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2020.11.18

令和2年度第5回講義:商⼤を卒業して、物流業界で働くということ〜札幌通運とロジネットジャパン〜

講義概要(11月18日)

 

○講師:橋本 潤美氏(平成8年商学部商学科卒/株式会社ロジネットジャパン 代表取締役社長)

 

○題目:商⼤を卒業して、物流業界で働くということ〜札幌通運とロジネットジャパン〜

 

○内容:

就職氷河期に出会い、ここで働きたいと願ったのは、女性の力と可能性を正当に評価してくれる総合物流会社だった。それからほぼ四半世紀。さまざまな現場での私の経験をふまえて、物流業の社会的な価値や責任と、当社の実践を解説したい。また女性であり母親としての仕事観・家庭観を披瀝しながら、社会人への進路選択のヒントや刺激を提供してみたい。

 

 

 

自分で考え、納得すれば、進路はゆるがない

 

 

橋本 潤美氏(平成8年商学部商学科卒/株式会社ロジネットジャパン 代表取締役社長)

 

 

 

 

 

物流は社会の血液

 

 

 

私は1992(平成4)年に商大に入学しました。家が札幌だったので、JRで通う札通生でした。卒業して四半世紀近くなりましたが、同じ札通生で、いまでも仲良くしている大切な友人もいます。

ゼミは、篠崎恒夫先生(現・名誉教授)の経営学原理。先生はいまもときどき商大のテニスコートに元気なお顔を見せるそうですね。講義は難しくて必死についていきましたが、勉強以外にも人としてのあり方を含めてたくさんのことを教わりました。

 

1996年に、札幌に本社をおく札幌通運(株)に入りました。就職活動では女子学生ならではの苦労をいろいろしたのですが、それはのちに触れます。

札幌通運に入って最初の4年間は白石区の流通センターに勤務しました。大きなトラックがたくさん行き交う活気ある職場でした。その後本社の人事課、それから企画や管理の部門を経験します。

2005年に札幌通運は、東京に本社を置く中央通運(株)と経営統合をして、持株会社である(株)ロジネットジャパンを設立しました。これがいま私が社長を務める会社です。

2008年に結婚をして、2011年に1年間の産休をとりました。2014年に札幌通運の取締役になり、16年にはロジネットジャパンの取締役。そして今年(2020年)の春、社長に就任しました。今年はこの会社の15周年。そして母体となった札幌通運と中央通運は、ともに1950年の創業で70周年を迎えています。

 

(株)ロジネットジャパンは札幌に本社を置いて、札幌証券取引所に上場しています。従業員は約2200名、年間売上は約656億円、経常利益は33億円ほどになります。今年の(2020年)2月にロジネットジャパン九州を設立しました。これによって北海道、東北、関東、中部、関西、そして九州と、本格的な全国展開の体制を整え、全国ネットワークを活⽤した総合物流企業として事業を展開しています。

 

1年生2年生が主体の皆さんにとっては、日常で直接関わりのない「物流」の業界は、あまり身近なものではないかもしれません。物流とは端的にいえばモノを運ぶ仕事ですが、その意味や価値には深いものがあります。

例えばどんなに良い商品が⽣み出されても、使う⼈の⼿に渡らなければ何の意味もありません。物流は、⾝体の隅々に酸素や栄養素を運ぶ⾎流のように、必要とされる⼈や地域へ、24時間絶え間なく形のあるものを運び続けます。つまり社会を根底から支える重要なインフラなのです。

また物流業界は、自分の会社だけではサービスが成り⽴ちません。トラックと鉄道、船舶など、それぞれにインフラをもつ会社が自社の強みを⽣かしあい連携することで幅広いネットワークを形成して、全国各地に荷物を運ぶことができます。

 

物の流れをもう少し説明しましょう。

物流には「倉庫」に適正な状態で保管する段階があり、それを運び出したり移していく「荷役」、そして目的地に運ぶ「輸配送」があります。

さらに、モノの附加価値をつける「流通加工」。

例えば大きなロールで保管しているカーペットを、施工先の条件に合わせてカットしてから運んだり、小売店の売り場に並ぶ商品に、指示書にもとづいて当社が値札を貼って出荷します。物流会社がこういうことまでするとは、皆さんはあまり想像したことがないのでは、と思います。

そして、顧客の受注・発注処理や在庫の管理をITで効率よく行う「情報管理」。私たちは全国を舞台に、これらの機能全てを網羅する総合物流企業です。

 

近年は事業の多角化にも取り組み、2011年には上川町で採水する「ゆきみず」というミネラルウォーターの製造販売にも参入しました。ミネラルウォーターは、ペットボトルの容器代と輸送費の占める割合が大きい商品なので、総合物流企業の強みを活かすことができます。全体として入超である北海道から本州への荷を作るという狙いもありました。

また「ラストワンマイル」、つまり個人のお客様のところにまでお届けするネットショッピングなどの領域にも取り組んでいます。「B to B」から、個⼈向けのサービス「B to C」という流れです。実はこれで、コロナ禍でBtoBの物流が減る一方でネットショッピングなどが伸びているという現象を受けとめることができました。

 

さらには地域貢献の取り組みとして、当社のノウハウやネットワークを活かした「農業の6次化」へも参画しています。今年(2020年)2月に、当社は帯広畜産大学と協定を結びました。二者が連携して、大学にジャガイモ農園を開設してさまざまな実証研究を行っています。

この事業のきっかけは、商大の先輩である塚原敏夫さんが率いる上川大雪酒造グループの十勝緑丘株式会社に、当社も出資したことにありました。また同時に、この事業を動かすに当たっては、商大のグローカル戦略推進センターの先生たちに頼もしい協力をいただきました。

 

 

 

入社して、自分の仕事の意味に納得できるまで

 

 

 

さて、次に私自身のことをお話しします。

私が就職活動をした1995年は、その数年前にバブル景気がはじけてしまった、就職氷河期でした。いまの学生さんにはピンとこないかもしれませんが、特に4年生大学の女子にとっては、とても厳しい状況です。会社説明会に行っても、男子学生と女子学生の扱いは明らかに違いました。そんな悔しい思いを何度もしたのち、ある会社の説明会に行くと、「うちの会社は、男性も女性も関係なく仕事をしてもらいます」、と言うではありませんか。ここで働きたい! と思いました。それが札幌通運(株)でした。入社時には、とにかくこの会社に私という人間がいるんだと、社の内外に認めてもらえるような仕事をしていきたいと思いました。

 

私が入社したのは、会社が四大卒の女子を採用するようになって3年目。先ほど言ったように最初は白石区の流通センター、トラック輸送の現場が職場で、会計処理や営業データの集計といった仕事をしました。トラックが行き交う活気ある現場で、物流企業の一員として自分もお客さまや会社の役立っているんだ、という実感がもてました。

しかし5年目に人事部に異動して本社勤務になって、社員の健康保険や厚生年金の担当になりました。現場から離れたことが残念で、仕事へのモチベーションが下がってしまい、荷物もトラックもない職場にしばらくなじめませんでした。そんな中で自問自答した結果、自分の仕事は社員全員の幸せを大きく育てていくことなんだ、と納得したときに、仕事にやりがいを見出すことができました。

2008年に経営管理副部長になって新たなステップに上がりましたが、難しい局面もいくつかありました。まず退職金制度の問題。本来これは厚生年金基金の年利2.5%の株式運用益で回していたものでしたが、バブル経済がはじけて、それがマイナスになってしまっていました。会社の利益をまるごとその補填にまわすような状況で、これでは経営が立ち行きません。そこで、従業員自らが掛け金を運用する確定拠出年金へと制度を移行することにしました。老後の頼りである年金額が不安定になるリスクもありますから、組合はじめ多くの社員から反対の声が強く上がりました。しかし私は、この移行は安心して働くことができる会社づくりのためにどうしても必要なのだ、と説いてまわりました。私自身が心からそう思えたので、最終的に社員に納得してもらうことができたのだと思います。

また、物流現場ではパレット(荷役台)でモノの流れを管理しているのですが、この管理の精度が緩んで、ほころびが出ていました。ほんの小さな問題でもそれが積もれば全社的に大きなロスとなります。そこであらためて統制を厳格化しました。

 

この時代、私は結婚しました。結婚してもずっと働きたいと思っていましたから、パートナーは私の考えを全面的に認めて、助けてくれました。実は彼は、最初にお話しした、JRの車内ですぐ友だちになった札通生のお兄さんなのでした。

 

 

 

試練を乗り越えるたびに強くなれる

 

 

 

2011年311日、あの大震災が起きました。私は妊娠していて、当日は検診のために病院に行っていました。すぐ会社に戻って、社長をトップに立ちあげられた緊急対策本部で対応に当たりました。とにかく物流を止めてはいけない。フェリーとトラックによって、物資を届ける最大限の努力を全社をあげて重ねました。このとき当社の仙台支店も被害を受けたのですが、社会に対して物流が担っていることの大きさをあらためて痛感するハードな日々がつづきました。

 

一方でこのころ当社は、新たな取り組みをいくつか始めていました。先に述べたミネラルウォーター「ゆきみず」の製造販売もこの時期で、2012年1月には関西の基盤を強化するネットワークを構築しました。

それと、自社で保育園を設立しました。当社には「さくらスマイル引越隊」という、女性中心の引っ越しサービスがありますが、それにちなんだネーミングで、お母さん社員のために「さくらスマイル保育園」を開いたのです。男女平等で働くという当社の理念を具体化したこの園に、私は息子をあずけて安心して働くことができました。

 

この2012年、私は総務企画担当部長となりました。この部は当社ではめずらしく女性だけで構成されていたので、まわりからはアマゾネスと呼ばれていました(笑)。2014年からは札幌通運の取締役とロジネットジャパンの管理副本部長を兼任しました。この時代は、私には大きな試練の日々でした。まず、同業社との経営統合を進める中で、双方の意識や企業風土の違いが課題になりました。相手の社員がまとまって退職してしまうということもありました。

また、当社を担当してもらっている監査法人にあるところから、ロジネットジャパンでは密かに不正会計が行われている、という通報がありました。これはまったくの事実無根で寝耳に水の話でした。といっても不正がないことを立証しなければなりません。そこで第三者委員会を立ち上げて、ふた月かけて徹底的に調べてもらいました。当社の不正は当然ありませんでしたが、しかし会計処理上問題となる点もいくつか指摘され、それに基づいて決算の修正をしなければならなくなりました。

期日まで上げなければ上場廃止となる可能性もあります。私はスタッフたちと不眠不休で働きました。最後は経営層に申し訳なくて涙が出ましたが、もちろん泣いてすむ話ではないのです。

 

そうした難題が片づいてほどなくして、子どもが肺炎になって入院する事態になり、私は会社を10日間も休むことになりました。こんなことは初めてです。

幸い回復して私も出社しましたが、そのとき上司にこう問われました。たいへんだったことは分かる。でも10日間のうちせめて半日でも会社に出て、部下やまわりとの調整はできなかったのか?君には女性リーダーとして新しい道を切り拓いていってほしい。だからそこが不満なのだ、と。

返す言葉がありませんでした。実は私の中には、日ごろ十分に接してあげられていない息子に対して罪の気持ちが大きかった。冷静に考えると、いわば病気を利用して罪滅ぼしをしようとしたのだ…と気づきました。でもそれは私の甘えであって、会社に必要以上に迷惑をかけてしまったのです。このとき、家庭と仕事のバランスは、どんなときでも「0か100か」ではなく、つねにどちらにも心をうまく配ることが重要だと気付きました。

2016年には、ロジネットジャパンの取締役になりました。そこからも当然、いろいろな山を登り、谷を越え、壁を乗り越えてきました。このころ印象深い仕事は、経営の効率化のために事務センターを立ち上げたことです。これには、例えば給与計算とか売上の計上と集計とか、コンピュータでできるものは機械化して、企画立案など、人間でしかできない分野に人的リソースを配置する意味がありました。

2018年9月には胆振東部地震。私はちょうど東京に出張中でした。翌日すぐ戻りましたが、地震に加えて全道がブラックアウトしてしまうという事態です。札幌にいても道内の状況がよくわからない。そこで道内各地の状況を、私たちは東京経由で把握しながら、ミネラルウォーター「ゆきみず」を提供したり、トラックの保冷機能を駆使して、食品の流通に貢献しました。全社員がとにかく、「トラックは止めない! 物流を止めない!」という決意でした。

 

そして今年(2020年)の春、私はロジネットジャパン(株)の社長に就任しましたが、ご存知のように世界がコロナ禍であえいでいる中の船出でした。東日本大震災、そして胆振東部地震につづいて、私たちは三度(みたび)、物流会社の社会的使命を痛感しながら仕事をしています。

 

 

 

「腹落ち」できれば、進路はゆるがない

 

 

 

卒業してからビジネスの社会で私が体験として学んできたことを整理してみます。

ゼミでもアルバイトでも、皆さんはよく人に「どうすれば良いでしょうか?」 と聞くことがあるでしょう。企業の新人時代はとくにこれが多くなります。でも私は、質問する前に自分で考えてほしいと思います。ある課題があったとして、「こうしたら良いと思うけれどどうでしょう?」というふうに向き合うのです。この態度を身につければ、生き方が変わります。

そして、何ごとにも一生懸命取り組む。当たり前のことに聞こえますが、これをやり通すにはかなりの覚悟がいります。でも本当に一生懸命やっている人だからこそ、まわりは「応援しよう」「助けてあげよう」と思うのです。

 

また、受け身の被害者になって「くさらない」ことも重要です。私が、どうせ女だから認められないだろうと最初から思っていたら、何もできなかったでしょう。女性のハンディやガラスの天井があるのなら、男性よりも1割2割増でがんばってみる。そのことが自分を鍛えてくれます。

 

伝統芸能や武道の世界には、「守破離」という言葉があります。

まず師の型を学んで「守る」。

それができたら師の型を「破って」新たな領域に進む。

そして最後には、師や他流の型から「離れて」自分自身の境地を拓いていく。ビジネスの世界でも、ルールやセオリーを踏まえながら、やがては自分なりの世界を構築していくことが目標になります。

もうひとつ、これも基本中の基本ですが、「礼節」「あいさつ」。これが心から身についていれば、一生の財産になります。礼節を欠いた人と、誰も仕事をしたいなどとは思いません。

 

今回この講義のために自分を振り返ってみて、あらためて腑に落ちたことがありました。ときにモチベーションが落ちたりくじけそうになっても、私があのとき踏ん張れたのは結局、自分のやろうとしていることに自分で納得できたからだ、と。

入社5年目で人事に異動してモチベーションが下がってしまったとき、「保険や年金を扱う自分の仕事は、社員ひとりひとりが安心して働ける環境を作ることだ」、と考えて納得したことで、その後のやる気が大きく変わったことが一つの例です。

私はこれを、「腹落ち」という言葉で表します。社会の要請や上司からの命令ではなく、自分で精一杯考えた結果として、自分のお腹にストンとおさまって(納得して)行動できれば、たとえ誰に何と言われてもゆらぎません。

 

最後に、現在当社には、小樽商大のOBOG23名います。役員や営業部⻑、物流事業部長など、幹部を務める人も少なくありません。来年度(2021年)の入社予定者もいます。私から見ると商大生は、「考えること」の基礎ができていると思います。男性・女性に評価の差はありません。仕事のチャンスはまったく同じです。

2300人以上いる当社の全社員の中で、トラックのドライバーなどはやはり男性が中心になるので、女性の比率は18%くらい。しかし事務・営業では40%が女性で、本社では6割以上になります。うち、管理職では15%。

ロジネットジャパンは、女性比率の高い企業だと思います。しかしこれは、採用時に女性を優遇しているから、では決してありません。条件もチャンスも平等にしている結果、この数字があるのです。女性の参画に代表される多様性が豊かな企業は、それだけ広く深く社会やマーケットと関わることができます。

どうぞ皆さんも、進路選択のひとつとして当社を意識してみてください。

 

 

 

<橋本 潤美さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 物流業界はこれからどんな時代を迎えるとお考えですか? そしてそれに対してどのように対応していこうとお考えでしょうか?

 

 

A 経営環境としては、やはり人口減、大都市一極化という流れがありますから、物流ルートやスケジュール、人員配置などの効率化をいっそう進めていかなければなりません。複数の物流企業がひとつのトラックに荷物を積む共同配送も進むでしょうし、業界では、トラックの自動運転の研究も進んでいます。

また、より大きな視点に立てば、気候変動などで災害が増えていくといった問題もあります。そうしたことに対応した輸送モードの最適化も必要で、設備投資も求められるでしょう。さらには、物流企業は社会のインフラを担っているということを、消費者の皆さんにももっと理解していただくことが重要だと思っています。

 

 

 

Q 女性がさらに働きやすい社会を作っていくために、どんなことが必要だとお考えですか?

 

 

A 私が就職活動で落ち込んでいた時代に比べるといまはずいぶん変わりました。しかしまだまだ不十分ですから、この流れをさらに強いものにしたいですね。そのためには、社会に浸透している先入観をどのように薄めていくかが課題です。男女の性差は、人がもつたくさんの属性のひとつにすぎません。企業側がその意識を持たなければならないでしょう。幸い当社はそういう会社であり、私にたくさんの機会を与えてくれ、私はチャレンジすることができました。

ある企業から、うちの女性陣にがんばってもらうためにどうしたら良いか、と質問を受けたことがあります。私は、本人の意識も勿論ですが、むしろ会社が女性に同じ仕事を指示するように変わらなければならないですよ、と言いました。そこが最大の問題なのです。

働く側にしてみれば、女性は会社と育児のどちらかを犠牲にしなければならない、という先入観があるように感じます。でも育児は女性だけの問題ではないですし、ふたつからどちらかを選ぶ、という選択も違和感があります。個人によって事情は異なりますが、パートナーの協力と、時間のやりくり、家事のやり方などによって両立の可能性は広がると思います。先ほど言ったように、寝込んでしまった子どものために10日間も会社を休んだころの私は、子育てか仕事か、という窮屈な選択に追い込まれていたと思います。でもその経験を経て、そういう考え方は違っているんだ、と気づきました。

 

 

 

<橋本 潤美さんへの質問>学生より

 

 

Q 2千人以上の社員を率いるトップとして、いろいろな決断に迫られることも多いと思います。そのとき大切にしていることはどんなことですか?

 

 

A いちばん大切なことは何か、という原理原則につねに立ち帰ることですね。私たちの仕事にはもちろん安全が最重要なベースとしてあるのですが、その上で、スピードを選ぶかルートの広がりを選ぶかなど、判断の局面では、あくまで原則を大事にします。その軸が決まれば、付随するものとして次の要素を考えます。

 

 

 

Q 学生時代を有意義におくるためのアドバイスをお願いできますか?

 

 

A 「大学での学びは覚えることではなく、自分の頭で考えること」。このことを、ゼミの篠崎恒夫先生に繰り返し叩き込まれました。そのために知識と論理的な思考力を鍛えるわけですが、さらに、考えたことを人にどのように伝えるか、ということも重要だと教わりました。自分が積み上げた思考を、人にわかりやすく伝えて理解してもらう。そのことで自分の理解もさらに深まる。そこまでできると、ビジネスの世界で使える基礎力がしっかり身につくと思います。

 

 

 

Q 家庭と仕事を両立させるにはさまざまなご苦労があると思います。少し実例をあげていただけますか?

 

 

A 例えば、こちらがどんなに忙しくても、大人の事情を押しつけずに子どもの目線を忘れないことでしょうか。私が出張に出れば彼は必ず、お土産にミニカーを買ってきてね、と言います。でもそんな都合よくおもちゃ屋に立ち寄ることはできませんから、私は、息子が好きなミニカーをふだんから密かにたくさんストックしておいて、帰ってくると「ハイっ、お土産だよ」と渡します(笑)。仕事への意識では、妥協せず精一杯頑張ること。中途半端な気持ちで取り組むと、悔いが残って家庭生活にもよくありません。

 

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