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エバーグリーンからのお知らせ

2017.11.08

平成29年度第4回講義:「『挫折』から学んだ私の『成長』~社会人として・親として~」

概要

 

○講師:横山美智子氏(平成23年商学部経済学科卒/全国労働者共済生活協同組合連合会[全労済])

 

○題目:「『挫折』から学んだ私の『成長』 〜社会人として・親として〜」

 

○内容:大学2年生で結婚して、母に。2度の休学を経て、7年かけて必死に得た卒業証書。学生として、母として取り組んだ就職活動。そしてはじめての土地でがんばりすぎて心が壊れてしまった日々—。たくさんの困難やいくつかの挫折を乗り越えて、いま、公私ともに充実した毎日が訪れた。学生生活と就職活動、そして現在の仕事を語りながら、私が挫折から学んだことを伝えたい。

 

挫折こそが自分を強くしてくれる。7年かけて、母になって商大を卒業

 

母校の教壇にこうして立つことの光栄な気持ちと緊張でいっぱいです。先日エバーグリーン講座30周年の記念講演会を聞かせていただき、この講座の意義や価値を再認識したので、その気持ちはひとしおです。私はまだ32歳で、何ごとかを成し遂げた人間ではありません。
でも商大を7年かけて卒業したという少し変わった経歴があるので、そのことを中心に話してみたいと思います。札幌で生まれた私は、4歳のときに余市に移りました。両親が、余市北星高校の生徒寮を営むことになったのです。「ヤンキー母校へ帰る」というドラマで知られるあの高校です。いろんな生徒が道内外から集まっていますから、小学校から帰ると家(寮)の前にパトカーが止まっている、などということもありました(笑)。

余市から潮陵高校に通い、2004年に商大に入学しました。「国際交流サークル」と、硬式テニスサークル「Be-Pal」に入りながら、勉強に部活に、わくわくする商大生活がはじまりました。ところが、2年生の8月に私は結婚しちゃいました。夢中で恋をして、その恋がもたらしたいわゆるさずかり婚で、出産予定日は翌年3月。後期の期末試験をなんとか受けようとがんばりました。大きなお腹を机にくっつけながら試験を受けたのです。2月の地獄坂で転んでしまって、みんなに助けてもらったこともありました。
2年生をなんとか終える、1年間休学することにしました。中退は絶対にしたくなかったのです。その1年間、出産をして、専業主婦として子育てに専念しました。夫の実家の2階に住まわせてもらい、お母さんお父さん(義母・義父)が手厚く助けてくれました。そして翌年、3年生に復学。それまでの友人たちとライフステージが大きく変わってしまったので、お互い戸惑いはありました。赤ちゃんといっしょに大学に来たこともありました。椅子をふたつ並べてその上で寝かせながらゼミを受けたり。ほどなくしてみんなと同じように就活もはじめました。
 
当時はいまより早く春からもうスタートでした。自己分析や先輩訪問などをこなしていったのですが、ここでまた大事件が起こります。会社員だった夫が、失業してしまったのです。ふたりとも親には頼るつもりはなかったので、まず私が働かなければならない、と思いました。大学はやめたくありませんが、仕方ないと思いはじめたころ、ゼミの相内俊一先生(政治学)はこうおっしゃいました。「石にかじりついてでも俺はお前を卒業させる!」。いま思い出してもすごい言葉だと思います。そこで私は再び休学して、まず正社員として働くことにしました。休学は2年間。そのあいだに子育てをしながら生活を立て直して、4年生に必ず復学するゾ! という気持ちを強く持ちました。仕事は、英会話の学習塾です。一方で、働きながら3年生としての就活もはじめました。TOEICや英検、ITパスポート、FPなどの資格を取りました。
 
資格の勉強、就活、仕事、子育て。この4本柱でいちばんハードだったころの私の一日のスケジュールは、こんな状態です。まず朝5時に起きて資格の勉強や自己分析、SPI(適性検査)など就活の準備をします。7時に3歳の娘を起こしてご飯を食べて保育園へ送り出します。8時ころ小樽を出て、午前中は札幌で就職活動。OB訪問やセミナー、面接です。昼一で小樽にもどり、塾の仕事。終わって帰宅するのが21時。ご飯を食べて娘を寝かしつけてからが、ささやかながら貴重な自由時間。どこかで息を抜かなければ自分が持ちません。テレビを見たり、好きなことをします。そして23時からまた資格の勉強や就活の準備。人間の記憶力は寝る前に鍛えるのが良いと聞きました。寝る前に覚えることは忘れにくいそうです。そうして1時ころ就寝。家事と子育ては夫がしっかりサポートしてくれていたので、毎日4時間だけの睡眠でもなんとこなすことができました。
 
就活に当たって、業種や職種の前に私は、自分の軸を決めました。それは、「人に信頼される社会人になる」ということ。ゼミで政治学を学んでいたので、まずマスコミを志望しました。でも残念ながら願いかなわず、ならば、と狙った教育関連の分野では、第一志望のところから「社会人経験のある人はいらない」と言われてしまいます。そして結局、学友たちも多く進む保険金融業界に狙いを移しました。エントリーから面接まで、結婚して子どもがいるということは言いませんでした。ふつうの学生のふりをして(笑)活動したのです。何回か面接を進んで手ごたえがあった大手企業がありました。面接が終わって、係の方がエレベーターまで送ってくださいました。しかしそのとき、切り忘れていたケータイ電話に着信が。呼び出し音は、娘が大好きなプリキュア!でした。娘がいるなんて言ってませんから、アニメオタクと思われたようです。それが原因かどうかわかりませんが、そこもダメでした。
でも私は考えました。嘘を言ってふつうの就活生のふりをするのはもうやめよう。それは「人に信頼される社会人になる」なんて言っている人の態度ではないですよね。私は逆に、家族がいることを積極的にアピールすることにしました。家事は夫も担当するので目いっぱい働けます。転勤だってどこへでも行きます。もう結婚しているので、寿退社なんてことはありません、と。そして全労済に就職することができました。振り返ってみると、就活の日々は人生でもそうはない貴重な体験だと思います。いろんな業界のいろんな会社を知って、知識ではなく自分の体験として関わることができる。就活生なら、さまざまな会社の中へ入っていくことができます。これはよく考えるとすごいことです。

 

 

就職した全労済について簡単に説明します。正式名称は「全国労働者共済生活協同組合連合会」。消費生活協同組合法に基づいて厚生労働省の認可を受けて設立された、共済事業を行う協同組合です。では協同組合とは? 皆さん説明できますか? 辞書的に言えば協同組合とは、生活をより良くしたいと願う人々が、自主的に集まって事業を行い、その事業の利用を中心にみんなで活動を進めていく組織、となります。農業の分野では農業協同組合、漁業では漁業協同組合、林業では森林組合、消費の分野では大学生協などがあります。
共済と保険の違いはわかりますか? 法律上は、共済は厚労省の管轄である消費生活協同組合法にもとづき、保険は金融庁が管轄する保険業法にもとづきます。ふたつとも同じ主旨で、目の前のリスクに対する経済的な保障を整えることが目的です。保険には生命保険と損害保険があります。保険会社はこの両方を扱うことができませんが、全労済はふたつの分野をカバーできます。つまり全労済は、生命保険から車のこと、住まいのことなど、人生の幅広いリスクに対応できると言えます。

全労済の成り立ちは、労働組合の共済による「たすけあいの運動」を全国に波及していったことにあります。働く仲間同士が集まって、生活のゆとりや豊かさを育んでいくための組織が労働組合ですね。労働組合には大きく3つの役割があります。まず賃金や労働条件の維持向上を図ること。そして経営政策に対して要求を上げること。さらに、働く人同士が助け合っていくこと。全労済が関わるのはこの最後の3つめの機能の分野で、私たちは「たすけあいの保障」という言葉をかかげています。労働組合は、まず職場単位であります。市役所や電力会社といった単位です。これが電力や自治労など産業別に全国に広がり、これを束ねるナショナルセンターが、連合(日本労働組合総連合会)です。私の仕事は法人営業のようなもので、仙台をベースに、連合宮城に加盟している産業別労働組合を担当しています。お客さまをまわりながら説明会やセミナーを開くなどして、生活保障の設計を提案しています。
 
ご存知のように東北では、2011年3月に東日本震災がありました。私が4年生の3月です。この大災害のために内定は取り消しになるのでは、と思いました。けれども幸い就職ができて、4月末には家族3人ではじめての東北暮らしがはじまりました。といってもまず3週間は東京で新人研修。家族にはさびしい思いをさせてしまいました。それを終えて仙台にもどります。
当初は内勤で、やがて外回りの営業。私は営業をしたかったので、被災地を舞台に、緊張感とやる気がまじった日々でした。GISという地理情報システムなどを使って被害の状況を認定しながら、契約のお客さまに共済金の支払いなどを行います。苦労して連絡がついても、「通帳もハンコもすべて津波に流された」という方々がいました。大災害直後の現場で辛く厳しい仕事でしたが、お客さまに逆に励まされたり、働くことの意味や意義を強烈に考えさせられました。やがて、私はいい仕事を選んだな、と思えるようになりました。またはじめての土地で頑張れたのには、仙台緑丘会の皆さんの存在がありました。先輩たちにとても助けられたことは、皆さんにお伝えしておきたいと思います。

 

 

メンタルの危機を乗り越えて

 

無我夢中で働きはじめて、次第にペースが掴めるようになった私は、仕事に熱中しました。もっと成長したい、もっと営業したいと思い、来る仕事はすべて喜んで受け入れました。おかげで残業と早出が毎日のルーティンになりました。家族とすごす時間もどんどん減っていきました。
そしてしまいには、心身に異常が出はじめました。職場はブラックではありません。仕事をひとりで抱えるな、まわりがサポートするぞ、と何度も言われていたのですが、私は「大丈夫です。できます!」と言い続けていたのです。しかししだいに、力が入らず何もしたくなくなりました。すっかり自信をなくして人との接触が怖くなりました。少し買い物をしただけで「もう家族を養っていけないかもしれない」、少しお腹が痛いだけで「癌かもしれない」。
負のスパイラルにはまってしまいました。夜は眠れず、完全に「うつ状態」。こうして私は、2015年の夏から16年の3月まで、服薬をしながらもずっと苦しい生活を送っていました。

 
私がどのようにして「うつ」を脱したか。皆さんもいつか参考になるかもしれないので、聞いてください。まずすべては、自分は「うつ」だ、と認めることからはじまります。これがなければ始まりません。そして、仕事から完全に離れてとにかく休むこと。落ち着いてきたら、自分がなぜ「うつ」になったのかを考え、心の内を紙に書き出します。そういうときには、家族や同僚・上司の支えが大切です。ひとりになってはいけません。
そして、強がらずにありのままの自分を自分で認めましょう。まわりにちゃんと助けを求めるのです。言葉で言うのは簡単ですが、このプロセスはとても難しいことでした。私の場合は、乗り越えられそうになるにつれ、ハーブティや読書や音楽など、好きなことをゆったり楽しむことができるようになり、それがまた良い方向につながりました。
いまは完全に復活して毎日元気に営業しています。忙しくても自分を過信するような失敗はもうしません。娘はもう小学校6年生です。お客様と家族の話をすると、32歳で小6の娘!と驚かれますが、保険のセールスではそれがプラスになります。若くても加入者目線でしっかりお話ができますからね。
 
皆さんに伝えたいことを整理してみます。まず学生時代は、しかたなくやらされるのではなく、自分が本当に学びたいことを主体的に学びましょう。そのためには、夢や目標をもつことが大事だと思います。目標には、「状態目標」と「行動目標」があります。たとえばもっと痩せるという「状態」を実現させるために、こってりしたラーメンは週一度だけにする、という「行動」です。そして、なにはともあれ自分がいまいる環境に感謝しませんか。皆さんは、商大というすばらしい学びの環境と、緑丘会という先輩たちのネットワークの上に学生生活をおくっています。それを当たり前だと思わずに、客観的にとらえる目をもってください。
さらに、「仕事の報酬は仕事」だということ。ビジネス社会に出るときっとわかります。一生懸命働くのは、お金のため?地位や名誉のため? もちろんその要素もありますが、私は、仕事は自分を成長させてくれる手段だと考えています。良い仕事をすると、次は、自分をもっと成長させてくれるもっと良い仕事と出会うことができるのです。とはいっても、2年前の私のようにムリを重ねてがんばりすぎないでください(笑)。私は、「人生を『絶対値』で捉える」ことを体験的に教わりました。例えば20の評価を得て、つぎの仕事でマイナス40の評価を受けてしまったとして、差し引きはマイナス20でしょうか。ちがうと思います。どんな失敗の経験も必ずいつか自分の力になるのですから、それは20+40で60なのです。最後に私の好きな言葉をあげます。あのアルバート・アインシュタインの言葉です。Anyone who has never made a mistake has never tried anything new.「挫折を経験したことがない者は、何も新しいことに挑戦したことがないということだ」

 

 

<横山美智子さんへの質問>担当教員より

 

Q 推薦図書の中に『営業マンは「お願い」するな』(加賀田晃)という本を上げられました。どんな理由からですか?

 

A 皆さんは、いろんな業界の中の営業部門につくことになる人が多いと思います。そこで就活のときから営業の世界を少し理解しておいてほしいと思いました。誰かにものを売るとき(保険のように形の無いものもあります)、売り手は頭を下げるばかりではなく、むしろ買い手の方から買わせてほしいとお願いされるようなビジネスをしよう。それがこの本のテーマです。営業は決してつらくて難しい世界ではありません(簡単な世界でもありませんが)。そのための心構えやキーワードがたくさんでてきます。

 

Q 「挫折」と「成長」がテーマでしたが、あらためてお聞きします。横山さんにとって「挫折」がもつ意味はどのようなものでしょう?

 

A 挫折を知らない人はいないと思います。振り返ってみると私にとって挫折は、自分を成長させてくれる糧でした。挫折があるからこそ、それを乗り越えたところにある喜びや成功に価値が生まれるのだと思います。挫折にうちひしがれている最中にそうした意識はなかなか持てませんが、もがいていればきっと、挫折が栄養になります。挫折って成長のためにあるんだ、と思えるようになります。また私のことでいえば、うつのどん底から立ち上がることができたのは、家族がいたからでした。つらい時期に、娘のかわいい寝顔にどれほど癒されたことか。いまは同じ女性として、娘にはがんばっているお母さんの姿を見てもらいたいと思っています。

 

<横山美智子さんへの質問>学生より

 

Q 横山さんは10代で結婚して二十歳でお母さんになりました。母になるときに不安はありましたか?

 

A もちろんありました。まずお金のこと。自分のわがままで結婚するのだから、両親に頼ることは自分で禁じました。国立大学に進学していてほんとに良かったと思いました(笑)。それと、人間関係。学友たちから取り残されるのではないかと不安でした。とくに出産から1年は、家で子どもと向き合うばかりの生活でしたから、社会の中で孤立させられている気持ちが強かったのです。でも、「母は強し!」です。この子のためなら何でもできる、何でも堪えられると思えました。いま思えば、私はとても貴重な経験ができたと思っています。

 

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