2019.11.27
平成31年/令和元年度第7回講義:「ビジネスマンである前に人として」
講義概要(11月27日)
○講師:渡邉 至宏(よしひろ) 氏(平成4年商学部商業学科卒/株式会社ホロスプランニング AFP・相続診断士、株式会社ネクスト・エール代表取締役FP)
○題目:「ビジネスマンである前に人として」
○内容:
父との確執にとらわれ、6年通った商大。バブル崩壊後の就職で知った、理不尽な人事査定制度。生保業界に入り、自己責任の完全歩合制で働きながら、私はたくさんの出会いの中から数多くのことを学ぶことができた。会社ではなく顧客のことを第一に考えることが自分の生き方につながり、親との和解にも結ばれた。平成の30年で揉まれた世代から、若い後輩たちの人生にヒントや勇気を贈りたい。
百回転んでも、百一回目に立ち上がれば良い
渡邉 至宏 氏(平成4年商学部商業学科卒/株式会社ホロスプランニング AFP・相続診断士、株式会社ネクスト・エール代表取締役FP)
青春を費やしてしまった父との確執
僕は、この講座に登場する諸先輩たちとはずいぶんちがう生き方をしてきたと思います。皆さんの進路のヒントになることがあるのじゃないかと期待しながら、今日はそんな自分の仕事人生のあらましと、その中で得たことについてお話します。
僕は札幌で生まれ育って、いまも札幌で暮らしてビジネスをしています。52歳ですから、皆さんの父親の世代でしょうか。
職歴は、建設現場にアルミの枠組足場を立てるとび職からはじまり、それから25年以上保険の業界にいます。いまは乗合代理店といって、複数の保険会社と代理店契約を結んで、生命保険や損害保険を販売しています。
事業のモットーは、「お客さまのご家族・企業を完璧にお守りすること」。そして、「子どもたちの未来のために大人を元気にすること」。
お客さまが千人いたらその千人がそのまま友人になるような事業をするのが目標で、ずっと取り組んで来ました。
好きな言葉は、「迷わずゆけよ! ゆけばわかるさ!」という、アントニオ猪木さんの言葉。尊敬する人は、高田純次さん。理由の詳細ははぶきますが、ふたりとも、壁にぶち当たってもとにかく前に進んできたすごい人なのです。
とても厳しい父親に育てられました。父の父、祖父は職業軍人でしつけの厳しい人だったので、父は自分が受けたしつけを僕にも押しつけたのだと思います。いまでは考えられませんが、父に殴られることは日常でした。
中2のときに、殴られるのが辛いという理由だけで「ゴメンナサイ」と言ってる自分に気がつきます。
そのとき、たとえ理不尽に殴られても動じない強さを身につけようと思いました。自我に目覚めたのです。そして空手道場に通い始めました。父はもう亡くなり、晩年になってから和解することができましたが、子ども時代はつねに、自分を抑え込もうとする父との戦いの日々でした。
札幌の旭丘高校から商大に進んで、空手部に入りました。最後は主将を務めましたが、卒業するまで6年間かかりました。父に頼りたくなくて学費も生活費もすべて自分で稼いでいたので、いろいろ時間がかかってしまったのです。空手も、武道としての空手道を極めるということではなく、単に強くなりたくて稽古していたので、花園町で夜にアルバイトをしながら、無茶なケンカもずいぶんしました。
あるときついに小樽にいられなくなって、当時付き合っていた彼女と札幌に逃げるように引っ越しをして、とび職や引っ越しのアルバイトで生活しました。生きていくのに精一杯でした。
1992年に卒業しましたが、少し前までの好景気が一気にしぼんでいく時代で(バブル崩壊)、札幌のIT企業に就職したのですが、3カ月の試用期間が終わると同時に新卒は全員解雇されました。このとき、当たり前のことですが、「会社は(社員ではなく)会社しか守らない」という現実が身に染みました。
生命保険セールスの世界へ
その後あるリゾート企業に就職しました。でもここも、外見は取り繕っているものの、バブル崩壊の嵐の中で財務状態はボロボロで、2年で辞めました。その会社から紹介された住宅会社に転職したのですが、マーケットは冷え込んで業績は虫の息。社員の前で平気でウソを言うような経営者について行く気にはとてもなれなくて、ここも辞めてしまいました。
3年ちょっとのサラリーマン経験で僕は、フェアじゃない人事査定というものにウンザリしました。営業成績はたいして良くない同僚が、上司の覚えがめでたいために出世してしまうような世界がイヤで、次の職場は、すべて自己責任で生きていく「完全歩合制(フルコミッション)」の仕事が良いと思いました。そこから保険業界に入ったのです。
28歳。ソニー生命の営業マンになりました。最初からフルコミッションで契約した社員です。ひとりで身を立てなければなりません。強い人間とは、ケンカに強いやつではなく(笑)、稼げる人間のことだ、と意識が変わりました。
でも、生命保険ほどセールスが難しいものはありません。だから当初の成績はまったくふるわず、落ち込みました。来る日も来る日も、出口が見えないトンネルを進むしかないのです。でも学生時代の仲間や頼れる先輩たちが勇気づけてくれました。
皆さんにはまだ理解しづらいと思いますが、生命保険という商品の特徴をあげてみしょう。
それはまず、「形のあるもの」ではありません。そして毎月掛け金を支払うのに、商品は全然届かない。さらに、日常生活のなかで「ああ生命保険がほしいな!」などとは誰も思いません。こちらが生命保険を売り込む人間だとわかると、相手はまずザリガニのように後ずさります(笑)。
人が何か商品を買うときの心理は「不満がある」→「欲求が湧く」→「具体的に選択する」→「決心して買う」というプロセスがあります。この冬に着るコートがほしい、新しい車がほしい、というのは「選択」で、これはすでに顕在しているニーズです。対して生命保険は潜在するニーズで、漠然とした不安や不満がある人に商品のことを知ってもらい、理解と納得の先で選択していただきます。具体的なものを売るのとは全然ちがうので、人生経験の少ない若者が販売することはとても難しいのです。
セールス技術の一般論を言えば、優秀な営業には、トークなどの技術に加えて情熱や志が必要です。これがAIとのいちばんの違いですね。そして高い技術と熱い情熱をもって、安定して持続的に活動することが重要です。ひと月や一年ではなく、高い能力を発揮し続けることが習慣にならなければならないのです。
セールスの手法を少し言えば、例えば「初頭効果」を意識したアプローチがあります。グダグダと説明を始める前に、最初にズバッと結論を言うのです。あるいは、「ナンバリング」と「ラベリング」という方法があります。例えば「重要なポイントを3点お話します」と話し始めて相手に自分の話を受けとめる箱を用意してもらい、「1つめは〇〇についてです」と、ラベリングしていくのです。また、商品によって得られる効果を映像でイメージしてもらえるように話す、「スクリーン話法」という手法もあります。
トップセールスの絶頂からどん底へ
さてソニー生命の営業マンとして悪戦苦闘していた僕ですが、やがて自前のスキルを身につけていきます。お客さまとの数限りなく失敗したコミュニケーションが、逆に糧となっていきました。あるときから急に伸びて、31歳のときに営業所長になりました。全社で最年少でした。
今度は自分がセールスするだけではなく、優秀な人材をヘッドハンティングしてチームを作るのです。仕事の仕方がまったく変わりました。まだ若造ですから、持ち家や高い車をちゃんと乗っていることが信用になると言われて、マンションを買い、ベンツを買って、完全に調子に乗りました(笑)。
チームにも高い目標を掲げて突っ走って、当初は良い結果が出ていたのですが、ほどなくしてどんどんほころびが出ます。そんな中、あるお客さまが37歳で突然亡くなる事態が起こりました。商大の先輩でした。
残された奥さんや3人の子どもたちを金銭的に守れるのは、生命保険です。自分が扱っている商品と自分の仕事の意味や責任を改めて考えて、恐ろしくなりました。調子に乗っていた自分ですが、このときようやく、自分の仕事の本質に気づいたのです。大きな転換点でした。
ここで生命保険について少し触れておきましょう。
生命保険の源流は、中世のヨーロッパのギルド(職能組合)にあったと言われています。一家の大黒柱の職人が死んでしまったとき、相互扶助の精神で、残された家族を仲間たちが助ける仕組みを作ったのです。日本では明治14年に福澤諭吉たちが明治生命を創設したのがはじまりです。いま日本では世帯加入率が87%。アメリカは50%。日本人は保険好きなんですね。
日本の生命保険会社は現在42社ありますが、アメリカでは2000社以上あって、破綻する会社も毎年少なくありません。日本の業界の営業職員は、25年前には40万人で、いまは半減しました。
また近年の傾向として、複数の会社のいろいろな商品を扱う乗合代理店という業態が増えてきて、僕もその一員です。さらに近年は、介護系の商品など各社が特色を競う自社商品の開発が進み、窓口販売ショップ(保健の窓口など)も増えています。一方でこうした店は飽和状態に近くて、さらにはやがてAIに取って代わられる職種であると言われています。
キャリアの話に戻ります。35歳のとき、東京海上日動あんしん生命という会社から、今度は僕がヘッドハンティングされました。マネージャーとして、2年間で札幌支社を立ち上げてほしいというのです。僕を中心に4人の人間が取り組みました。優秀なセールスマンをスカウトするために、来る日も来る日も電話をかけまくりました。ところが計画通りに人は揃わず、ほかの3人は辞めてしまいました。責任を負って、僕ひとりが営業職として残りました。十字架に貼り付けられたようなものです。
ちょうど長男が生まれたころでしたが、わが家は人生最悪の貧乏生活へと突入しました。ベンツはもちろん売って、3万円で中古車を譲ってもらいました。サイフの中の十円玉を必死に数えるときもありました。昼飯代をガソリンにまわして営業に出ました。1年くらいどん底でもがき続けましたが、38歳、2005年になると成績はまた急伸して、年収も一気に1200万円くらいになりました。でもこれは、見守ってくれた家族や助けてくれたお客さまや仲間たちがいたからできたことで、そこにはもう、ひとりよがりで自信過剰の自分はいませんでした。
50歳で独立起業
2010年。43歳のとき、東京海上日動あんしん生命でまたマネージャーになりました。支社長の下でチーム作りに取り組んだのですが、はじめは全くうまくいきませんでした。自信過剰の生意気な自分は卒業していましたが、チームに要求する目標は高くて、それができない社員には厳しく当たったのです。ひとりで奮闘していましたが、やがて身体が悲鳴をあげて入院してしまいました。
入院中、自分の何が間違っていたのかをとことん考えました。退院して復帰するときには、やり方をすべて変えようと思っていました。上に立つ人間として、マイナスの感情を表に出さないようにしたのです。人間は、怒られると黙ってしまいます。黙ってしまうとチーム力も低下して、パフォーマンスのレベルはますます下がります。
「他人と過去は変えられない」。「変えられるのは自分と自分の未来だけ」—。
そんなことに気づきました。
決して怒らないマネージャーになると業績もグングン伸びて、関東以北ナンバーワンのチームになりました。このときチームマネージメントのやりがいに目覚めました。海外のコンベンションにも出席しました。2015年のことです。
しかし、好事魔多し。支社長との関係が悪くなって、私は突然マネージャー職を解任されてしまいました。彼は、怒らなくなった僕が許せなかったのです。あまりのことに部下や仲間たちは驚き、呆れ、笑いました。新卒のころに納得できなかった人事査定というやつに、今度も足をすくわれたことになりました。
僕はまた一営業職に戻りました。
50歳が近くなって、これからのキャリアを20年くらいのスパンで考えてみました。歩みたいのは当然、人事査定をする人のいない、自分が主役の世界です。営業しながら、独立のためのリサーチや勉強をはじめました。そして2018年1月に退社したのです。
昨年(2018年)2月。50歳で(株)ホロスプランニング(本社:京都)という総合乗合代理店に所属して札幌オフィスを担い、生命保険20社、損害保険11社、少額短期保険2社の商品を扱うことになりました。これだけの商品を扱うための準備や勉強には、これまでの経験の上でも3カ月くらいかかりました。お客さまは半減しましたが、僕自身の商品力とそれを展開する自由を獲得しました。損害保険にも取り組むことにしました。
また、保険以外の事業に取り組む、株式会社ネクストエールという会社をこの年の春に起業しました。
起業に当たって、まず3つの誓いを立てました。
「嘘はつかない」。「物事から逃げない」。「仲間を裏切らない」—。この3つです。
そして「自由と責任」について考えました。僕は、人生の自由を得て、自分らしく生きたい!と思いました。そのための基準は2つ。
◎そうすることが、自分も含めて関係する人たちみんなが 「楽しいかどうか?」
◎そのことが、 「人や世の中の役に立つかどうか?」
子どもたちの未来のために、大人が幸せになる
ネクストエールという会社は、仕事と人生の価値を追求する人にエールを贈って役立ちたい、という思いで作りました。目標を定めて、良い結果を出すこと。そしてそれが社会のためになること。このふたつが両立するところに人間の最大の楽しさがあると思います。
具体的には、「営業スキルアップセミナー」、「営業スキル個別バックアップ」、「人生生相談」、「ビジネス勉強会・交流会・セミナーの企画運営主催」、「企業の福利厚生セミナー」などを行います。
またアウトソーシングで、「コスト削減のコンサルタント」などもします。僕には高い技能をもったいろいろな分野の専門家たちの仲間がいますから、ビジネスから生き方まで、さまざまな問題解決ができるのです。
問題解決には、コーチング理論をベースにしたサポートをします。つまりどんな場合も、本人は意識していないけれども答えはすでにその人が持っている。コーチはそれをうまく引き出してゴールへと導いていくのです。
こうしたことを通して僕は、まず大人を元気にして、子どもたちが夢を持てる未来づくりに貢献していきたいと思います。子どもたちのために、まず大人が楽しく幸せに生きなければなりません。
例えば社会にはいま、「8050問題」という難問があります。50代のニートが80代の親と暮らし、親の年金で生きているという状況です。僕の仕事は、こうしたことの解決方法のひとつになるのです。そして、「どんな人にも、幸せになる生き方が必ずある!」。僕はそう信じています。
また緑丘会では、仲間とビジネス交流会を始めました。
目標や志を持たない人は、物事がうまく進まない状況を必ず社会のせいにします。この景況では、この商品力では、うちには人材がいないから…、と。でもそこからは何もはじまりません。繰り返しますが、他人と過去は変えられませんが、自分と未来は変えられます。すべての答えは、実は自分の中にあるのです。
自分が変われば、人生が変わり、ひいては社会が変わります。過去と未来は無条件にそのまま繋がっているわけではありません。今を生きる自分が繋ぐことで、未来ははじめて現れるのです。ですから問題は、こうあってほしい未来を見すえた繋ぎ方にあります。今を受け入れて、楽しめる今を作ることが、楽しくて幸せな未来を作るのです。
皆さんには、学生時代のいまだからできることがたくさんあります。
やりたいことを見つけて思い切りやってみてください。やりたいことがまだないなら、それを見つけるために思い切り行動してみてください。社会全体が将来に不安を覚える現代には、「個の時代」から「和の時代」へ、という流れがあります。家族、仲間、そしてそれ以上に自分を大切にしてください。失敗しても自分を責めないでください。その態度は、他人を責めないことにも繋がります。
自分にウソをつかないでください。
僕が着る背広の内ポケットの上には、「人生山あり谷あり」という言葉が刺繍されています。
人生は、上がったら必ず下がります。僕の仕事キャリアがそうでした。でも下がったら必ずまた上がります。最後に上がれば良いのです。これを僕の言葉で言うと、「七転び八起き」ならぬ、「百転び百一起き」です(笑)。何にせよ、1回だけ多く起き上がれば良いのです。
僕は、仕事と家庭を分けて考えてはいません。すべては自分の人生です。だからこそ、仕事を選び仕事に取り組むことは、人としてどう生きるかを考えることにほかなりません。
皆さんにはぜひ、チャレンジし続ける人生を歩んでほしい。それが先輩である僕からのメッセージです。
<渡邉 至宏 さんへの質問>担当教員より
Q 事前課題で、「仕事とは何だと考えるか?」や、「最近ワクワクしたことは何か?」、「AIでは起こせないこととは?」、という、パッと簡単には答えられないような問題を出されました。どんな狙いがありましたか?
A ふだん考えることの少ないことを問いたいと思いました。そうした問いかけから、物事の根本を改めて考えてみるような習慣が生まれるとすばらしい。そういう意識づけのきっかけになると良いと思ったのです。知識の受け売りではなく、自分でしっかり考えたことが、自分の価値を作ると思います。ちなみに私が最近ワクワクしたことは、今日このエバーグリーン講座に登壇することでした(笑)。
Q 年に数回開かれる緑丘会のビジネス交流会はどのような目的で運営されていますか?
A 世間の同窓会でありがちで本当にくだらないことに、上場企業の部長を務めるような先輩が後輩たちに対して、威張ったり説教をしたり、自慢話を繰り返したりします。僕たちはそういうことが大嫌いなので、あくまでフラットなつながりの中で、世代を越えた交流を進めています。だから現役の学生も参加できます。学生や若い同窓生は、偉そうに自慢話をしている先輩になんか、なにかを相談しようなんて思いません。来る人はみんな平等な立場になりますから、お互いに学ぶことができるのです。さらには、ビジネスの世界で優秀な仕事をしてきた先輩たちには、人としていつまでもカッコイイ先輩であってほしい。この会はカッコイイおじさんを作る会でもあるのです(笑)。
<渡邉 至宏 さんへの質問>学生より
Q 失敗を何度も乗り越えて復活してきたことに驚きました。どうしたら渡邉さんのように強くなれるのでしょうか?
A 僕が皆さんの歳のころはケンカもしたし、将来に対する悩みや不安もいっぱいありました。昔からそんなタフな人間だったわけではありません。今度また何かあっても、またなんとかなる—。自分にそんな自信がついたのは実は最近のことにすぎません。それは、自分の未来を作れるのはいまの自分しかいないんだ、と気がついたからです。過去と未来は無条件に繋がっているわけではない、と言いました。いまの自分が、過去の自分と未来の自分を繋ぐのです。だからマイナスの発想や言葉を決して使わない。いまの経験が大事。そんなことに心がけてみてください。
それと、そもそも強さって何か、という問題がある。少年時代の僕にとって強さとは、腕っ節です。父親に屈する弱い自分が出発点だったから、空手で強くなりたかった。弱いから、自分のための強さを求めるのです。でも大人になると、人を守れる力を持つことが強さだと思ったし、たとえ弱い自分でもそれをちゃんと受け入れられることが強さじゃないか、とわかってきたのです。
Q 先日アルバイトで大失敗をしてしまい、大目玉をくらいました。そのショックから立ち上がれないのですが、アドバイスをお願いします。
A 失敗の原因がわかっているのなら、次にそれに気をつければ良いのだから、すごく良い経験をしたことになるんじゃないかな。「失敗した人=経験値の多い人」、なんです。それと、君が人を動かしたりする立場になったら、そんなに頭から叱っちゃだめだ、ということも学んだと思う。人をむやみに責めると、相手を必要以上に傷つけて、ひいてはそのチームの力を削いでしまうものです。僕は責められたことも責めたこともどっちもあるからわかります。先に話したように、いまの自分は、人を叱ったりしません。