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エバーグリーンからのお知らせ

2019.10.30

平成31年/令和元年度第3回講義:「自分流のワークライフバランスと議員の仕事」

講義概要(10月30日)

 

○講師:新岡 知恵(ちかえ) 氏(平成8年商学部商学科卒/恵庭市議会議員)

 

○題目:「自分流のワークライフバランスと議員の仕事」

 

○内容:

私は、小樽郵便局に勤めながら短期大学部(現・夜間主コース)で学び、それから3年次に編入した。卒業後は企業に5年間勤めて、それから1年間ニュージーランドへ。結婚して子育て真っ最中に英語の教員免許の取得に挑戦して、市民活動にも取り組むようになった。そしていま市議会議員の仕事をしている。現在の自分の基盤にあるのは、ゼミで身につけた学びへの姿勢や手法である。キャリアを通じて考えてきたことを、「ワークライフバランス」の観点から話したい。

 

 

 

人生のターニングポイントで活きている、商大での学び

 

 

新岡 知恵(ちかえ) 氏(平成8年商学部商学科卒/恵庭市議会議員)

 

 

 

 

 

仕事と生活。なぜ女性だけがひとつを選ばなければならないのか

 

 

 

私は芦別で生まれて、その後富良野で高校生活をおくりました。部活のバドミントンに熱中しすぎて受験に失敗してしまったのですが、英語を本格的に学びたくて、昼は小樽郵便局に勤めながら小樽商大の短期大学部(現・夜間主コース)に入学しました。3年間郵便局で働いて、それから商大の3年次に編入したのです。

卒業後は札幌の卸売企業に5年間勤めて、それからワーキングホリデーを使って1年間ニュージーランドに行きました。結婚して二人の子どもたちがまだ幼いころ、英語の教員免許の取得に挑戦して、市民活動にも取り組むようになりました。そして今年の春、自分でもまったく想像もしていなかったことですが、恵庭市の市議会議員になりました。今日はそうしたキャリアを通じて得たり考えてきたことを、「ワークライフバランス」をキーワードにお話しします。
 
短期大学部に入ったとき、私は昼は小樽郵便局の総務課の正職員として働きはじめました。ここは正職員が280人くらいいる大きな郵便局でしたが、そのなかで女性はたったの9人。課長以上の女性は誰もいません。高校や大学での学びには男女の差はまったくないのに、一歩外に出ると圧倒的に男性が優位なことに、とても驚きました。結婚してからも働いている女性もいましたが、その方はお母さんと同居していました。
短大3年間を修了した時点で商大昼間部の3年次に編入するチャンスをいただいて、仕事を退職しました。公務員という安定した職場は魅力ではありましたが、もっともっと商大で学びたかったのです。編入後は経営学のゼミに入りました。卒業論文で私は、郵便局での体験をベースに、仕事と生活のバランスや女性労働、パート労働の可能性をテーマに立てました。
仕事と生活、これはどちらも大切です。しかし女性であるというだけの理由で、仕事か生活のうちひとつしか選べないのはおかしいと思いました。その疑問を掘り下げて考えてみたかったのです。
ワークライフバランスという言葉もなかった時代ですが、仕事と生活のバランスを考えるということはつまり、「自分はどのように生きるかを考えること」にほかなりません。そしてそれは、明確な答えのない問いです。私は実体験をベースに自分なりの物さしを見つけ出して、あらかじめ答えが用意されているのとはちがう種類の問いへのアプローチを体験的に学びました。論文を書き進めるにあたっては、先生のアドバイスや、ゼミ仲間たちとの議論が大きな糧になりました。狭くなりがちなものの見方を、議論がほぐしてくれました。こうして進めた卒論の取り組みが、市議会議員になったいまの私の基盤になっています。今もワークライフバランスというこの問題をめぐって考え、仕事をしていると言えます。

 

 

 

子育ての段階に合わせて仕事を再開

 

 

 

商大を卒業すると、札幌の化粧品や日用品の卸売企業に就職しました。営業をサポートするデスクワークです。しかしここにも、女性が個性や適性を活かして働ける環境はありませんでした。忙しいばかりで未来が見えず、5年で辞めました。ワーキングホリデーを使えるぎりぎりのタイミングです。一度海外で暮らして英語の力をもっとつけたいと思っていたので、ニュージーランドで1年間暮らすことにしました。現地のご夫妻の家庭にホームステイしたのですが、仕事と生活に関する基本的な考え方のちがいを深く感じました。向こうでは女性が働くのは当然で、家事の負担も夫婦同等。それが当たり前の社会なのです。私のその後の人生に大きな影響をおよぼす1年間で、卒論で考察したことをさらに深く考えることができました。
 
帰国してまもなく、結婚しました。結婚しても働きたいと思っていました。やがて子どもが生まれて、小学校に入るまでは専業主婦でしたが、その成長に合わせて仕事を選んでいきました。まず在宅でできる、通信教育講座の採点の仕事をしました。まだ上の2人の子どもが幼いときに私は科目等履修生の制度を使って、高校の英語教諭の免許を取得しました。免許をすぐ活かす機会には恵まれませんでしたが、やがて地域の活動に関わるようになります。地域に小学校ができる計画が市の財政難を理由に頓挫してしまったので、地域の皆さんとともに異議をとなえたのです。
それまで政治にはほとんど関心のなかった私ですが、自分の子どもが関わることだったので、自然に行動できました。結局計画は復活しなかったのですが、このとき、「政治って実は生活そのものなんだ」、と気づきました。そして私たちといっしょに行動してくれた市議会議員の仕事とその価値を痛感したのです。
 
やがて私は、地元の高校の定時制の時間講師になることができました。子どもは3人になっていましたが、夫を含めて、それぞれできる範囲で家事を分担するようにしました。高校ではいろいろな境遇の生徒がいました。教壇に立ってみて、教育の機会は平等であるべきなのにそうした環境にない人たちが少なくないことを知らされました。彼らの多くは、それでも学びたいと思っている。その願いに応えるのは社会の責任ではないか、と自問しました。

 

 

 

市議会議員への挑戦

 

 

 

PTAや、原発をやめようと声を上げる活動にも参画するようになり、さらに市議会議員選挙で、ある議員の応援ボランティアもしてみました。その延長で、今年の春の統一地方選挙に立ってほしいと背中を押され、家族と相談しながら熟考した結果、公示のひと月前に立候補を決めたのです。学生時代の自分にはとうてい想像もできなかったことでしたけれども。
選挙期間は1週間。私に特定の政党や支持団体はなく、無所属です。ママ友たちが応援団でいるだけ。常識では、組織も持たないただの主婦が議員になんてなれるわけがない、と思われるでしょう。でももしそうなら、ふつうの主婦はどうしたって議員になれないことになります。そうじゃない。私はひとつのロールモデルになりたいと思いました。
 
さて、立候補にあたって公約はどうするか。これも常識では、福祉や教育、経済、環境など、幅広い分野で自分の考えを訴えるでしょう。でも私にはそんなに幅広く公約を練り上げるような時間はとてもありません。そこで思い切って子育てに絞り込むことにしました。この分野なら、母親としても自信をもって自分の考えを訴えることができる。
「子どもの命・健康・成長を見守る街づくり」—。これが私が掲げたスローガンです。選挙運動ができるのは朝8時から夜8時までです。でも私は、選挙期間中も家族のふつうの暮らしを第一にしようと思いました。それが主婦らしいとも思いました。支援してくださる方の中にはそれじゃダメだ、とおっしゃる人もいましたが、なんとか説得しました。ですから運動は朝9時から夕方4時まで。夕飯の用意をしてから、19時から1時間は駅前に立ちました。
 
私の主張に声を傾けてくれる方や支援してくださる方々のおかげで、私は当選することができました。そうしていま、1年生議員として活動しています。ふつうの主婦が、議員になる。それは可能なことなのです。
議会は年4回あり、これまで2回の議会を経験しました。議員として身につけなければならないことはまだたくさんあり、一歩一歩ステップアップしていきたいと思います。議会で質問したことなど、私の考えと活動内容は定期的にプリントなどで市民の皆さんに報告しています。
 
商大で学んだことが、いまどんなふうに活かされているか—。最後のそのことを話します。
小樽郵便局での経験やゼミでの学びを通して、私は仕事と生活、「ワークライフバランス」について考え続け、自分と家族の暮らしの上で試行錯誤を重ねてきました。議員として私は、とりわけ教育や子どもの貧困の問題に取り組んでいます。どんな子どもでも、自分の力で考えて歩いていけるようになる環境をまちに整えていきたい—。それは、答えがあらかじめ用意されているわけではない問題です。自分でテーマを決めて、まわりと議論を重ねながら自分なりの結論を練り上げて、アウトプットしていく。私は、恵庭市議会の議場で思いました。議員の仕事のベースにある考え方や問題へのアプローチの手法は、実は大学で学んだことなんだ、と。少し前の自分には予想もできなかった仕事をしている私ですが、自分は結局、商大で学んだことの延長を歩いているんだと思い、そのことがひとつの拠り所になっています。大学で得たものが、人生のターニングポイントで自分の糧になっています。
皆さんにとって政治は縁遠いものかもしれません。でも考えてみてください。日常のどんな小さなことでも、政治と無関係なものはありません。私の話をきっかけに、まちの議会のことや議員の仕事に少しでも関心を持っていただけたら、こんなにうれいしいことはありません。

 

 

 

 

 

 

<新岡知恵 さんへの質問>担当教員より

 

 

Q 新岡さんが用意された事前課題のひとつが、「日本の労働環境における今日的課題を、ワークライフバランスに焦点を当てて論じてください」というものでした。新岡さんのお考えを聞かせていただけますか?

 

 

A まず女性の立場で言えば、社会は男女半々で成り立っているのに、社会にとってとても重要なはずの議会の男女比がそうなっていません。恵庭市ではいまは過去最多と言われていますが、それにしても21人中5人だけ。性差による役割分担があまりにも強く固定されてしまっています。
 
ワークライフバランスとは、その人がどう生きるかという問題であり、性差による区別は大きな障害です。男女のちがいに関わらず、働きたい人の意志が活かせるような社会の制度設計が必要です。そして、仕事の環境で納得いかないことがあったなら、自ら声を出していかなければ改善されません。そのためには、例えばアルバイトでも有給休暇が取れるとか、法律を学ぶことも重要です。学生時代にその基礎を作ってください。自分の未来を拓くのは自分ですから、議論する力や知識をしっかり身につけてください。

 

 

 

Q 女性の仕事環境や社会進出の状況は、新岡さんが卒業されたころと今では良い方向に変わりましたか?

 

 

A 仕事をもつ女性が増えるなど外形的には良くなっていますが、一面でそれには生活のために働かざるを得ない、という背景もあるでしょう。非正規雇用は女性が中心で、夫の扶養控除の枠を越えないように年収を抑えている方もたくさんいらっしゃいます。また男性の意識が、家事はみんな女性がするもの、といった古い枠組にあることも多いので、女性の負担は増していると感じます。

 

 

 

Q 事前課題のふたつめが、選挙の投票率が全国の若年層でとくに低いが、その要因を考えて論じてください、というものでした。これについても新岡さんのお考えを聞かせてください。

 

 

A 日本では会社の同僚や友人とのあいだで政治の争点を話題にすることは少ないですね。人間関係が崩れることを恐れているのか、そもそも関心がないのか。教育現場でも政治の話題は避けがちです。教員にとって、授業の中で政治問題を議論することは難しい。でも政治は、毎日の生活に直接関わる、社会の重要な役割を担っている。そのことを皆さんも、社会を構成する当事者のひとりとして意識してほしいと思います。ごくふつうの主婦だった私が、友人たちに支えられながら選挙を戦って、当選することができました。生まれて初めての選挙で、人々の政治に対する醒めた目をいやというほど感じました。でも政治は私たちの暮らしの重要な一部なのです。

 

 

 

Q 新岡さんのユニークなキャリアは、ある意味で回り道や寄り道の連続のようにも見えます。そうしたご経験から得たことなどを、進路に悩む人も少なくない、後輩たちへのメッセージとして総括していただけますか。

 

 

A 振り返ってみるとほんとに遠回りしているのかもしれません(笑)。でもそのときどきで、私は自分の意志と責任で進路を選んできました。だから、その時点で少し迷いはあったにせよ、今になるとどのキャリアにも後悔はありません。私の子どもたちにも、とにかく自分がしたいことに自分で責任をもってチャレンジしよう、と言っています。
でも確かに若いときには、進路の変更をそうズバズバとは決められませんね。たとえ何があっても自分が決めたことだから、と自分で納得できる覚悟が必要だと思います。他人のせいにしては幸福にはなれません。それと、私は編入したり、教員免許を取るために学び足しや学び直しをしました。その経験から皆さんに言いたいのは、「気持ちさえあれば学ぶことはいつでもできる」、ということ。私は社会人の経験を学びの場に持ち込むことで、より充実した学びができたと思います。

 

 

 

 

 

 

<新岡知恵 さんへの質問>学生より

 

 

Q 日本人は政治の話を日常ではあまりしない、というご指摘がありました。どうすればそうした風潮が変わるでしょうか?

 

 

A 国やまちの政策を大上段から語るのではなく、自分の身近なところから気軽に意見を交わせるようになればいいと思います。例えば主婦だったら保育園や学校をめぐる子育てのこと。学生には学生の、奨学金のこととか、自分に直結した切実な問題があるはずです。そこを入り口にすると少しずつ変わっていくのではないでしょうか。

 

 

 

Q 議員に立候補するに当たって、ご家族の反応はどのようなものでしたか?

 

 

A 夫は(実は商大の同級生です)もともと私より政治への意識が高い人だったので、ガンバレ、どんどんヤレ、という感じ(笑)。子どもたちも面白そう、がんばって、と言ってくれました。そして、当選したら私が家事にさける時間は減るから、今までよりみんなに家事をしてもらわなきゃいけないよ、と言うと、そこも大丈夫、家事はみんなでしよう、と言ってくれました。こうした理解とサポートはほんとうにありがたかったです。

 

 

 

Q ワーキングホリデーの制度を使ったニュージーランドでの1年間は、どのようなものでしたか?

 

 

A それまで5年間一生懸命働いたので、自分への褒美のような気持ちでいました。まず2カ月くらい語学学校に通って、そのあとは日本食レストランでアルバイトをしたり、ニュージーランドのいろんなところを旅行しました。アクティビティ天国とも呼ばれる国なので、大自然の中をトレッキングしたり、シーカヤックやバンジージャンプなど、たくさんの遊びをしました。ホームスティをしたので、向こうの人たちのふつうの暮らしを体験できたのも良かったです。家族観や仕事観がちがうことが新鮮でした。日本では夫は会社のつきあい、妻はママ友とのつきあい、子どもは学校の部活といった、それぞれの行動パターンがありますが、彼らはいつも家族単位。週末ごとにホームパーティを楽しんだり、職場での女性の地位も基本的に男性と同等です。これはいいな、と思いました。

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