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エバーグリーンからのお知らせ

2017.10.04

エバーグリーン講座U30「エバーグリーン講座を10倍まなぶ方法」

概要


○講師:

小笠原 拓哉氏(平成23年経済学科卒/株式会社三菱東京UFJ銀行)

根廻(ねかい) 早紀氏(平成24年商学科卒/凸版印刷株式会社)

鎌田 由実氏(平成26年商学科卒/札幌市立北野台中学校 特別支援学級担任)

○題目:「エバーグリーン講座を10倍まなぶ方法」

○内容:エバーグリーン講座の狙いは、「幅広い分野と世代の卒業生自身によるキャリアの講話から、社会と仕事の実情、そして現場で求められる能力や態度を理解して、学びへの動機を高める」ことにある。その上で第1回では、受講する商大生が“10年後の自分自身の姿”を具体的にイメージできるように、20代の卒業生3名が登場。“社会や仕事との接続”を意識した学生時代の学びや経験への動機づけを図る。




私の学生時代。そしてこれまでのキャリアと現在の仕事、メガバンクの現場で考えていること




小笠原 拓哉氏(平成23年商学科卒/三菱東京UFJ銀行)




YOSAKOIに熱中した学生時代


私は社会人6年目。現在は三菱東京UFJ銀行の松戸支店に勤め、家族3人で船橋市に暮らしています。生まれも育ちも札幌。高校は札幌の高校に通っていました。銀行業界は忙しくて厳しい世界で休日出勤もあるのではとよく質問されますが、必ずしもそんなことはありません。土日には好きな餃子を食べ歩いたり、趣味であるプロ野球観戦(千葉ロッテマリーンズ)を楽しんでいます。私が学生時代に熱中したのは、YOSAKOIソーランサークル「翔楽舞(しょうがくぶ)」での活動です。代表兼振付師を務め、大学2、3年時とセミファイナルに進んだことが良い思い出です。また、入学後に新しく出会った仲間とバスケットボールサークルClutchを設立しました。札幌での高校時代、部活でバスケットボールに熱中していたので、体育会のレベルには届かなくてもプレーをする場がほしかったのです。でもこちら2年生の秋ごろ、YOSAKOIソーランサークルの運営が本格化する時期に退会しました。YOSAKOIソーランサークルの運営を引退し、就職活動が4年生の5月ごろに終わってからはCDP(Career Design Project)の代表になり、後輩たちの就職活動を支援しました。有効なエントリーシートの書き方を教えたり、模擬面接会を開いたり。経済学科の学生でしたが、ゼミは社会情報学科の沼澤政信先生のゼミ。ゼミ長を務めました。江頭ゼミ、近藤ゼミ、大津ゼミとの合同ディベートがあって、テーマは硬軟さまざまありましたが、いま覚えているのはだいたい柔らかい方、例えば「ONE PIECE」のゾロとサンジのどちらがカッコ良いかといった、まったくどうでも良いこと(笑)を真剣に議論したことを覚えています。アルバイトは個別指導の塾講師をしました。このような大学時代を振返ると、自分は人の前に立って指導したり全体をまとめたりすることを多く経験しました。それが現在の仕事にも繋がっています。卒業して、三菱東京UFJ銀行に入行しました。「人間力」が問われる社会で働きたくて、金融業界に絞り就職活動をしていました。そのなかで現在の銀行を志望したのは、お会いした行員の方々が魅力的であったこと、世界を相手にビジネスを展開する大きな組織であれば、幅広い分野で自分の可能性を広げることができると思ったことからです。実際に入行すると、入行前に抱いていた思いはもちろん、新たな魅力をたくさん発見することができました。銀行の仕事、私の仕事の経験談についてお話しします。入行して半年は配属された札幌支店にて預金の入出金や住宅ローンなどのOJTを通して銀行の実務を学びました。それからは法人部門へ。はじめは先輩に教えていただきながら法人取引について学び、約1年間のOJTを経て、年商10~50億円の中堅・中小企業約50社を担当しました。法人営業では常日頃からお客さまに貢献できることを考えることが大切になります。なぜなら、銀行の法人営業は融資のみにとどまらず、さまざまな分野でお客さまに貢献できることがあるからです。例えば、優れた技術を持っているけれどその販路が中々見いだせないお客さまに、当行のお客さまをご紹介するビジネスマッチングもそのひとつです。お客さまのことを真剣に考えているという姿勢が伝わり、担当企業の社長様から個人の資産運用の相談を受けるまでになったときには担当者としてこの上ない喜びを感じました。



はじめての本州暮らしで


法人営業を約2年経験した後、初めての転勤で東京にある本部に異動しました。そこでの仕事はリテール(個人)部門、富裕層のお客さまへの営業施策立案・商品企画の仕事です。当行は国内に約800店舗のリテール拠点がありますが、どのような商品や取組みをすればお客さまの期待に応えられるかを企画する仕事でした。昨年1月から私は千葉県の松戸支店へ異動となり、今度は自分が立てた商品や施策を実践することになります。お客さまは、現預金・不動産・株式・保険などさまざまな資産をお持ちになる富裕層の方々が中心で、総資産が数十億円規模のお客さまもいらっしゃいます。私の仕事はそのようなお客さまに運用商品を販売することや、アパートローン(※)をご融資させていただくことが主になります。超低金利時代のいま、「貯蓄から投資へ」という流れの中で、投信や債券などの複数の運用商品を組み合わせてポートフォリオを組んでリスク低減を図る提案をすることもあります。(※)個人のお客さまへの融資には車を買うためのマイカーローンや家を買うための住宅ローンの他にも、アパートローンという商品があります。アパートやマンションを買う、建てる資金の融資です。これらの他にも、ローン、運用商品に止まらず、生命保険やその他の金融商品を活用してお客さまの相続、資産承継対策のために銀行が貢献できることはたくさんあります。また、金融商品にとどまらずグループ力を活かして貢献できることもあります。実際に入行して感じる当行の魅力もそこにあると感じています。プライベートの話に戻りますが、私も妻も道産子で本州での暮らしは初めてでした。東京での緑丘会の集まりにはさまざまな業界で活躍している方がいらっしゃり、仕事・プライベート問わず相談に乗って背中を押していただいています。先輩たちとの強いネットワークは卒業してわかる商大の魅力です。商大での活動がいまの自分とどう繋がっているか。私が金融業界を志したのは「人間力が問われる世界で働きたい」からいうことを述べました。私はYOSAKOIソーランサークルを主として組織で指導をする役割を多く経験して、「指導する人自身が高い技術を持っているか、どれだけ教えることが上手いかという以前に、人として信用できるか、この人から学びたいと思ってもらえるかが重要だ」ということを学びました。実際のところ、それぞれの銀行で扱う商品自体は大きな差がないかもしれません。そのためお客さまは、銀行の担当者がどれくらい信頼・信用できるかという点でお取引される銀行を選ばれます。私が商大で得た学びはこのようなかたちで活かされています。さて商大を卒業して6年の私が、仕事を通してどんなことを得てきたか。あるいはどんな失敗をしてきたか。約束の時間に遅れたり間違えたり、小さな失敗はいろいろありました。いろんな提案をしながら足繁く通っていたお客さまとの取引が他の銀行との競合の末に成約に至らなかったこともあります。仕事でのやりがいや成果は、やはり誠心誠意お付合いをさせていただき、提案した商品を選んでいただき感謝いただくことでしょうか。相続・資産承継対策では大きなお金が動きますが、「小笠原君に頼んで良かった、満足しているよ、ありがとう」などと仰っていただけると、それまでの苦労も吹き飛びます。たとえ困難にぶつかってつらいことがあっても、そういう経験を積むことで、へこたれずに頑張ろうと思うことができます。学生時代にはわからなかったことですが、先に触れたように商大の先輩たちが築いてきたネットワークは本当に素晴らしいです。学生時代にいろんなことに顔を出して、たくさんの人と知り合っていたことが、どれほど糧になっていることか。皆さんもいろんな人や出来事や活動にアンテナを張っていてください。将来必ず活きる場面があります。



<小笠原拓哉さんへの質問>担当教員より


Q 一般の人から見ると大手銀行は同じような商品で同じようにビジネスをしているように見えるかもしれません。銀行間の社風の違いというものはどの程度ありますか?


A 違いはかなりあります。服装も硬くて堅実なイメージに見られがちですが、実は今日の私のように、夏季のクールビズ時期にはチノパンやブレザー、ノーネクタイといった、比較的働きやすい格好で仕事をしている行員もいます。


<小笠原拓哉さんへの質問>学生より


Q 近い将来、銀行業務の多くはAIが担うという話も聞きます。また、勤務状況がとてもハードだということも聞きました。実際はどうなんでしょうか?


A お客さまと向き合ってさまざまな悩みを伺い提案を行う営業は、まず人と人との信頼関係が基盤になるので、AIが簡単にできることではありません。事務的な仕事はロボティックスやAIで効率化され減少していくかもしれませんが、人と人との信頼で成り立つ銀行の本質とも言える仕事は変わらないと思います。また、効率化によって営業の事務負担が減り、それがお客さまと向き合う時間が増えることに繋がるということが目指すことのひとつでもあります。また6年間働いてきて、私は自分の職場が特別ハードだと感じたことはありません。残業するときもありますが、定時ごろに帰ることも珍しくはありません。北海道を離れて感じたことですが、首都圏は人や情報が多い分、ビジネスにスピード感や緊張感があります。現在の現場では、最適な解は誰かが教えてくれるものではなく、自分が深くまで考え、すばやく決断することが求められます。大変なことかもしませんが、大きなやりがいを感じています。




仕事を通して、まわりをほんの少しでもハッピーにしたい。




根廻 早紀氏(平成24年商学科卒/凸版印刷株式会社)




小樽駅より上ですごした商大時代


私は2013年に凸版印刷株式会社に入社しました。この春から、「情報コミュニケーション事業本部トッパンアイデアセンター東日本TIC部企画プロデュースチーム」という正式に言うととても長い名前の、企画部門に所属しています。勤務地は札幌です。入社当初は営業の仕事につきました。学生時代の活動は、まずゼミは、国際マーケティングのカロラス・プラート先生のゼミ。小笠原さんと同じで私もゼミ長を務めたのですが、これは私が最初に入ったメンバーだったからです(笑)。ほかに男子バレーボール部のマネージャーになりました。それと、バレーサークルのクイック。これは同期の友だちが立ち上げたサークルで、いまでは百名くらいメンバーがいると聞いて、成長したんだなぁとうれしくなりました。また、これも小笠原さんと同じですが、CDP(Career Design Project)でも活動しました。旭川から商大に入って、小樽でひとり暮らしをしました。部屋は商大を下りたところで、生活の大部分は大学と家とサークルという3つの場面で成り立っていましたから、学生生活の半分以上は小樽駅より上ですごしたと思います(笑)。入学したころは大学まで、地獄坂を息を切らすように登っていましたが、4年生になるとふつうに歩いて4、5人は抜くようになっていました(笑)。またアルバイトの多くは駅より下で、販売や塾講師の仕事をしました。小樽の企業の現場をそれなりに体験したことが、地方創生といった文脈でいろんな地域の仕事をすることがあるいま、とても良い糧になっています。皆さんは凸版印刷という会社をご存知でしょうか? 消費者との直接の関わりが少ないために、知らない方も多いと思います。実は私も就活するまで詳しくは知りませんでした。凸版印刷とはどんな会社か? 印刷会社だということはわかると思いますが、ひと言でいうと、「ただの印刷会社ではない」。私はそう強調したいと思います。印刷会社の製品は、雑誌やチラシやカタログやポスター、あるいは商品パッケージといった「モノ」だと思うでしょう。それらを印刷するのが印刷会社だ、と。しかし私の仕事は、実際に印刷する以前のプロセスそのものです。そして製品の範疇は映像やIT、Web、ロゴやサインのデザイン、企業のブランディングなどにも広がりますから、形のある「モノ」だけにはとどまりません。仕事はつねに、どんなクライアントが何のために何を作りたいのか、どの売上をどのくらい伸ばしたいのか、といったマーケティングをベースにはじまります。仕事の範囲は、目の前の具体的なニーズから、社会の将来的な課題までとても広汎に及びます。ですから顧客は世の中のあらゆる業界といえると思います。



やりたいことを叶えるための「選択肢」と「武器」を


2013年に入社して、最初は営業部に配属されました。クライアントは、道内の企業や広告代理店など。一般的な印刷物から企業のブランディング、あるいは企業の創立キャンペーンの事務局の仕事など、いろいろな経験を積みました。私は幼いころからデザインや色に関わる仕事がしたいと思っていて、美大へ進むことも考えました。結局商大に入り印刷会社に就職したわけですが、やはり企画やデザインに関わる部署で働きたいと思っていました。でもいきなりモノづくりの現場に入るにはムリがあると思い、まずは印刷会社の業務全般を知るために、営業職を志望しました。この春から企画の部署に異動になったのですが、やはり最初に営業全般のことを経験したことがとても役に立っています。企画の仕事は、クライアントのニーズや希望を実現させることです。しかしお客様がいつも具体的な要望を持っているわけではありません。お客様がもやもやと抱えている問題にこちらが気づき、整理しながらやりとりを重ねて、いっしょに解決していくことが多いのです。だから仕事は与えられるものではなく、自分で作るもの。単なる取引業者ではなく、クライアントのビジネスパートナーとして、形のないものに形を与えていくことには、とてもやりがいを感じます。いま現在の仕事としては、新商品の開発やカタログの企画編集、外国人ツーリストへのプロモーションなどに取り組んでいます。私がモットーにしていることがあります。それは、仕事を通して「まわりをほんの少しハッピーにする」こと。「いっぱい」ではなく「ほんの少し」、というところがコツコツ積み上げていく私らしく平凡ですが(笑)、言われたことをただこなしていくのではなく、いつも相手の立場に立って、自分なりの気づきや思いをこめた仕事をしたいと思っています。就活に当たっては、自分の進路をさまざまに考えました。本当にやりたいことは何なのか。その問題と向き合って考え続けた時間には、いま思うと大きな意味がありました。先にふれたように、私はデザインや色に関わる世界に惹かれていました。頭の中で考えているイメージを具体的な形にすることが好きだったのです。悩んだ末に美術系への進学をあきらめた私は、企業研究の中でいまの会社と出会い、ここでなら自分がやりたかったことができるかもしれない、と思いました。画を描いたりデザインをする直接の人間じゃなくても、この世界にはデザインに関わる仕事がたくさんあるとわかったのです。みなさんに伝えたいことをまとめてみます。針路を考え、決断をくだす状況では、「選択肢と武器」を持ちましょう。デザイン志望の私が印刷会社の営業職についたように、ひとつのことにこだわるよりも、そのことをいろんな角度から考えられるような選択肢が大切です。この場合の武器とは、知識や、先輩たちなどからつながる人脈です。小樽商大の場合はとくに同窓のネットワークが濃くて強いので、会社でもクライアントでも、商大卒業ということがとても強力な武器になってくれます。そのために学生時代から、いろんな世代の人と出会うことが大切だと思います。勉強ばかりじゃなく、たくさん遊べば、そんな機会も増えます。そして、やりたいことがあったなら、思い切ってとにかく手を出してみましょう。何もしなければ、何もはじまりません。さらには、自分の得意と不得意を知ること。このふたつを意識することはとても重要です。得意なことは、もっと伸ばしていく。そして不得意なことがわかってきたら、それをどうやってカバーしていくかを考える。自分にできないこと、自分が知らないことがわかったら、それをできる人と繋がれば良いのです。それも立派な武器になると思います。



<根廻早紀さんへの質問>担当教員より


Q 会社に実際に入ってみて、就活時代のイメージとちがっていたことがありますか?


A 入社当時ある先輩が、「うちは空気以外は何でも取り扱える」と言っていました。社名には印刷会社とありますが、ほんとうにいろんなことをやっているのだな、と実感しました。それと、印刷の現場にはIT化や機械化が進んだイメージを持っていましたが、色の調整や紙の扱い方など、意外に職人的な手仕事があることを学びました。また、入社した同期の大学での専攻はさまざまで、マーケティングのことをゼロから必死に勉強していた仲間もいました。その点私は商大でマーケティングやビジネスの基礎を学んでいたので、良かったなと思いました。


<根廻早紀さんへの質問>学生より


Q 仕事の上で気をつけたり大切にしていることはどんなことでしょう?


A お客様でも会社の中でも、自分の考えをうまく効果的に伝えることは意識しています。今日のスライドのように、ビジュアルをたくさん使ったり。また、商談以外の雑談から相手の方が興味をもっていることをつかんで、それを会話の中で意識してみたり。ほんの小さなことの積み重ねが、仕事を良い方向に向けてくれると思います。すばらしい才能やセンスにあふれた人なら別でしょうが、仕事はそういう些細なことから生まれるんじゃないかなと思っています。




 「人を育てることができるコミュニティ」を考え続ける




鎌田由実氏(平成26年経済学科卒/札幌市立北野台中学校)




特別支援学級の教壇に立って


私はこの春から、札幌の清田区にある中学校の教師として働いています。商大を出てから3年目ですが、北大の大学院に進んだので、社会人としてはまだ1年生です。商大で中学校・高校の教員免許を取りました。科目は英語です。そして大学院では、特別支援免許を取りました。職場である札幌市立北野台中学校では、特別支援学級の1学年の担任を務めています。北野台中学は今年でちょうど創立30周年。そう、エバーグリーン講座と同じです!特別支援学級のことをご存知でしょうか。辞書的な説明では、「小・中学校に障害の種別ごとに置かれる少人数学級」で、障害の内訳では、知的障害、肢体不自由、病弱・身体虚弱、弱視、難聴、言語障害、自閉症・情緒障害などがあります。しかし、通常学級と支援学級の境目は、必ずしも明確に設定できていない現状があります。聞いた事がある方もいると思いますが、昨年、「障害者差別解消法」という法律が施行されました。政府のウェブサイトでは法律の目的を、「全ての国民が、障害の有無によって分け隔てられることなく、相互に人格と個性を尊重し合いながら共生する社会の実現に向け、障害を理由とする差別の解消を推進する」、とあります。法律が整いながらも、一般社会の認識はまだまだ至っていないと感じます。一方で、最近ではテレビやインターネットなどで発達障害、自閉症スペクトラムといった言葉自体はしばしば取り上げられるようになりました。「障害者差別解消法」の根底にあるのは、インクルーシブ、包摂という考え方です。自分と異なる人や考えを一方的に排除するのではなく、社会全体としてひとつに包み込んでいこう、という志向。インクルーシブの概念にはさまざまな見解がありますが、いろんな意味で「生きづらさ」を感じている子どもたちに寄り添う現場環境が実現してほしいと想っています。仕事内容を説明します。2年生の生徒に、私(学校の先生)の仕事ってどんなものだと思う? と質問して、答えを絵に描いてもらいました(スライドで見せる)。これによると、朝からは授業、放課後は部活や生徒会の指導、夏休み・冬休みはのんびり休み放題、となります。生徒にはそう見えるのでしょうが、「そんな簡単なわけないだろー!」というのが私の気持ちです(笑)。実際のところは、朝から16:30までは基本的に授業。放課後は部活(ソフトテニス)や生徒会などの指導があります。さまざまな事務処理や授業の準備などはだいたい、生徒が帰った18:30からになります。授業を行うこと以外の教師の仕事は校務分掌と呼ばれます。仕事でのこれまでの成果は? という問いに対しては、まだ半年なのでこれです、とわかりやすく示せるものはありません。いまは教員として するべきことを模索しながら目の前のことに精いっぱい取り組むだけなのですが、授業や部活、生徒会などで、生徒との関係が少しずつ育ってきたかな、とは思います。



学生時代からの問いの答えを求め続けて


学生時代のことをお話します。印象に残っているのは、まずルーキーズキャンプ。皆さんも体験したように、先輩や卒業生、教職員の皆さんと交流しながら、大学生活の針路づくりを意識していくイベントですが、2年生からは私は先輩として春と秋の2回とも参加して、大学院時代も参加しました。最多参加かもしれません(笑)。それと、「本気プロ」(「商大生が小樽の活性化について本気で考えるプロジェクト」)。小樽のことをディープに学ぶ目的で、小樽散歩というプロジェクトや、商店街の方と私たち学生が対話したことが印象に残っています。本気プロのテーマは「ソーシャルキャピタル(社会関係資本)の増進」というものでしたが、ここでは自分なりに大きな気づきや発見があり、いまの仕事につながるヒントをたくさん得ました。ゼミは、江頭ゼミ。仲間たちと、あの『小樽あんかけ焼そば事典』をつくりました。いま改訂版を制作中だそうですね(クラウドファンディングで私も少しカンパしました)。それと本格的な学問としては、(あまり自信がないので声を小さくするほかないのですが)江頭ゼミならではのシュンペーターなど。サークルでは、1、2年生のときは硬式テニスサークルのBe-Pal。この経験が、いま中学校のソフトテニス部の指導をしていることに活きています。3年と4年のときは、商大生活充実サークル、略して「商大充」という、商大生活を充実させるためにいろんなイベントを企画・開催するサークルで、同期の友人が立ち上げたものに参加しました。学外では、「子ども共育サポートセンター」という札幌のNPO法人で、まちづくりの冊子を作成したり、子どもたちの自然体験活動をサポートするボランティアスタッフとして活動しました。本気プロの活動と「子ども共育サポートセンター」での経験では、たくさんの気づきがありました。それはひとことで言うと、学びや教育の場は、学校の外にもたくさんあるんだ、ということ。学校や仲間内では「少し問題がある」と見なされてしまうような子でも、地域のおじさんおばさんたちとイキイキと交流して、活躍したり誉められたりする。社会は本来きっと、そうして多様に成り立っているわけです。でも、その先に何があるのか。さらに深く広いところまで考えてはみたのですが、自分の中ではいまでもまだ理論として説明しきれていません。本気プロでは商店街の方と話をしていて、「地域づくりに参加するといってもたった4年間の学生生活で何ができるの? 私たちは何十年もここで暮らしてきたのよ」、などと言われたことがあります。たしかにそうです。商大生の活動がもっと目に見えるように小樽に出てきて欲しい、引き継ぎをしっかりしてくれないと市民側が困る、といった声も聞きました。でもそうした意見に対して私は、どんな機会でも、学生と地域の人々が互いに刺激を受けて学び合うことはできるのじゃないかと思います。学生ひとりひとりよりも、商大生という枠組みでとらえてもらえれば、大学が小樽にある限り、まちの人は商大生と共に活動していけます。こういう経験から私は、どんな人も、自分が暮らす地域の中で成長してくことができるはずだと思い、「人を育てることができるコミュニティ」の課題や可能性について自問するようになりました。4年生の私は、その答えを求めて北大の大学院に進むことにしました。社会教育研究室というところで、コミュニティ・エデュケーションという分野を学びました。ソーシャル・エデュケーション、社会教育という言葉は皆さんも聞いたことがあると思います。こちらのコミュニティ・エデュケーションとは、社会教育があくまで個人の学びに焦点を当てるのに対して、個人を取り囲む環境、つまりコミュニティが変わっていくことで人々に学びが生まれ、変わっていくということ。公民館や児童会館、ボランティア活動、まちづくりセンター、あるいは図書館や博物館の活動などが対象になります。そうして大学院の学びを経ていま私は教育の現場にいます。学校は、まちに単独で存在しているのではなく、地域と深く複雑に関わりながら機能しています。良い学校とは、良い地域があってはじめて成り立つのだと思います。本気プロやボランティア活動などでそうしたことに気づいた私は、「生きづらさのある人たちの日常に関わりたい」と強く思い、毎日教壇に立っています。ただ、学生時代に芽生えたいろいろな問いは、以前として問いのままです。その答えをいつか見つけることが私の仕事だとも考えています。



<鎌田由実さんへの質問>担当教員より


Q 教員の仕事現場はハードだともいわれますが、実際はどうですか?


A 働いてみてまず思うのは、教員には体力も大切だなということ。私は今日久しぶりにスーツを着ました。ふだんは体を動かすことがたくさんあるので、ジャージの日が多いのです。仕事の難しさは、人と人の関係によりますね。生徒や先輩の先生たちとのコミュニケーションがうまくいっていれば、たとえ忙しくてもストレスは感じません。そうした環境を自分でどう作っていくかが問われると感じています。


<鎌田由実さんへの質問>学生より


Q 教員や公務員志望でも、企業でのインターンシップを受けた方が良いでしょうか?


A 進路の最初の選択肢は多い方が良いと思います。すぐ役立たないと思ったことでも、いつか役に立つことがたくさんあります。私の経験上ですが、あとから分かることって、ほんとにたくさんあるのです。それと自分の反省として言いたいのですが、学生時代にもっと学問的な探求をちゃんとしておけば良かったと、大学院に進学するときに思いました。本気プロやボランティア活動などで実践的なことはいろいろ経験しましたが、それを裏づけたり掘り下げて理論化できるような学問への取り組みは足りませんでした。皆さんにはぜひ、ゼミや授業の中で、専門書や古典をじっくり読み込む時間も大切にしてほしいと思います。


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