな、と思うかもしれません。しかし日本に大小いくつの会社があると思いますか? 400万社くらいといわれます。その90数パーセントは中小企業。だから大企業として上場できる会社は、千社に1社くらいです。
さらには、東証一部上場企業は、1600〜1700社。ですからそこに到達する企業は2000社以上の中からの1社となります。
東証一部に上場している北海道の会社は、16社です。半分がいわゆるオーナー会社です。道内には大小15万くらいの企業があるといわれています。そうすると、北海道から東証に上場している会社は1万社に1社となります。そこを目指すのは、厳しく遙かな道といえるかもしれません。かつては、都市銀行が破綻するなど誰にも考えられなかったことですし、北海道の有力銀行や北電などを抜く道内企業が現れるなど、誰が想像したでしょう。しかし近年は、ニトリさんのような全国企業があります。これはたいへんなことです。時代は大きく変わりました。

 

 

夢を持つ限り 努力する限り 夢は近づく

 

私の父は公務員で、母は教員でした。父のルーツは富山で、母のルーツは秋田です。ともに明治以降、北海道へたくさんの移民を送り出している土地柄です。
数年前、秋田でのルーツを探し出して、いまの世代の方に会いに行ったことがありました。役場の方に説明して、協力していただきました。幸いお目にかかることができて、お互いに感慨深いものがありました。今度は富山にも行ってみたいと思っています。皆さんは実感がないかもしれませんが、北海道は明治以降におびただしい数の移民が渡ってきて、先住するアイヌの人々の歴史とは別に、新たにまちを作りました。そんな血を自分も意識したのでしょうか。

 
高校生のあるとき、ブラジルに渡りたいと思いました。狭い日本を飛び出して、大きな土地で自分の力を試したかったのです。明治・大正期、日本人は北海道ばかりかハワイやブラジルにもたくさん渡っています。
私は道庁に相談に行きました。すると窓口の方は、君が考えるほど簡単なことじゃないからやめた方が良い、と、ていねいに説明してくれました。もしそのとき突っ走っていたらどうなったか。人生はわからないものです。
上場企業の社長になるためには、学生時代に何をしておくべきか、どんな心構えで学ぶべきか。正直言ってその答えはありません。皆さんは子どものころから、問題には答えがあると思ってきたと思います。しかし社会に出ると、ていねいに教えてくれる先生などいませんし、問題をあっという間に解決してくれる一つの答えなどありません。自分がよくやって90点取ったと思うことがあっても、違う立場の他人が判断すれば30点かもしれない。あるいは逆に120点かもしれない。やろうと思ったことがあれば、とにかく実際にやってみるしかないのです。その行動に、自分の思いとは別の結果がついてきます。
 
学生時代にどのようにして自分を高めていくか—。私には最近になってつくづくわかったことがあります。そして、このことを一生分からない人もいると思います。それは、「自分自身が体験的に得たものでなければ、本当の役には立たない」ということ。うわべの知識や先生の受け売りだけでは、社会の中で強く生きていくことはできません。いまの皆さんにはまだわかりづらいと思いますが、助手席にのっているだけでは道を覚えないのと同じで、自分で学び、自分で自分を磨いていくことが本当に重要なのです。その意味で、「何をするか」も大事ですが、それを「どう実現させるか」、「やり方」もまた重要です。年金制度ひとつとっても明らかなように、低成長かつ超高齢化社会である日本の将来には、これまでこの国の針路にはなかったさまざまな問題が山積みです。そんな時代であればなおのこと、答えは自分で見つけ出し、作り出していくほかありません。私がとくに強調したいのは、いちど取り組んだら「最後まで続けろ!」ということ。勉強でも部活でも何につけてもそうです。採用の面接でも、私はそういう生き方の態度を重視します。面接を受ける技術をうわべだけ身につけてきても、10分も話していればその人がどういう人間であるか、わかるものです。銀行の融資担当者も同じだと思います。真面目なことを考えて真面目にやってきた人は、ちゃんとそういう顔をしている。逆もまた真で、当たり前のことです。そしていろんな経験から何を得るか、その学習能力が大切です。私たちは、社員が何度も同じようなミスをしたり、おなじパターンで成果があがらないような場合、この人はダメだと判断します。そうしなければ会社が立ちゆきません。
 
経営者としての心構えは何でしょう、と聞かれることがあります。最近会社で大切にしている行動指針があります。それは、「すぐやる。必ずやる。出来るまでやる」ということ。もちろんできっこないことにこだわるのは無意味ですが、机上の理論ではなく、とにかく行動で成果を出すことが重要です。社員ひとりひとりがこの意識を共有している会社は、強い会社です。当社は本業の学習塾でこの3シーズン毎期約40教室増やしてきました。私たちはいま、ふたたび上げ潮に乗っています。自分を育ててくれた北海道のために役に立ちたいと、私は、本州の教室の生徒さんを夏休みに北海道に呼んで夏期講習を開いています。涼しい北海道でしっかり学ぼう、というわけです。
また北洋銀行さん、大和証券さんなどと共同で、株式上場のための勉強会「株式上場アカデミー」を設立しようと取り組んでいます。上場は決して難しいことではない。北海道から全国に上場企業が大きく羽ばたいてほしい。そんな強い思いがあります。会社は誰でも作ることができます。昔に比べれば登記のハードルははるかに低くなっています。作るのは簡単で、問題は、それをどのように育てていくか。私がやりがいを持って悔いのないように仕事をすると、社員も頑張ってくれ、それがまた私を奮起させます。もちろん、努力をすれば必ず成功するとは限りません。でも努力をした方が、成功に確実に近づくことができる。これは間違いありません。皆さんにもこれからぜひ、充実した人生を送ってほしいと思います。過去は変えられませんが、未来は自分で自由に拓くことができるのです。

 


 

〈平井さんとの質疑〉

 

Q(担当教員)学習塾を在学中から始めてやがて上場企業にまで育てあげたわけですが、そもそもなぜ学習塾を始めたのでしょう?

 
A 塾は、家庭教師の延長で始めました。人生とは本当にわからないもので、学生時代の私がいまの私を想像することはできなかったと思います。商大を卒業するときに生徒さんがすでに2千人くらいいましたので、辞めるに辞められなかったところもあります。ゼミの伊藤森右衛門先生や両親は、ちゃんと就職活動しろ、と心配してくれましたが、やりがいがあり、新卒者の給料の何倍もの収入があったので、あれよあれよと今日まで来てしまった、というのが実感です。大学の学費も全部自分で賄っていました。当初は、企業化しよう、そのために綿密な事業計画を立てよう、といった気持ちはなかったのです。ただ、根っからの性分で、「これだ、と思って始めたことは最後までやり通す」。その思いが、寄り道や回り道をしないでこの事業を続けてきたことにつながったと思います。

 

Q(学生) もし一般の会社に就職していたら、どんな人生だったと思いますか?

 

A 自分の性格からいって、一度入った会社でずっと仕事をしたと思います。「継続は力なり」。これは私が高校生のころから意識している信条なのです。でも、その会社の業種と本当にやりたいことが別だった場合は、結局起業していたかもしれません。私たち兄弟の中で誰も勤め人になった者はいないのです。

 

アーカイブ

月別

資料
請求